ブレイクスルー4 -30-

 午後の仕事をしていると、原田が帰って来、入れ違いのように高階クンが出ていく。
「いってらっしゃい」
という鈴を転がすような美奈ちゃんの声が響く。
 FMとキーを叩くことだけが響く、静かな社内、静かなひととき。
 原田の吸うタバコの煙が、無風の中たゆたう。
「あっつ、」
 そう言って高階クンが戻ってくる。原稿の入った封筒を机に投げ、手に持っていたジャケットもその上に乱雑に置き、ネクタイを緩めている。
 そしてひとつ息を吐くと、襟元をばたつかせながら原稿を手に寄ってくる。
「原田さん」
「ああ……チラシやっけ、何やったん?」
「うーん。それが……」
 高階クンはかなり懇意にしてもらってる小さな代理店のクライアントさんのところに行っていた。
 なんでも急ぎのチラシがあるので、申し訳ないけどどうしてもやってくれないか、ということで慌てて出て行った。
 彼はおれと原田の間のサブの小テーブルにばさりと原稿を置くと、
「これ。……」
「ウッ、住宅チラシ……」
 原田がイヤそうに言う。
「図面とかは?描き起こしちゃうやろな」
「大丈夫です、いえちゃんとデータが、」
「CADやったら知らんで」
「大丈夫です、画像になってるらしいです」
「まぁおれどうせ出来ひんから。赤に説明しといて」
 そう言ってモニタに顔を戻す原田と、おれを見て口元をにんまりと歪める高階クン。
 渡された手書き原稿や、見取り図、その他色々、資料を出しながら高階クンから説明を聞く。淡々と仕事を済ませていると、終わり際原田が価格表を横からひょいとつまむ。
「いくら……20坪3LDKで2,200万?」
「相場ですね」
「赤。いい加減マンションでも買わへん?いつまでもあんな狭い賃貸にいてんと、」
「え……」
 なんか刺すような視線を右手から感じる。勿論、高階クンがメガネの底から静かにおれを見ている。
「マンションはいややわー。あの地震のこと思うと、……それでなくても最近立て替えで揉めるニュースとか見るやん?資産価値もあてならんし、」
「でもおれら、もう充分溜めてるやん。合わへんで。おれはあの狭いのんほんまはいやや」
「殆ど寝に帰るだけのくせに……」
「せやから大きいベッドが欲しい」
 原田がおれを見てニッと笑う。おれは俯き顔が熱くなる。
「あの部屋やとあれ以上デカイのん入れられへんやろ?まさかリビングにデンと置くわけにもいかへんし。よう落ちてるやん、お前も、」
「………、仕事中に、へんな話題振るな、」
 すると原田はくすりと笑い、顔を寄せ、人差し指でおれのでこを弾きながら、
「お前何考えてんねん。何想像してん。やらしいやっちゃな~~……それしか頭にないねんな。おれが言うてんのは、夜眠ってるときに寝返り打って下に転がり落ちてるやん、てこと」
 そう言って原田は高階クンに意味ありげな目を向けた。高階クンは、相変わらず口元を歪め、原田を見返す。
「お前をそんなつまんないことで傷物にしたり、腰打って老けさせたくないし、」
「老け、は余計じゃ、」
「そやったらさ、マンションがいややったら、一戸建て買わへん?建て売り」
「……」
 思わず黙る。おれは性格的にも、賃貸が向いているのかも、と随分前、ほんとの1人暮らしだった頃から思っていた。どこかに大金をかけて腰を据えるということに、後込みしてしまうのだ。その辺に隠しようもないおれの業、というか本能のような性格が潜んでいると思う。おれは常に自由な流浪者でいたいのだ。いや、腰を据える度胸がないのだ。そうやって多分一生囚われる物を得、どっしりと構えて地域の一員になって。それが何だか、いやだった。怖かった。常に半ケツで腰掛けてる、いつでも逃げを打てるという不安定な状態で、おれが安定した心持ちを得る、そんなダメな自分を今更変えることは出来なかった。
「…町内会とか入って、地域の行事に出たり役員が回ってきたり、……近所の子連れ奥さん達にも不審がられ、」
「……チェッ。おれは欲しいなぁーおれたちの、スイートホーム、……なぁ高階も、そう思わへん?」
「赤城さんも嫌がってはんねんから、大体家なんか買うたら別れるときしんどいでっせ」
 高階クンはおれをずっと挑戦的な目で見ていたが、今度その目を原田に向け、冗談ぽく言う。
 原田は灰皿に置いておいたタバコをすうっと一口吸い、口元で笑って煙を吐き出しながら、
「心配せんでもええで。おれは赤を離さへんから」
と高階クンを見据えて言った。

ついに30!うー眠いっ。すみません取りあえず寝ます……

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