ブレイクスルー4 -39-

 余所では、余り熟睡できない。
 特に神経質なわけではないと思う。だけど、家では寝ぎたないおれが、人様の家や旅館では、驚くほど早く目が覚める。
 早すぎて、二度寝してしまい、結局本格的に起きるのは居合わせたメンバーの最後…というのが、おれの定番なのだが。
 というわけで、ここでもふっと意識が浮き上がるような感じで、物凄く早くに目が覚めた。カーテンから漏れる白々とした光は、紙のように光沢がなくて、しーんと静かで、その様子が、まだまだ、日が昇って間もないのだと知らせてくる。
「………」
 股間に、感じる。目覚めのたいそう良いらしい息子さん。
 おれは別にほんとの不全?不能?ともあれそれじゃないから、こうやってちゃんと機能は働く。それがそのときには怖じけて、または罪悪感で、却ってヘナヘナするだけ。
 はぁっ、と溜息がもれる。寝返りをうつと、目の前に高階クンの後ろ姿。規則正しい深い寝息が、聞こえてくる。
「………」
 多分。まだ5時台。人の家で、どうしようもないから、やっぱりもう一度寝てしまおう……と目を閉じて、またすぐにぱっと目を開けた。
「ヤバイ!」
 そしてそう声を出す。
「……何?」
 寝ぼけ声で、むにゃむにゃと高階クンの背中から声がする。おれはそのまま跳ね起きる。
「うわっ、どうしたんです、赤城さん、」
と今度は高階クンも振り返り、目を見開く。
「はよ起きて行かな……!」
 仕事残ってた。ここで起きないと、大変なことになる。絶対。
「ああ……」
「ごめん。起こして。おれもう出るわ……」
「待ってください。おれも起きる」
「え。でも……まだ早すぎるで」
「折角目が覚めて、赤城さんと二人きり、一緒にいられる時間を少しでも長く実感できるのに、勿体なくて寝てなんかいられるかい」
「………」
 起き直ってるおれを寝たまま見上げて、笑う彼の顔は、珍しいメガネナシで、まだ寝起きのだるさに覆われていて、自然微かで穏やかな笑顔になる。おれはつい顔が熱くなる。
「………低血圧の、くせに」
 昔。初めての朝。確か彼はおれ以上に寝汚かった。それが……朝っぱらから、こんな殺し文句を聞こうとは。目が、思いっきり覚めた。
「はっ、」
 思わず息が、声が漏れる。高階クンが、覚醒してきたかいつものニヤリな笑みを口元に浮かべる。
「……元気そうですやん。朝っぱらからエライ張り切ってはる」
 彼の手は、おれのもんの上を撫で回していた。
「君こそ元気、へこたれへんよな。昨夜あっさり撤退したくせに、」
 そう言いながら彼の手をぴしりと叩き、追い払うと、いってーとわざとらしくその手をさすりながら、高階クンが言う。
「……別に。今から始めてもいいんですよ?準備万端のようですし。まだまだ充分すぎるくらい時間ある……朝から幸せになりましょうや」
「そんなん、幸せとちゃう……そんな時間ない。君は1人で、寝とけ」
「じゃ鎮めてあげるから。朝のオシッコ大変ですやん」
「君には関係ない」
「ケチ」
 ほんとに、立ち直りが早いというかなんというか……感心するよ。まったく。
 でもその裏に、彼の強さが見え隠れして、ちょっとばかりドキドキしてしまうのは、だめだぞおれ。
 徐々に強さを増す外の光の中、起き出し歯を磨いたり顔を洗ったりしている間、高階クンが珍しく(多分絶対)コーヒーを淹れてくれた。朝のコーヒーの匂い。いい匂い。顔を拭きながらリビングに行くと、「はい」とカップを渡される。
 おれはテーブルの前に座ると熱いコーヒーを啜った。

「……じゃあ、先に出て下さい。道分かりますよね?」
 シャツの袖口のボタンを留めながら、俯いている背中が言う。決して逞しくはない背中だけど、朝日を反射した真っ白いシャツが妙に広く見える。彼が向こう向いてるのは、おれの着替える姿を見ないためか。
「なんで?おれ車やし。一緒に……」
 すると振り向き様、寝室の戸の近くにいたおれの行く先に立ちふさがるように、戸口にダンと音を立てて手を着く。びくっとする。びっくりして、肩をすくめてしまった。目の前にある高階クンの顔は、挑みかかるような彼らしい顔。おれはじんわり冷や汗を感じ、鼓動が乱れる。
「別におれはかまいませんけど。一緒に行っても。むしろ望むところというか。赤城さんはおれと一緒に出勤してもええの?」
「あ……」
 そうだった。おれってほんとに、マヌケ。
「ごめん。おれほんまマヌケで!……」
 おれはするりと、手早くそこをすり抜け、「お先、」と慌ててカバンを掴んで彼の家を飛び出した。
「やっぱ、ばれたくないねんな……」
 微かにそんな声が聞こえた。
 ごめんね、高階クン。おれ、やっぱりばれたくない。なんでだろう。波風立つのがイヤなので。…それも、ある。面倒ごとがきらい…事なかれ主義だから。まぁそれもある。おれってほんとにダメ男。車を運転していて、ふっと原田の斜め後ろの姿が思い浮かんだ。高階クンよりずっと骨を感じる、広い肩幅に、サラサラの髪。伏せられた睫は結構長くて…色気のある横顔…でも彼の、おれの大好きな明るい性格が、どこか滲み出ている、おれの眩しいもの全てを持つその姿。たった1日なのに、懐かしくて、恋しくて胸がぎゅっと締め付けられた。
 今更ながら、どうして彼がおれなんかを好きになってくれたんだろう。と思い始める。いや、折に触れいつも思うけど。こんなに長い間、幸せを安心を注いでくれるとは思わなかった。ある日突然差してきた日光のように、おれのモノクロームの世界を明るい原色タップリの色付きの世界に変えてくれた。
 いつだって夢みたいだった。原田がおれの横に、常にいること。おれに与えてくれた言葉の数々。
 今も夢のよう。いや、夢だったのではないかと畏れてる。昨日の夜、原田の中でおれへの思いは完全に冷めてしまったのではないかと。彼は目が覚めてしまったのではないかと。
 ぎゅっと、おれはステアリングを握りしめる。その手に、指輪がないことに、心許なさと、物凄い後悔が去来する。
 もうダメかもな…おれは、自信がない。
 一旦おれから目を外してしまった相手を、取り戻す自信が。どんなことをすればいいのかも分からない。
 ……でも、不思議なもんだ。何故昨夜、原田が出ていって、おれが家に取り残される、という展開にならなかったのだろう。
 家はおれ名義、この車は原田のものだ。それが、自然と何の意識もなしに、原田がおれの家に残り、おれは原田の車で飛び出してきた。
 まだ、糸はたぐり寄せられる……
 その、見えない糸を引くように、おれはもう一度手に馴染むそれを握りしめた。

さあさあどうなるんでしょうこのゼイタク男(笑)こっちにも1人回してよ……

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