ブレイクスルー 3 -11-

「コーヒー、淹れますね……」
 おれは自分の席を立つと、フロアの片隅にあるユニマットのコーヒーメーカーからコーヒーを二人分淹れた。
 なんとも気まずい居心地の悪さ。
 二人残され、まだ30分も経ってない。潮崎さんは自分の席で、版下のチェックをしたり、色々下準備をして待っている。
 おれは、特にすることもないので、ぼけーっと自分の席に座って、カウンターにある新聞を読んだりしてヒマをつぶしている。
 コーヒーを二人分両手に持って、潮崎さんの席まで持っていった。デスクに置くと、
「ありがとう。…座ったら?」
とおれを見ず、横の席を顎で示す。どうしようか迷ったが、素直に座った。
「滝本さん……、いい性格してますよね」
 そう言うと、
「あいつがあんなヤツやって言うことは、もう分かっとったつもりやったけどな、…」
と彼は溜息付く。
 この話の最初の方、帰りがけに版下持った潮崎さんとエレベーター前で会って、
「待っとれへんからって、帰ったよ」
と彼が言っていた営業も、滝本さんだった…。
 そこで、話がとぎれる。
 あの話、するなら今しかない。というか、あの話を避けて、何を話しても気まずいだけのような、…と思い、彼を上目に盗み見る。いつもの陽気な雰囲気を纏っていない、素の彼は切れ長の目が印象的な、冴え冴えとした容貌の持ち主だった。
 その横顔につい見惚れながら、彼の場合、ムリにそのことについて話すのは、良くないことかも知れない、と思い始めていた。まだ彼の中には、迷いがある。おれが好きだとして、そのことへの、抵抗が彼には確かにある。「好きか」と訊ねて、肯定の答を引きずり出すのは、彼の良識を崩すことになりかねないのではないかと。
 彼は、軽々と常識の垣根を飛び越えるような、そんなことの出来る人ではない。そんな彼を、追いつめるようなこと、してはならない。
 そんなことを思いながら、ぼけっと見ていると、彼が目を伏せ、一息吐き、口を開いた。
「あの子は、君のことが好きやと言ってたな」
「えっ?」
「おれも、好きや」
 そんなに大きな声でない、でもしっかりとした口調で彼はそう言うと、目を開け、ゆっくりとこちらを向いた。
 何か吹っ切れたような、真っ直ぐな眼差しで、おれを見ている。目が離せない。そのまま見つめ合う形で、動けずにいた。
 原田や高階クンとは違う、静かで真摯な彼の告白は、切なく、そして甘く静かにおれの心を震わせた。
 やがて固まった時を溶かすかのように彼が動いた。おれの座っている椅子の背もたれに片手をかけ、身体を寄せてき、間近で見下ろしている。
「潮崎さん、……」
 その唇を、塞がれる。優しく、かすめ取るように触れたあと、ゆっくりと重ね、吸われる。
 おれはなぜだか抵抗できず、拒みもせず、彼の唇を、舌を許した。
 やっぱりおれも好きだ。という思いが全身を支配し、彼を求めるのをとどめられない。ああおれって、ダメなやつ…。でもおれも今どうしようもなく彼が好きだ。彼が欲しい、と思う。
 彼が唇を離したとき、いつの間にか彼の背に回してしまっていた腕を外し、彼を見上げ、
「潮崎さん、おれ……、あ、田辺さんは、……」
 すると彼は少し引きつった表情で、
「田辺さん……?曽根君に、聞いた……?」
「いや、こないだ暗室から出てきたし、さっきも…だからそうかなと、……」
 そういうと、彼はおれから目を外し、
「一応な…でも、まだ何にもしてへんで。電話一回しか…そんな気に、ならん…」
「……」
「……君こそ、奥さん、いてるやろ……?こんなん、許して、ええの…?」
「……」
「君にいてんのは、……君のつれあいは、……ほんまに、女……?」
 苦しくなって、目を伏せ顔を反らした。
「でも、そんなこと、どうでもええわ…そんなこととは関係なしに、君のこと、好きや…」
 そして、柔らかく、でもきつく抱き締められた。
 肩に顔を埋められ、彼の熱い息を感じる。鼓動が早くなり、何か呪文でもかけられたように身体の自由を奪われる。そうしているうちに、彼の唇が、首筋を吸う。
「…あ…っ」
 不意に声が漏れた。恥ずかしくなり、おれは唇を噛みしめ、彼のシャツを強く掴んだ。
「潮崎さん、…ダメです」
「一度だけ、…」
 彼が言う。
「いつクラが来るか、…」
