昨日の敵は、今日の相棒(とも) -5- Killing me softly

 かの家は、尼僧の言った通り、帝国軍人の家だった。
 この辺でも指折りの名家と名高く、家族や使用人も沢山住んでいた。しかし駅前という好立地であることから、周辺にも家や店が立ち並び、太平洋戦争末期には空襲候補地として目を付けられたのだろう。
 家主である男は将校なので、戦地へ行ったきり留守にしていたが、度重なる空襲に、屋敷に残っていた家族も使用人も、田舎の方へと疎開していた。無用心になるので、ごく少数の家守を残して。
 これが家が吹き飛ばされ、焼け落ちたのに幸いにして死人が一人も出なかった理由である。
 主人は戦後復員してくると、辺り一帯は焼け野原、家が無くなっている。その駅前の土地は売り、郊外の山の手の方へと新しい家を建てて家族を呼び寄せ、住んだらしい。
「家族のいなかった、家か……」
 吉良は古い新聞を閉じる。
「じゃあ一体、あの家には誰が住んでいるんだ?誰がターゲットなんだ?使用人か?まさかあのけったクソ悪い卵じゃないだろうな…?」


 次の日、学校で会うと康一は悲痛な表情で仗助に話しかけた。
「仗助くん、昨日のアレ……あいつだよね?」
「ん?んー、まあな」
「大丈夫なの?……ぼく、仗助くんが取り憑かれてないか心配で心配で、…」
 仗助は腕を組み眉間にしわ寄せ、渋面を作ると、
「やっぱそう思うか……?実はおれもちょっと心配してるところだったんだよ……」
 康一は仗助の腕を掴むと、さらに必死に、
「うわああ、やっぱり?だっておかしいよ仗助くん、あいつをかばってぼくを威嚇するなんて。大分キちゃってるよ、もう、会わない方がいいよ絶対に!取り殺されちゃうよお!」
「ははっ、大げさだな。冗談だよ、冗談。あいつは記憶がねぇ~んだ。結構面白いやつだぞ?」
 仗助は一転明るい表情で、手をひらひらさせて去りかける。
「面白いやつだなんて、そんな……絶対危ないって」
「今のお前もすげー面白かったぞ」
 仗助は思いついたように振り向くと、
「億泰には言うんじゃねーぞ。面倒だからな」
「……っ、そうだ、億泰くん…億泰くんなら…それがダメなら承太郎さん……」
「おい、前言撤回。億泰だけじゃねえ、誰にも言うな。もし誰かにチクったら……」
 仗助は目を細める。
「わたしの康一くんに何か脅しをかけてるの?」
 そのとき仗助の背後から声がかかる。
「げえっ、由花子、いえ滅相もない。……康一、頼んだぜ」
 仗助はその場から足早に立ち去った。
「今脅されてたでしょ、康一くん」
「う……いや、なんでもないよ」
「そう?」

 ――事情を説明してないとはいえ、康一にはあー見えるんだな。気をつけないと。
 まだまだ案件は解決してないし、別れさせられるのはもっとイヤだし、自分がのめりすぎて取り憑かれているように見えないように振舞わなくては……と考える。
 そしてまたふと気付く。
 ――別れるのがイヤって、一体いつまで一緒にいる気だ?おれ……あれ、終わりの日全然想像してない。
 来ない方が非現実的だと思いながらも、そんな日が来ることを思っただけでなぜか胸苦しい。
 百聞は一見にしかず。康一の怯えを払拭するには、もう一度しっかりと吉良と会わせ、今の人となりを知って貰うのが一番かも知れない、と思い立つ。
 ――億泰ならまだしも、承太郎さんなんかにチクられちゃたまったもんじゃねえ。別れさせられるだけならまだマシ、ヘタすると、あいつ……
 そんな目には合わせられない。合わせたくない。




