第六回(二)

二土水性を現し
婚を偽りて佳人を助ける


 悟空は一見貧弱な自分の容姿を、実は小回りがきいて一切のムダがないと誇らしく思いこそすれ、うらめしく思ったことは無かった、
 しかしこうやって、長身の悟浄と並んで話していると、自分の身長のなさを、うらめしく思えてくるのだった。
 悟浄が落ち込んでいるとき、自分はそっと肩を抱いてなぐさめてやることもできない。抱きしめて支えてやることも…いや、単純に抱きしめることができないではないか。何かあったとき「まあ座れよ」といって肩を抱いてやるのもあまりにもまぬけだし、間が悪い。そういうのは黙ってそっとやるものだ。
「兄貴?」
 悟浄は悟空が「最近どうだよ」と訪ねてきたので、少し歩きながら話していたのだが、悟空が何か入り込んでしまい、すっかり上の空になってしまったので、声をかけた。
 悟空ははっと我に返り、自分をじっと見ている悟浄を見上げる。
「どうしたんだ?やっぱつまらない?帰ろうか?」
「ああ、いや、悪い…つい、考え事を…」
「兄貴が?」
 悟浄が口元を笑みでゆがませる。そして
「兄貴の物思いか。一体何考えてたんだろうな。八戒が聞いたら、すっとんでくるぞ」
 ――お前を抱きしめたいと、思っていたんだよ。
 そう心の中で舌打ちすると、
「それよりさ、ちょっと聞いてくれよ」
と悟空が話し出した。
「おれって人間だったらさ、どんなのがいいかな?年からしても、やっぱ貫禄のあるこういうのかな?」
 そういうと六尺豊の鍾馗風に姿を変える。悟浄はいやだ、と即座に答えると、
「そんなの全然兄貴じゃないよ。兄貴はもっとこう、…はしっこいだろ?今のままで十分じゃないか。今まで自分の容姿に自信持ってるって言ってたくせに、どうしたんだ、」
 悟空はじゃあこれはどうだ、と今の姿のまま悟浄より背を高く巨大化。悟浄はそれを見てますます総毛立ち、我が身をかき抱くと、「いやだ」と上目遣いに答える。
「それ純粋に気持ち悪いよ。いやだいやだ、ああ、いやだ」
 本当に寒気がするのかと思うほど、腕をさすり、身を縮こませる。
 悟空はそれを見て舌打ちすると、元に戻り、
「なんだよ、そのままのおれがいいって言ったくせに。その気持ち悪がりようは、」
「兄貴が元に戻った、ああ良かった。兄貴はそれでいいんだよ。それでこそ兄貴なんだよ」
「でもこれではお前より全然小さいじゃないか」
「そんなこと気にしてたのか…というか、なんで気にするんだ?別に大きさなんていいじゃないか。八戒なんか横にでかいぞ。どうする兄貴」
「横はどうでもいいんだよ。身長が欲しいんだよ、おれは」
 悟浄のいうことも聞かず、これはどうだ、と三度化ける。今度はすがすがしい青年風。甘さと渋さを含んだ、均整の取れたいい男だった。悟浄は少し息をとめ、
「それは、なかなか、いいよ…でもそれ、奎木狼じゃないか」
「おれが今まで見たなかで、一番いい男だと思ったのに化けてみた」
 それは宝象国で一行を苦しめた、奎木狼の本性の姿だった。
「確かに奎木狼は、いい男だよ。おれも好きな容姿だ」
 悟浄は言った。そして少し視線を外した。
 ――しかし奎木狼は器は最高だが、やっぱり中身は兄貴が一番だ。いや、全てが生きてきた中で、最高だ。
 悟空はそんな悟浄を少し上の目線から見ていたが、すっと肩に腕を回すと、ぐいっと抱き寄せた。よろめく悟浄のさらさらとした髪が頬をなでる。その感触が、気持ちいい。
「よし、いいくらいだな」
 程良く腕になじむ体に満足しながら悟空がいう。悟浄は心臓が飛び出すかと思うほど。抱き寄せられ、一瞬頭が真っ白になった。
「け…、兄貴!」
 体が火照りだし、指先が痺れる。悟浄は出来る限りの理性でもって、平静を装った。
