昨日の敵は、今日の相棒(とも) -4- 優しい雨

「敵じゃないのか……?」
「ああ……」
 なんとなく見ていられなくて、仗助はひとつ優しい嘘をついた。
 その時、雨がポツポツと落ち始める。やがてそれは本降りになり、二人を、いや一人を濡らしていく。
 突然の雨に往来の人々は足早に移動を始める。
 雨に濡れた頬が、まるで泣いてるみたいだな……と立ち止まって見詰めていると、ふと目を上げた吉良がその手を上げ仗助の頬に触れる。
「何……」
「いや、泣いてるのかと思って」
「なんでおれが」
「だな。どうかしてた」
 あの日も、雨が降った。降りしきる雨の中、こうして互いを見詰め合う瞬間があった。
 仗助の頭の中を、あの日がフラッシュバックする。そしてその印象的だった瞳が。
 今は違う色を湛えて自分を見上げている。



 次の日、吉良が前日行き損ねた図書館で新聞の縮刷版を読んでいると、不意に影が差した。見上げると、昨日会った漫画家が立っている。
「やぁ。昨日は悪かったね。いくら以前の因縁があったとしても、記憶のない今の君には関係ないことだのに。失礼だったよ、申し訳ない」
「ああ、あんたか。なんでここに?」
「やっぱり君のやってることに凄く興味があってね、なかなか創作に身が入らないんだ、足手纏いにならない程度に手伝わせてくれよ」
「いや、よくここにいると分かったな、と……」
「昨日、死者の死因を探るって、言ってたろ?それにはそいつしかないだろうと思ったのさ」
 そう言って露伴は縮刷版を指差す。
「しかし新聞や警察は多分あんまり当てにならないぞ。無難に事件を纏めてやり過ごそうとする。仕事は毎日山ほどあるからな。表面的に納得できて纏まってればいいのさ。君は、現場で君以外の幽霊に会わなかったのかい?」
「それが、意外とね。いてもしゃべれないレベルのやつくらいしかいない」
 縮刷版に目を落とし、記事を指先で叩きながら吉良は言う。そして、調べようとしている死亡者の中には生前の吉良の被害者が混じっていることを、彼は知らない。
「ぼくなら調べられるぞ。被害者の近しい人物か、被害者の幽霊を連れてくればいい。ぼくに隠し立ては何一つできない」
「わたしは真っ白らしいからよいが…露伴先生…プライバシー侵害って知ってるか?折角拾った命、捨てたいのか?」
「ぼくは漫画を書くために生まれてきた…面白い物語を紡ぎ続けることだけが幸せ、人生だ。その前には道徳も自分の命も取るに足らない。君こそマジで罪悪感感じないのか?ぼくは被害者なんだぞ?」
「見上げた根性だな。今ピンピンしてる人間の、記憶にない話されてもね。リアリティがないんだよ。それに結果論として死んでるのはわたしだ……そうだな、仗助君に相談してから返事するよ」
「あいつは駄目って言うに決まってるだろ?」
「それならそのときはそれまでさ」
「随分信用してるんだな」
「君に関しては彼の方がよく知ってるからね」
 露伴は吉良の隣に座ると、
「しかし分からないな。結局あいつのとこに戻ったんだろ?絶対合わなそうなのに」
「合わないから一緒に居れることもある」
「どういうことだ?」
「互いに必要以上に干渉しない。テリトリーが違うからね」
 短期間のうちに、吉良は学習した。仗助との距離の取り方を。
 うるさい音楽もゲームも許容する。ただし方法はあの家は部屋が二人暮しには多すぎるので、他の部屋で自分の好きなことをする、というものだった。彼の母親は幽霊が見えない、一般人中の一般人だ。もしかしたら自分の息子の特殊能力にも気づいていない。そんな人物なのである程度安心して家の中を自由に移動することができた。
 とはいえ、あんな息子の母親だし、いつどんなことで見えるとも知れないので、極力視界に入ることは避けている。
 そして、人の本質的な部分で彼が賢いということも学習した。例え学校の勉強が嫌いで頭が悪いと目されていても。賢いの反対は、頭が悪いじゃない。ぼんくらだ。

 
 縮刷版が教えてくれたことは、殆どの変死が車道への飛び出しによるものだということだった。
 どういうわけか、突然凄い勢いで車道へと飛び込む事件が多かったらしい。人によっては自殺扱いとなり、到底自殺しそうにない人物は事故死と処理されたのだろう。


 その日の夜。
「吉良さ~ん明日小テストなんだ、勉強教えてよォ」
「自力でやれ。わたしはドラえもんか」
「あーなんかそれ、近いよな、この関係」
 ニヤつく男を前に、心中前言撤回したくなる吉良だった。もっとも、現役を離れて多分十数年、とても現役学生に教えられるものはない気がして、恥をかきたくなかったというのもある。
 仗助は教えてもらうのは諦めたか、背を向け机に向かうと、
「明日また行こうぜ」
とぽつりと言う。
「ビビリは克服できたのか?」
「全然。ってかおれビビリじゃねーって」
「でも、また閉じ込められたらどうする気だ?他にも何が起こるか分からない」
「ま~なんとかなるでしょ」
「一体どうやってなんとかするつもりなんだ?勝算でもあるのか?」
「えーと、友情、努力、勝利?」
「ジャンプかよ…」
「吉良さんもジャンプなんか読むんっスかあー」
「一般教養だ」