「来る前に、電話してくるって、言うてたやん…」
「潮崎さん、」
 彼はおれから離れると、ドアまで行き、カギを閉めた。
 期待と、不安と、罪悪感と、……色々なものがないまぜで、思い乱れてドキドキする。でも身体は、既に激しく疼いている。
 許して…今だけ。心の中で、おれは詫びた。殴られても、何されてもいい。だけど、今だけは…。
 忘れることを、許して欲しい。


 長い口付けから解放されると、彼は頭を下げていき、右手でシャツのボタンを外し、片方だけ押し開くようにはだけ、乳首に舌を這わせた。
「あ……」
 頭を支えていられなくなり、のけぞり、声が漏れる。彼は、吸い、転がし、ついばみ、…周辺を執拗に舐められる。
 校正用の空きテーブルに半分身を起こしたような状態で、彼の左手に抱かれながら、おれはだんだんと力が抜けて背を白い合板の冷たく硬いテーブルの上に預けていく。
 あれから彼はおれを真っ直ぐ見据えながら自分の席まで戻ってくると、暫く互いに熱っぽく見つめ合ったあと、彼は黙っておれの腕を取り、立ち上がらせると、この、テーブルまで引いてきた。
 そして腰掛けさせながら、口付けられた。
 彼がいつまでも吸い付いているそこから、さざ波のようにゾクゾクとした粟立つような感覚が全身に広がっていく。おれは彼の頭を、強く掴み、引き寄せる。そうせずには、色んな意味で、自分を支えていられない。
 荒い息と共に、声が漏れ出るのを止められない。
 彼は舌をじわじわと下げつつ中心へ寄せ、這わせていく。へその周りを辿られ、緊張が膝を立て完全にテーブルに乗せている左足の先まで走る。右足はテーブルの下に垂らし、潮崎さんはその右足を挟むようにして、おれに覆い被さっている。
 おれの反応に彼はへそをえぐり、更におれを煽り立てた後、右手で服の上からすっかり昂まってるものを何度か撫で、ボタンに手をかけ、そっとファスナーを下ろし、直にゆるく撫でた後、少し身を起こし、おれを見下ろした。
「きれい……色っぽいな」
 おれは無言で彼を見上げる。彼はおれから目を離さず、
「これが勃ってる姿がそそるなんて、考えたこともなかったな」
 そういって人差し指で少し先端を押される。恥ずかしさで目を開けていられなくなり、目を伏せる。
「しかも、これに食いつきたいなんて、思うことがあるなんて」
 そして彼は左手でまだ垂らしていた右足を抱え上げると、言葉の通り、食らいついてきた。おれは、背をのけぞらせ、声を上げる。
 彼は、形を確かめるように、舌先で下から上へと丹念に舐め上げる。それだけで、イきそう。
「ダメ……、出る……」
 かろうじてそう言うと、彼は、
「いいよ……」
と再びくわえた。おれは、全身を強ばらせた。
 彼は口を離すと、抱き締め、口付ける。おれも抱き返す。舌が絡められる。おれの味が、した気がした。
 左手で、彼はまだ身を覆っているおれのシャツを肘まではだけた。脱ぎきってないけど、服は意味をなさなくなった。
「ここは、イヤ……」
 自分でもか細いと思う、おれは甘く聞こえる声で言った。彼は答えず、抱き締める。抱きつき、彼の肩に顔を埋めながら、
「記憶が残る……いつも、思い出すから……」
 出社するたびに、ここが見えるたびに、ここで仕事をするたびに、生々しい記憶が、きっとおれを覆い込む。そして相手が、そこにいる。そんなのは、これっきりと決めた相手に、良くないだろう?こういう関係は、ほんとはホテルが一番なのだ……と思う。
 でも、今ここを空けるわけにはいかない。そして、ここで止められるほど、理性が働いていない。
「社長室にでも、行くか」
 彼が言う。社長室は、ちょっといいパーテーションで切ってあり、個室になっている。平社員は滅多に入ることはない。おれも、面接に来た時以来、入ったことはない。
「ん……」
 ここでやるより、遙かにいいだろう。おれは微かに返事した。
「抱えていったろか」
 そう言われて見上げると少し笑みを含んで、おれを見ている。おれは首を振り、
「重いから……いいですよ」
 しかし彼は抱き上げ、
「そのカッコじゃ、歩きにくいやろ」
と歩き出す。
 社長室の革張りのソファにおれを投げ出すと、彼は自分の着ているシャツのボタンに手をかける。
「潮崎さん…、お願いが、」
 彼が問うように見下ろす。
「全部は、脱がないで…」