「どうだ、丁度いい位の高さだろ。お前よりちょっと背が高い、」
「そ、そこまで兄貴面しなくてもいいじゃないか、ほんとに、負けず嫌いなんだな、」
 悟空はこれを聞き、自分のしていることのおかしさに気づき、悟浄に話を合わせた。
「だって、兄貴分として小さかったら、他に示しが付かないだろ、このくらい背が高ければなあって、おれだってたまには思ってもいいだろ?」
 心地よい悟浄の暖かな体を離さず、そう顔を寄せて言う。
「お前がつらいとき、こうやってなぐさめてもやれる…」
 息がかかりそうな程近くでしゃべられているだけでも倒れそうな程なのに、今度こそ悟浄は心臓が止まりそうになった。
「いっ、いい、いいよそんな…、女子供じゃないんだし、」
 ――そんなことして返って煽らないでくれ。
 悟浄は叫び出したくなった。
「なんだよイヤなのかよ」
 ――そうだよな。こいつは、師父をこうしたいんだろ。
 少し落胆気味の悟空の声。
「と、とにかくおれは、元のままの兄貴が好きなんだから、そんなことしてくれなくて、いいんだよ、」
 悟浄は言ってはっとする。
 ――やばい、気が動転して、なんか好きとかいっちまったぞ。
 しかし悟空は、否定されなんとなく空虚感に覆われていたので、そのことをさほどに気にもとめず、
「そうだよな。人の姿を借りたって、それはおれじゃなし。バカな考えはなくするよ」
「そうだよ。(兄貴はそのままで充分素敵なんだから。ほんとは、どんな姿になっても…おれはあなたを愛する自信があるけど)」
 口ではそういいつつも、なかなか悟浄を解放せず、じっと悟浄のつむじを見つめながら、
「なあ、お前はどんな身体だったんだ?」
と悟浄に語りかける。悟浄は、ついにこの質問が来た、と思いつつ、
「どうって、八戒みたいに投胎したわけじゃなし、基本的にはあまり変わらないよ」
「じゃ、この位の身長、体つきか。でも顔や肌は、随分変わったんだろ?」
「…そうだなぁ。水に長いこと浸かっているうちに、魚や蛇や、そういうものの気を含んでしまったからな。でも、兄貴はおれの昔の姿を知らなくて幸せかもよ」
「なんだ。二目と見られぬブサイクか、」
「そんなとこ、かな」
 悟浄が笑う。
「まあ、普通、平凡なやつさ。でも、おれは好きじゃないから、あんまり戻りたくない」
「…へ、え…」
 ――よくわからねえけど、まあ充分かわいいからいいや。こいつにかわいいなんて感情が湧くなんて、どうかしてるよおれは。
「では、お前は八戒の昔の姿を知ってるか?」
「うーん。…見れば思い出すんだろうけど、…という位かな。おぼろげに」
「やっぱしまらねえ豚か?」
「いや、多分浅黒く、がっしりしたヤツだったと思う…よ。まあらしいといえばらしいかな。…なあ、もう放してくれないか。変だろ、こうしてたら」
「あ、ああ」
 悟空はちらりと三蔵や八戒の方に目をやり、腕を緩めた。
「なんか見てみてえ…けど怖いな」
「おれ?」
「そう」
 それから二人は黙ってぶらぶらと戻ってきた。悟空は馬に草を食ませに行く。玉 華州で持たされた食材で飯の用意を始めた悟浄に、八戒が訊く。
「兄貴のやつ、あれこれ化けたり、二人でじっと抱き合って、何してたんだ?」
「なんかおれよりでかくなりたいらしいぜ。おれのつむじが、珍しかったんだろ?」
「なんでまた」
「誰より強く大きくいたんだろ?」
 悟空はそれから、八戒を連れだし訊ねてみた。昔の悟浄を知っているかどうかと。
 八戒の答は、覚えてない、と明確だった。
「あまり会うことのない部署だからな。おれは外の武官、あいつはいわば玉帝のお側付きだろ。玉 帝の前に出ればへへーって畏まってばかりだからな、面もあげられん」
 それから八戒はところで、と言葉を継いだ。