「わたしがお前に期待するのはわたしへの修復能力だけだ。だからお前はそこにいろ」
 次の日の夕暮れ時、あの屋敷を前に吉良が路地と表通りの歩道の境目を指差し言う。今日は家の中に入れるつもりはなかった。仗助は駄々を捏ねるかと心配したが、片手を挙げ「わかったよ」と言う。
 吉良は一つ息をつくと、改めて中へと入る。室内はいつも通り、誰かを待つが如く手入れされ端正な様子を見せている。
「しかしいつ来ても人の気配がないな……生活感は満点なのに。住んでるやつは何してるんだ?」
 仗助は、聞き分けよく表で待っていた。あの建物の中では、自分の能力が効くかどうかも怪しかったし、何より足手纏い扱いされたくない。
 中の様子が気になりながらも、表でポケットに手を突っ込み待っていたが、待つのは苦手だった。退屈してきてあくびが出る。振り向き屋敷を伺うと、仗助はあるものを見つけた。
 そのとき不意にあのドアの方から強い風が吹いてきて、彼を取り巻き、吸い込もうとしてきた。
「うわ、何?」
 慌ててその辺の物に掴まろうとするが、掴まりやすい標識などは歩道の端だ。
「くっ、」
 無我夢中でもがくと、引力に引っ張られまいと反対側へ駆け出す。なんとか歩を進め、引力を脱することが出来た、と思ったとき、仗助は大きく目を見開いた。
 彼は勢いあまって車道へ飛び出していた。右手から乗用車が迫る。急ブレーキの甲高い音が響く。このままでは轢かれる……という寸前のタイミングで、スタンドを叩き込み、助手席に座った。
「うわっ、なんなんだお前は」
 突然の同乗者に驚いたドライバーは、仗助を見て言う。
「すいません、危ないんで前見てください、あとその辺の路肩で下ろして」
 若干蛇行気味になった車を心配してそう言うと、理解不能な出来事に頭が着いていかないドライバーは素直に数十メートル先の路肩に止まった。
「あざっす、お気をつけて!」
 下ろしてもらった仗助は、最敬礼で車を送り出した。


「おい、何があったんだ!?」
 表の異変に気づいた吉良が、慌てて通りに出ると、仗助が遠くからのんびり歩いてくる。
「ここにいろと言ったのに、なんでほっつき歩いているんだ?」
 サボったと思いちょっとムカつきながら吉良が言うと、仗助はニヤリと笑う。
「家に引っ張り込まれそうになったんスよ」
「お前が?」
「そ。逃げたら危うく車道に飛び出て轢かれそうになっただけ」
「轢かれそうになった、だと……?」
 飛び出しによる轢死事故。吉良の脳裏を縮刷版の死亡記事がよぎる。
 改めて全身をまじまじと眺め、五体満足なことを確認するとホッと息を付いた。
「おどかすな…やっぱりお前は、心臓に悪い」
「この程度じゃおどかしにもならないぜ。こんな程度でおれに傷一つ付けられやしねーよ」
 吉良はまだ驚きから立ち直れないようで、仗助の肩に頭を預ける。そして仗助を見上げた。その目が驚きに若干潤んでいる。

 仗助は、伏せた目から見上げた顔に思わず吸い寄せられそうになる。互いの身長差は絶妙で、横を向けば丁度キスしやすそうなところに相手の顔がある。その思いの外肉厚な唇はぽってりとさくらんぼのようで、目が離せない。
「今更だけど、あんたって美人だな」
「お前、目と気は確かか?」
 顔立ちもさることながら、ひどく蠱惑的な顔をしていると思う。特に、その目と唇が。
 ――うーん。一緒にいる時間が長すぎるせいかな。確かに美的感覚が狂ってる気がする。
「おい、余りくっつくな。わたしが千切れる」
「そうでした……」
 もう少しで唇が触れるとこまで吸い寄せられていた仗助は、その一言ではっとして身を離す。
「あんたにキスしたらどうなるんだろな。唇取れちゃうのかな。きっしょいだろーなー」
「自分でも想像したくない」
 唇を抑えて心底嫌そうに吉良は言った。



 広瀬康一はその日、犬の散歩がてら買い物に駅前に向かっていた。
 通りを歩いていると、とある路地の入り口に仗助が立っているのが目に入った。寄っていくと声をかける。そのとき連れていた犬が路地に向かってしきりに吠え出した。
「ポリス、どうしたんだ」
 犬の吠えているほうを見て、康一は仗助の後ろに人が立っていることに気づいた。そしてその顔を認めると、驚愕の表情を浮かべる。
「ああっ、お前はっ」
「仗助くん、この人はわたしの知り合いかい?」
 腕組みをして不思議そうに吉良が言う。
「いいやっ、初対面だよ、なっ康一?」
 仗助は威圧感丸出しで康一を睨み付ける。口元だけがかろうじて笑った形を取っているが余計怖い。
「う、うん…はじめまして」
 気圧され康一は首を縦にふった。
「康一、こちら吉良さん。吉良さん、こいつ広瀬康一、学校の友達」
「そうなのか。はじめまして」
 ――そんなっ、仗助くんどうして…
「康一、吉良さんは記憶がないんだ。優しくしてやってくれ」