 あのテーブルと同様、きっと鮮烈な印象を残すだろう全てを脱ぎさった潮崎さんを記憶の中にとどめたくない。止められるものは、止めておかないと。
「おれは、剥いてもいいですから、……お願い」
 おれの言いたいことが分かったのか分からないのか、取りあえず彼はシャツのボタンを全部外し終わると、覆い被さってきた。素肌が、密着する。
 なで回され、吸い付かれ、身体を熱くしていると、彼はおれのジーンズを片手で脱がせ切った。そして、また 感じているそれを軽く握り込んだ後、手を滑らし、股間を伝って双丘をなで回したあと、指先が、入り口を押す。
「痛いよな…」
 耳元でささやかれ、
「いいですよ…そのままでも、」
「まあ待てや」
 彼は軽くキスすると、身を離し、ドアを開け出て行った。
 やがてドアが開き、彼はオロナインを手に戻ってきた。 彼はシャツが腕にひっかかっているだけのおれをそこに佇んで見下ろした後、オロナインの蓋を開け指ですくい取りながら覆い被さる。そして、塗り込み出し入れされ馴らされる。
 すぐに、感じて喘ぎが漏れる。少し、自分からより身体を開いた。彼が、身を沈めてくる。
 こんなおれを、彼はもう分かってるだろう。決して初めてではないことを。でも、余り浅ましい姿は晒したくない。
 されるがまま、彼に抱きつきながら、彼を感じ続けた。衝撃がおれを突き上げ、おれも、声を上げ、出した。
 無言で抱き合い、息を切らしていると、電話が鳴った。彼が身を離し電話を取る。おれは、目で追う。
「……ああ、いや、まだ……。うん、おれら、別にいいわ…」
 彼が切っておれを見る。
「唯野さん……?」
「うん。様子見に電話してきたらしい。…まだボーリングやってるけど、終わったらいつものとこ行くから、仕事済んだら来えへんか、って……」
「こんなことのあとに、行きたくないですね」
「やろ?……」
 そして彼はまた、覆い被さりおれを味わいはじめる。
 それからどれくらいしたのか、外は既に暗くなり、蛍光灯が眩しく感じる頃、電話が鳴った。今度はクライアントからの電話だった。
 電話は、短かった。
「何て……?」
 おれが問うと、
「訂正はないらしい。もう製版に回してくれ、って…ホンマに大丈夫かな」
「何かあっても、悪いのは、滝本さんでしょ」
「そう。アイツの無責任が悪い」
 いい加減終わりにしないと、とおれはだるく身を起こす。そしてシャツを引き上げる。
「赤……」
と彼が横に腰掛け、抱き寄せ唇を塞ぐ。
 おれは、抱きつかず、彼の太股に手をついていた。もう、終わりだから。
「潮崎さん、…じゃ、そろそろ……」
 彼を見ずそう言う。彼は
「……そうやな」
と呟くように言い、立ち上がると電話をかけにドアを開け出て行った。
 その間、おれは手早く服を着込んだ。そして立って社長室を出た。
 静かで、広く冷たいフロアの真ん中で、立って電話をしている彼は、まだシャツの前をはだけたままだ。おれは奥から順に電源などを点検し、消しながら、自分の席に戻り、荷物を出した。
「赤」
と後ろから呼ばれる。振り向くと、少し照れたような彼が立っていた。
「これから、ホテルにでも行かへん?」
 おれも笑い返し、
「これからこれ以上やったら、キリがない…悪いけど、」
「そう…そうやな。じゃ、軽く食べて帰ろうか」
 彼は軽く俯き、そう言った。おれも俯き、
「ごめんなさい。……おれ、あなたのこと、とても好きです、…けど、」
「指輪の相手に、悪いもんな」
「すみません……これ以上は、裏切れない」
 胸を刺すような罪悪感が、広がって行く。もう充分過ぎるほど、裏切った。高階クンと違うのは、おれが求めていった、ということだ。
 彼と抱き合ったことは、高階クンには言えない。
 でも、原田には言わなくてはならない。言わずにはおれない。彼をどんなに怒らせようとも。
 製版屋が来るのを待つ間、すっかり冷たくなったコーヒーを飲みながら、最初座っていた椅子、潮崎さんの椅子と、その隣に、帰り支度を整えて殆ど無言で座っていた。
 彼が、何本目かのタバコに火を点ける。
「おれも、貰っていいですか……?」
 手を伸ばしながら言うと、
「禁煙してるヤツに、勧めるようなことはせえへんけどな」
と止めもしないので、一本抜いた。彼が笑いながら、ライターを点けてくれる。