「兄貴は最近、悟浄へのお節介は止めにしたんだな」
 二人は見回りと称して久しぶりに連れ立っていた。となると話すことは一つである。
「だって、もう吹っ切れたって言ったじゃないか。…蒸し返したら、大変だろ」
「そんな話鵜呑みにしてるのか……でも、分かっただろ。無理なお節介は大きなお世話、迷惑だって。いやああの頃の悟浄ときたら疲れ切っててかなり追いつめられていたからな。あの後どうするのかちょっとした見物だったのに、」
 悟空は八戒を一つ叩いた。
「それに兄貴も言ったろ。『師父を口説く弟子がどこにいる』って」
 ――師父を口説く弟子が、どこにいる。
 悟浄は火を見ながら、その時のことを思い出していた。
 ――兄貴は本気で怒っていた。何でか知らないが。おれが第三王子をあしらいきれず、つけ上がらせたのに業を煮やしたのか。また呆れられたかな?でも、第三王子がおれから剥がれて嬉しいなんて、どういう意味だ?さっきの事といい、最近の兄貴はおかしい。…なんだか、自分にいいように解釈してしまいそうになるじゃないか。それに今のおれには刺激がきつすぎる。こんなことが続くようだと、いよいよおれは駄 目かも知れない。
 溜息とともに悟浄の身体を甘い痺れが走る。
 ――いや、また何かたくらんでるに違いない。でなきゃ八戒と連れだって見回りなんてあり得ない。
「悟浄、焦げ臭いですよ」
 ぼーっとしている悟浄の肩を三蔵が揺する。はっと我に返ると、鍋の中の野菜が三分の一ほど炭と化していた。
「確かに言ったが、おれはそんなつもりは、」
 悟空は戸惑い言う。
「いいや、そう取るな。兄貴、いいこと教えてやるよ。あいつまた最近惚けている時間が増えてきたぜ。吹っ切れてなど、いないってことよ」
 二人が戻って来ると丁度三蔵が悟浄の肩を掴んでいるところだった。悟空はそれを見ると、にわかに心がかき曇り、胸に疼痛を覚えた。
「痛、」
 悟空が言うと、八戒振り返り、
「兄貴でも痛いことあるんだな。また頭か?」
「いや、石が……」
 悟空はなんとなくそれを隠し、足元の石を蹴った。
「どこに当たったら痛かったんだ?」
「あほう。教えるか。どうせ弱みを握るつもりのくせに」
 食事時。唐僧の前には美味しそうな野菜炒めの皿、あとは炭の混ざった野菜が鍋のまま場の中央にあった。
「何だよこれ、」
 八戒が言うと、悟浄は我先に真っ黒いところを取り、
「別にいいよ。おれが責任持って食うから」
と口に運ぶ。悟空、
「おれには生のやつをくれ。元々火の入ったものは余り好きじゃない。食べられるところは二人で食え」
 悟浄は言われたとおり行李から生の野菜や木の実などを渡した。
 悟空はまさに惚けていた結果を目の当たりにしながら、果物をかじっていた。何故か無性にイライラし、食事も美味くない。
 ――なんだなんだ、この面白くない心地は…。おれに助けてもらったとか言っていながら、全然直ってないからか?…何か違うな。あの時は拍子抜けして、もっと好きでいて欲しいと思ったのに。
 ちらりと悟空は三蔵に目を走らせる。
「悟浄は最近注意力散漫のようだね。疲れているのかな」
 三蔵はさも不思議そうにそう言う。悟空は何か悟浄をかばって三蔵に売り込もうと口を開いたが、何も出てこない。
「そんな心配、いらないよな」
 なぜかそんな言葉が口を突いて出た。
 ――違う、違う…何だこりゃ。
 悟空は心と裏腹な言葉に自分自身を持て余し、呻吟する。
「はい。何でもありません」
 悟浄がそう言ったので、悟空は少し心が軽くなった。
 その夜、降るような星々を睨み上げながら、悟空はなかなか寝付けずにいた。自分の中の御しがたいもう一人の自分、
 ――もしかして、嫉妬…?ということは、おれはまさか、あいつのことを…?