 それは土曜日のことだった。母親は学校の用事で出かけていた。
 お昼時、カップ麺を作ろうとしている仗助を見かねて、吉良が声をかける。
「料理、作ってやろうか」
「何、いきなり急に」
「なんとなく。それじゃあんまりだろ?」
 そう言って危うく蓋を破られるところだったカップ麺を指差す。
「しかしお前、休みの家にいるときもその頭か。誰も見ないぞ?」
「あんたが見るし……いつ宅急便が来るかもわかんないだろ?」
「ちょっとおかしいよお前。あと禿げるぞ」
「………」
 ハゲ、と言われて気になったか、仗助は前髪の庇をなでる。
 死んで、記憶を失って、一度もそんなことしたことも、したいと思ったこともなかったのに、なぜか手は器用に料理を拵えていく。
 ――この記憶はどこから来るんだろうな。まさか、本当にマスキング…?
 淀みない自分の手が、他人のもののように見えてくる。
「うまっ、さすが元独身貴族。吉良さんいいお嫁さんになれるよ」
 ダイニングで、作って貰った盛り付けも綺麗なこじゃれた料理を頂きながら、仗助が言う。
「……誰の?」
「…………」
「間違った、誰が?だ」
「…………」
「おいなんか言え。お前がノーリアクションだといたたまれない」
 仗助は目を伏せ丁寧にティッシュで口元を拭うと、隣に座る吉良に改めて向き直り
「……なんであんた、幽霊なんだろうな」
と静かに言った。
「…………」
 なんとなく目が反らせないものの、吉良も返答に困りノーリアクションにならざるをえない。
 仗助はテーブルの上に投げ出されていた吉良の手を掴む。握りこんだ途端、吉良の手がもげた。
「おい」
「あ、」
「何度失敗すれば学習するんだ」
「わり……」
 しかし何か思いついた顔になると、
「……この、もげた手をおれが預かってれば、あんたはどこにも行かずずっとここにいるのかな……」
「おいやめろ。なんだその思い詰めたような表情は。怖いぞ。……悪いがなくてもわたしは好きなときに好きなところに行くぞ?最初に会ったときみたいにな」
「………」
 しかし手があればどこにいても居所は分かる。かつての吉良とは違う意味で、手に執着してしまいそうな自分に仗助は動揺を隠せない。
「あれが解決したら、あんたどーすんの?」
「さてね。……まだ何も考えてないな。おい、それ、返せよ」
「……おれが、直してあげる」
 腕に触れるか触れないかの距離で直す仗助の俯いた顔を見下ろしながら、
「今日のお前……、いや最近か?ちょっと気持ち悪いぞ」
「分かってる」
「自覚あったのか」
「自分でもなんだこいつキメェって思ってる」



 ――この件が終わったら、か……
 その問いは、吉良にとっても意識外、青天の霹靂のようなものだった。
 ――やはり、出ていくべきだろうな。でも、最初は合わないし居心地がいい、ってわけじゃないって思ってたけど、今更一人に戻るのもなんか欠けた気分になるな……
 あの賑やかさが、結構楽しい毎日を提供してくれているのは否めない。そして、うるさいようでいて、押し付けがましくないさりげない優しさを、ごく自然に発揮することが出来る。それが予想外で、居心地が悪くない。いや、正直に言えば、居心地がいい。
 ――もっともそれも、ここ最近は別だがな。
 直して貰った手首をさすり、ため息をつく。
 ――そんなつもりは微塵もなかったけど、やはり、幽霊が生きた人間にあまり近づきすぎるのは良くないのかな……?こんなことは初めてだから、よく分からない。あの家に関しては、一つの仮説が大分固まってきている。次に行ったとき、それをぶつけてケリが付く気がする。しかし、そのあとは、どうしよう……?
 なぜかやや憂鬱になりながら、はたと気付く。
 ――まだ、出会って転がり込んで、半月程じゃないか……なんだかもっと長く一緒にいるような気がする。