 一口吸って、深い息と共に吐き出す。セブンスターって、ほんとにきつい。少しクラクラした。
「様になってるやん」
「そりゃ、半年程前まで吸ってましたからね」
「何でやめたん?健康のため?」
 そう問われて、おれは俯き、暫し無言の後、
「潮崎さん……、もう、分かってるでしょ。おれの相手が、どんなヤツか、うすうすと」
 彼も硬い表情でおれから目を外し、
「……その話、もうやめようや。おれ、もう二度と聞いたり、せえへんから」
「はい……」

 製版屋がやってきて、賑やかになるとフロアに充満していた不健康な空気は霧散した。帰っていくと、
「じゃ、おれらも帰るか」
と彼は荷物を持って言う。おれも椅子から立ち上がった。
 タイムカードを押し、フロアの灯りを落とすと、二人でカギを詰めて会社を出た。
「あいつらまだ飲んでる時間帯やな。…どこで、メシ食う?」
「駅周辺は、避けたいですね」
「じゃ、出るか」
と、おれたちは繁華街に出て、安い居酒屋に行った。
「……田辺さんは、付き合うんですか?」
「どうしようか、今考え中。…このまんまやと、相手にも失礼なような感じで、」
「おれは、諦めてもらわないといけないですからね」
 軽く笑って言うと、彼も苦く笑い、
「半年前、いやそれより前に、会いたかったな」
と言う。彼のそういう真面目さが、新鮮で、堪らない。
「多分ね、……半年前のおれやと、潮崎さんは友達になりたくもないと思うかもしれませんよ」
「そんなヤなヤツやったんか?」
「ええ、……」
「でもそんなこと、ないやろ。多分同じことになってたと思う。おれは」
「そうかなあ……」
 潮崎さんはそうでも、おれは彼を避けたかも知れない。
「そんなヤなヤツやった君が、いいヤツになったんは、……ソイツのおかげ?」
 無言でおれは答えた。
「……あの子とは、上手くやってんな。おれも、ああいう風に何でもなく接せるように、頑張ろう」
「あの子も最初は、大変でしたけどね…シャレにならないくらい、怖い思いしましたよ」
 潮崎さんはおれに向き、
「もしかして、おれってイイヤツ過ぎる?」
「いや、そんな潮崎さんが、オレは好きですよ」
 そして二人で噴き出した。

 家の灯りが見える。すっかり疲れた身体を、中に入って早く休めたいと思うと同時に、彼に会うのが怖くて、歩を進める速度も遅くなる。
 でも、早く顔を見て、何かを確かめたい衝動もあった。
 のろのろと階段を上り、カギを回す。ドアを開けると、
「土曜やのに遅かってんな。…ボーリング、やったっけ?」
といつもの調子。おれはいたたまれず、俯いたまま上がり、バッグをその辺に投げ、
「うん、……」
と生返事し、彼を見ず6畳間へと行こうとした。彼が腕を掴む。
「なんか、ヘンやね。お前」
 やっぱり、言えない。タイミングが掴めない。そっと彼を見ると、薄く笑っている。
「別に……」
「それが何でもないツラか。最近お前、おかしいよな。隠し事はせえへんて、前言ったよな…」
「……でも、何でも言えばいいってもんでも、ないんちゃう……?」
「でも、ワケも分からずそんな態度取られても、困るし」
「……潮崎さんと、おれ……」
 彼から目を外し絞り出すようにそう言うと、目の前に火花が散った。一瞬、何が起こったのか分からなかった。

ヤるかヤるまいか、舌戦させるかさせまいか、潮崎さん同様とっても悩んだけど(楽しくだけどね)、開き直りましたわ~。もともと先輩相手に「アッ、だめです…」とか言わせたいためにセッティングしたキャラじゃん!言ったあと最後までヤるかどうかはその時の気分次第だったけどね。カイリーなんかヘビローで回してモヤモヤ気分でネタ考えたからかなあ。でも、据え膳食わぬは女の恥ですわよ!(?)どうせ昼メロ作家なんだから、プラトニックなんて高尚なもの、アタクシには似合いませんことよ、オ~ッホッホ!(壊)
 潮崎さんが、赤城君にぼけーっと見つめられ、耐えられなくなり、観念し、開き直ったというのが一応彼の心情の流れなんですけど、そういう風に読みとって頂けるかな?
 まだまだカイリーのお世話になってる私、更に話はくどくなりますけど、良かったらお付き合い下さい。

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