 ――あの吉良は幽霊だ。仗助くん取り憑かれてるんじゃないかなぁ。心配だ。
 二人と別れ、大分過ぎたところで康一が路地を振り返ったとき、誰かが肩を叩いた。
「やあ康一くん」
「うわ、露伴先生」
「犬の散歩かい?この辺で仗助たち見なかった?」
「そこの路地にいましたよ。…先生、仗助くん大丈夫でしょうか。取り憑かれてるんじゃないでしょうか」
「ん?二人一緒なのか。康一くんも吉良に会ったのかい?」
康一がうなずくと
「平気平気。クソッタレ仗助がどうなろうと知ったこっちゃないがむしろ取り憑かれてるのは吉良の方だな。付き纏われてるというか」
「えええ?」


「おい、あの子は本当に初対面か?わたしを知ってる風だったが」
「…初対面だよ。吉良さんを知ってる芸能人かなんかと間違えたんじゃね?派手だし」
 そう言われて吉良は仗助の派手な学ランやリーゼント、さらにはピアスまでマジマジと眺め、
「お前に派手呼ばわりされるとは心外だな」
と言った。




 吉良は帰る道すがら仗助から事故時の状況を聞くと、おそらく変死した死者達も同じ目にあったのだろうと推測した。
「お前のおかげでなんとなく掴めてきた。礼を言う」
「おれを相棒にしてよかったろ?」
 親指で自分を指しながら自信満々に言う。
「ん?うーん…相棒というより助手だがな」
「あの漫画家野郎なんかより百倍適任だぜ」
「そういえば、あの漫画家先生、昨日わたしを手伝いたいと訪ねてきたぞ」
「何っ?あの野郎、勿論断ったよな?」
「さぁーね」
「断れよ。懲りないな」
「ふふっ……それにしてもなぜお前だけが引っ張り込まれたり、閉じ込められたりするんだ?もう一度あの家の来歴を調べる必要があるな……」
「ところでさ、今日こないだ壊したドアは壊れっぱなしだったか?」
「ん?いや……そういえば、見た目壊れてはいなかったかな?なぜ?」
「いや、まあ、別に」
 吉良が不思議そうに聞くと、仗助はやけに含みを持って返事した。

「ふぅ今日も凄く疲れたな。シャワー浴びて寝よう」
 家に帰り着き、自室に引き取ると、吉良が帽子を取り髪をかき上げ言う。
 シャワーの単語に反応し、仗助は振り向き吉良を見た。見慣れたいつもの吉良のスーツに目が釘付けになる。
 カットワークの入ったその服は、肌色が覗けて一瞬ドキッとしたが肌色は裏地のようだ。しかし素肌に直に着ているから、大きく開いた胸元が覗ける。
 仗助の視線に気づくと、吉良はなんとなくいたたまれず身を捩り、「なんだ?」と問う。
「いや、あんたのその服さ、どーいった趣味なの」
「別に好きで着てるわけじゃない。気づいたらこれを着ていたんだ。私の趣味じゃない」
「そっか、なんか安心した」
 趣味じゃないのは安心したが、挑発的なのは変わらずで。いったん目を逸らしたら何か恥ずかしくて今度はチラ見しかできない。
 吉良の後にシャワーを浴びながら、仗助は考える。
 ――今日のオレ、なんかおかしくね?なんであいつにドキドキしなきゃなんねーんだよ。おれって優しいし、同情が横滑りするタイプかな。いや吊橋効果かな。こんなんで吉良好きになってもな……ちょっと待てよ。なんでおれが吉良のヤローを好きにならなきゃなんねーんだよおかしいだろ…
 これも全て同居が悪い。一緒にいる時間が長すぎるのがよくない。
 でも、面白いから出て行ってほしくはない。
 ――気のせい気のせい。ひどくなったら取り憑かれてることを検討しよう。
 仗助はそう決めると少し心が軽くなった。
 ――とりあえず、抜いとこ。

こんなこと書くとこいつ大丈夫か?と思われそうだけど、この話のネタの出方はおかしい。ちょっと詰まっても最適なネタがすらすら出てきすぎる。まるで何かに書かされてるみたいな、量は少ないけど長いこと書いてきてて初めての不思議体験です。特に手に負えないだろーなーと思ってた本筋、幽霊退治のネタが脳内でラストまでスラッと繋がったときは正直ゾッとしました。まぁたいしたネタじゃないけどね。もうラストまでアウトラインは書けた。あとはもう少し肉付けするだけ。

Copyright 2005 Lovehappy All Rights Reserved.