 触れたい、と思っても、触っただけで、ちょっと握りこんだだけで脆く欠けてしまう幽霊の吉良に対しての、自分の生身がこんなにもうらめしいものだとは思ってもみなかった。
 一度思い切り抱きしめてみたいだけだ。それが叶わないから妙なストレスというか欲求不満が溜まるのだ。それだけのことだ。
 ではなぜそんな欲求が生まれてくるのか。それに対する答えは出てこない。
 仗助はふと鏡が目に入って、映っている自分の顔を見る。
 ――これではまるで、本当に取り憑かれてるみたいだな。
 今日の昼も、良い機会だから康一を呼ぼうかと一瞬考えたが、なんとなく二人の水入らずな時間を邪魔されるようで、やめた仗助だった。
 ――マジでキメーよな。こんなの、おれじゃねーって。
 そう思いながらも、目は自然と隣の吉良のしなやかな身体を追う。
 ――でもやっぱ、触れてみたい。抱きしめてみたい。そのためには……生きてちゃダメなんだよな。ああ、これって、完全に……
 なんともいえない視線でもって見られている実感のある吉良も、気まずい思いにさいなまれる。いっそどこかに出かけようか、気分転換に。取りあえず片づけだ。そう思って立ち上がったときだった。
「……やっぱおれって、あんたに取り憑かれてるのかなぁ」
 仗助がまるで睨みすえるようにじっと見詰めたあと、おもむろにそう言う。
「死んでもいいと思うとか、これって取り憑かれてるよな、やっぱ」
「急にどうした。わたしは取り憑いてなんかないはずだが」
「いや幽霊と同居なんてやっぱ危険だったんだよな。…死にたいと思う日が来るなんて」
「死にたい?お前が?なんでまた」
「だってあんたに触れるには生きてちゃ駄目なんだろ……?今スゲェ触りたいのに、触れないなんてさ、死んだ方がマシだよ。こんな思考に陥るなんてさ、取り憑かれてるんだよな、やっぱ」
「………」
「なんだろうな、魅入られてる。ってやつなのかな。ヤバイ」
 この蠱惑的な幽霊に。仗助はもどかしさを持て余していた。
「……お前らしくないこと言うな。さんざん死にたくないって言ってたろ?わたしだってわたしのせいで死んだとか言われたくない。お前は生きていろよ」
「殺してよ……」
「無理だ……殺したくなんか、ない。理由がない」
 吉良がそういうと、仗助は引きつるように笑った。
「……知ってる?あんたとおれは殺しあった仲なんだって」
「……何?」
「敵としてさ。命の遣り取りした同士なんだよおれたち。あんたがどうして死んだか、教えてやろうか?」
「……やっぱりお前も敵か」
「あんまり驚かないんだな」
「わたしだってバカじゃない。……お前の言動を見ていたら薄々以上に分かる。なぜかお前がそれを隠したがっていたこともな」
 それを聞き仗助は大きく息を吐くと、目を上げ見詰める。
「復讐のチャンスだよ。殺したくならない?」
「……記憶にないことは、実感がないな。リアリティがない」
「殺してくんないんなら……キスしてよ」
「何言ってるんだお前は」
 仗助は追って立ち上がる。そのまま吉良は覆い被さるように壁に取り込まれ、顔が寄せられる。
「殺すかキスするか、さあどっち?」
 殆ど唇が触れる寸前でそう迫る。
「無茶苦茶だな……」
「直接手を下すのがイヤなら、あの、銃の幽霊でおれを撃つ手もあるぜ。撃ってみろよ」
 吉良も仗助の顔を見上げ、じっと見詰めあう。真正面から逸らさず見詰め合っていると、吉良の身内を気恥ずかしさと、切ない何かと、ぐずぐずと体を溶かすような何かが体の奥底から犯してゆく。
 ――もう、どうにでもなれ――
 吉良は目を閉じると、ゆっくりと肩に手を回し、初めての唇を重ねた。