 薄々感づいてはいたが、認めたくなかったことを思い浮かべると、全てが自分の中で収まってゆく。
 ――今更、だよな。どう考えたって、そういうことだろ。だから第三王子が面白くなかったし、殴ってせいせいしたし、…抱き締めたいなんて、思うのが、可愛いなんて思えて来るのが、もうおかしいよな。おれは無意識で随分おかしな言動を繰り返してたんじゃなかろうか。
 悟空は恋がうらやましいと言っていた少し前の自分の事を思い出し、笑みを漏らす。
 ――成る程ね。身体に悪そうだ。しかも、どうしようもなさそうだ。ミイラ取りが、ミイラになったか。
 一体いつからそんな事に、と悟空はとつおいつ思い返す。しかも、その相手がなぜ悟浄なのか。八戒の線は全くあり得ないが、悟浄のようになぜ唐僧でないのか。しかし余り判然としない。
「兄貴だけは汚れないで欲しい。それがおれの、願い」
そう言って微かに笑いかけた、あの時の悟浄の顔を思い出すと、何故かいつも胸苦しく、甘い痛みが胸を走る。ああいう笑顔は、悟浄にしか出来ないものだ。ああいう柔らかな、包み込むような、控え目な…それでいて、何故か蠱惑的な。いや、それは自分が既に邪に走っているからそう感じるのだ。普通 はあれは穏やかな笑顔、というものなのだ。しかし、自分はそこにしっとりとした色気、というものを感じてしまう……しっとり、あいつ以外の誰にも似合わない形容だ。ちょっと待て、おれはあんなやつの外見に惹かれてるのか?好きになるには内面 の方が大事なんじゃないのか。あんな頼りないやつのどこが…そこまで考えて、彼は悩みに疲れてつらそうな彼の後ろ姿を見たような気がして、抱き締め守ってやりたくなる。でもそれだけじゃない。心を弛めきって落ち着いてゆったりと話せる相手。師父とはまた違う感じで言うことを聞き入れてやろうと思える相手。…そのくせなぜか甘えられる、相手。
 そんな、相手。もしかして自分は彼にいいところを見せようとしてしまっていたのかも知れない。
 そうやって納得できる考えを導き出すと同時、悟空は自嘲的な笑みを漏らす。
 ――これが恋なら、おれの恋は最初っから進退窮まってる。まあいいか。おれはただ一緒に居たい、しゃべりたい、側に居たい位 のものだしな。
 悟浄が例え師父を好きでも、どうする気もないのは確認済み。
 悟空は気が楽になると、眠りに落ちた。
 さてそうと心を決めてしまうと、悟空は悩み事は向かない性格、八戒だけに気を付けて、あとは心のままに振る舞った。もう、三蔵に悟浄を売り込もうなどとは、毛ほども思わなくなった。

 愛欲とは醜くままならぬもの。その本当の恐ろしさを知るには、悟空にはまだ時間があった。


 さて一行は金平府で辟寒大王、辟暑大王、辟塵大王なる三匹の犀の精に悩まされたが、角木蛟、斗木解、奎木狼、井木扞(ほんとはけものへん)の四木禽星と西海の摩昂太子の助力により事なきを得た。
 しかし悟空は悟浄に急かされ行動したようなもので、本当に悟浄は師父が好きなのだなあと思い知らされたような気がした。
 それから「撞天婚」の難にあっては、策略もあったが三蔵を結婚の危機に陥れ、三蔵をからかいつつ悟浄の反応を見ていたが、思いの外反応が鈍いのに悟空は安堵と、訳の分からなさを感じていた。
 自分はあんなに玉華州の第三王子や唐僧に心乱され嫉妬でかりかりしたのに、悟浄はさっぱり取り乱す風がない。
 不審に思い玉兎を下してのち訊ねると、悟浄はとまどい、
「そうだなあ、そんな事に心動かされるような人じゃないって、信用してるからかなあ」
と答えた。
 悟空はそれを聞き自分の卑しさを恥じ、そんな敬愛を抱いている悟浄に真に清らかなこころの持ち主とますます傾倒していった。
 悟浄も悟空が自分を気にかけ、かといってもう抱きつくようなこともなく、格別 たくらむこともなく、「撞天婚」の難以来、三蔵を思慕の対象としていないのだと言うことが分かると、嫉妬の種もなくなり、心平らかに、束の間の安穏の時を過ごしていた。

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このパートは後で付け足しなので、こうやって分けるとタイトルに意味がない。だったら別話に分ければよいのだけど、短いし、折角切りよく10回に収まってるんで~
奎木狼をどうしても出したかったのだが、割愛しました。そのうち別件で書くかも。書かないかも。ああ奎木狼、サヨウナラ~「撞天婚」の難の方が順番的に譲れなかったので仕方なくこんなことに…
しかししつこいですが、この後の話との語り口のギャップはすさまじいです。

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