「一体お前は、何者なんだ。ただの高校生じゃないし、殺しあったとか。一体生前のわたしは何だったんだ……どうしてお前はきちんと教えてくれない」
「……まだ、言いたくない。言えない」
「クソッ、なんでわたしがこんな想いしなくてはならないんだ」
 いくら好きでも、生きた人間と死んだ人間では行き詰まりの関係だ。一生死人を思って生きていくつもりなのか。まるで未亡人じゃないか。
「そんなこと後回しでいいからさ、今はもっとキスしてよ」
 そう言われれば、唇は勝手に相手の唇に柔らかに吸い付く。






「もう一回……」
 初めてのキスから、その後何度したか数え切れない。だんだんと舌をすり合わせ、問題ないと分かれば少しずつ絡めてみる。そうして加減を探りながら回数を重ねた口付けに、身体は熱くとろけきっていた。
「今日のところは、この辺で満足しておくか」
 チュッとリップ音を立てて唇を離すと、仗助は軽く口をぬぐって言った。
 ひとまず欲求不満は収まったか、さっきまでの危うい暗さはない。
「………」
 一方吉良は、相手優位に進められ、流されてここまで来てしまった自分に、ふがいないものを感じ何か一矢報いたい、と食卓の食器を見、台所を見、軽く水洗いして置いてある包丁に目が留まる。
 そのままそれを取って返すと、仗助に向ける。
「えっ、何?」
「死にたいんだったよな?」
 笑って言うが、目は笑っていない。
「えっ、いやいや、冗談、もう全然死にたくないから」
「このコマシ野郎、」
「おれ純愛タイプよ?いいからそれ片付けてこいよ。こえーよ。余韻も何もねーなあんた」
「復讐のチャンスと言ったよな?」
「終わり、終わり、その期間はもう終了しました、ありがとうございました。いーから早く片付けて」
 仗助のうろたえる様を見て少し溜飲が下がった吉良は、一つ息を付いて片付けに戻る。
「あー全く、びっくりして萎えちゃったぜ。助かるけど」
 背後でぶつぶつ言う声が聞こえる。吉良は思わず食器をシンクにぶつけた。
「おい次は私の番だぞ」
「ん?」
「わたしがどうして死んだか、教えてもらおうか?」
 それを聞くと仗助は半笑いで答える。
「あ~それね……。そうだな、吉良さんがおれに抱かしてくれたら教えてあげる」
「な……!そんな日くるわけないだろう?教える気がないんだな?」
「そうは言うけど、あんただって本気で調べたけりゃ、分かるはずだぜ。調査で図書館とか行ってんだろ?そこまで本気で知りたくないんじゃないのか?」
 そう問われて、吉良は黙り込む。
「まぁ安心しなよ。おれ頑張ってなんとか方法見つけるからさ。待っててよ」
「そんなことばかり熱心なんだな。エロガキめ。………わたしがお前を抱く、という方法があるぞ。これなら問題ない」
「えー……それはお断りします」
「全くムカつくガキだな」
「なんでそんなに不機嫌なんだよ。折角両思いになってラブラブ、ってとこなのに」
「お前みたいなのには分からん。男としてのプライドが……」
「なんだめんどくさいなー。好きならそれでいいじゃん」
「じゃあやっぱりお前が抱かれろ」
「えー絶対イヤだぜ。大体あんた本気でおれ抱きたい?」
「………」
「全く負けず嫌いでプライド高くて、扱いにくそうったらないぜ」
「悪かったな……でも、そんなわたしが、好きなんだろう?」
「うわ、立ち直り早っていうか、なんか妙な自信付けやがった。ちょっと昔のあんたっぽい」
 そう言って一人笑うと、
「早く部屋行こうぜ。もっともっとキスしたい」

いやいやもうちょっとエピを重ねてちょっとずつ押したり戻したりすべきじゃないのかと思いながらも勢いついちゃってこの有様よ。急すぎて付いてこれなかったりしそうw笑い事じゃねーw

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