ブレイクスルー2 -7-

 午後イチの仕事は張さんのとこだった。
「どぉ、その後は」
 張さんは、ほんとにいつも変わらない。あんな話を聞いて、普通は態度が変わるもんだと、変わらないようにしたくても、変わるもんじゃないかと思うのだが、小山さんだって、そうだったし、あれが普通 だと思うのだが、張さんは変わらない。
 今もにこにこと、飄々とおれにソファに座って笑顔を見せている。
「はぁ……色々と」
 だから却っておれの方が、俯いてしまう。
「あの……張さんは、何とも思えへんのですか。あんなん聞いて」
 彼はふっと笑い、
「何とも思わんことはないけどね」
 おれはぼっと顔から火を吹く。彼はくすくすと笑い、
「君照れてんな。顔赤うなってんで」
 おれってほんとの話、上がり症だな。話さんといたら良かった…と思いつつ、ジャスミンティーに手を伸ばす。こぼしたら、ダメだ。でも震える。
「君は……可愛いな」
 ぎょえーっ。なんか意味ありげな目。冷や汗でそう。
「はぁ…そうですか。頼むで手は出さんといて下さいね」
「人生狂わしたくないからね」
 ニッコリと言う。おれはほっとする。
「……でも、なんちゅうか、想像つけへんわ。実際の話。君がそんなフタマタかけとったというのも、想像つけへん。今の君を見とったら、そんな事出来そうな子には見えへんからね。でも、ただのいい子が、危険な子には、なってもうたで」
 やな話の流れ。早く別の話にならないかな。
「張さん、不倫はお互いやめましょね」
「そら勿論……。で、どぉ。上手くいってる?」
「なんか、…色々。おれは原田に振り回されっぱなしで。ヤツの昔の彼女は出てくるし……」
「めまぐるしく展開するな。君らの人生。つい一昨日は、そんなんなかったよな」
「全くその通りで。…まだ解決したかどうか、油断ならんのです。また、済んだら話しますわ」
 おれは立ち上がって礼をした。去りかけるおれを張さんも立って送って来る。
「……一番想像つけへんのは、君がどんな思いで、どういう風に、その…男を受け入れるか、やわ。君は、その、抱かれる側なんやねえ」
 また冷や汗出そう。
「はあぁ……それもきっと、悪ないですよ。案外と」
「折角おれが勇気を出して訊いとんのに、お茶を濁したらあかん」
「率直に言って、最初は遊びですよ。殆ど好奇心の。抱きたがるし、……ラクやったし、あんま何も考えてへん…ですね。童貞早く落としたかったし、…アハハでしょ。抵抗は、ありませんでした」
「そんな、ものなん」
 おれは頷いた。
「そんなものです」
「君女は抱きたならんの」
「昔は抱きたかったですよ…これでもまともな男やったんですから。でも、今は……、原田にしてもらうんが、全てです」

 帰る間際に原田の会社へ電話した。1人で帰りたくない。
 そう言うと、
「うち来て残業する…?と言いたいとこやねんけど、今日はイキナリ購入委員会、ならぬ会議なんやと。商店街でもブラついとって、また電話してくれたら…?」
 なんか、わざわざそれも情けない。おれは時計に目を落とす。5:45。
 百貨店行って、プレゼントでも買おうかな…。
「ええわ…。おれ、帰る。まだ早いし、百貨店行って…お前、何欲しい?」
「あっ、嬉し。スケスケのネグリジェがいいわ」
「何やねん。それ。お前が着んか。どーせおれに着さすんやろ。あほう」
 するとくすくす笑ったあと、
「何でもえーわ。特別欲しいもんないし、お前のセンスに任す」
「それってけっこー迷う……。まあええわ。あ、休みくれたで……」
「良かったわ。3日間も初めてベッタリやな」
「休みが終わったら、別れとるかしれんな」
「ま、それはそれで、仕方ないわな」
 あっさり言う。釣った魚にエサはやらんのか。
 随分久しぶりに、百貨店に行く。あんまり男1人で行くようなとこじゃない気がするけど。やっぱいい物買うんなら、百貨店かなあ…と。
 実はおれは、もう何にしようか決めていた。何にしたかって?超下らん、なんのヒネリもないもの。原田のためというより、おれが欲しかったから、という不純な動機である。一緒に住んでる同性へのプレゼントってのは、こういう利点があるなあ。
 キレイに包んで貰い、現金でなくカードで買った。
 バースデー・プレゼントだって…。なんか気恥ずかしい。んなもんまともにやったり貰ったりしたことない。
 おれは絶対、一眼レフを請求してやろう。
 どーも家に帰りたくなかったので、地下街もブラついて、どこで食べようかと悩んだ挙げ句、スパゲティーを食べに行った。今日は金曜で、並んでること間違いなしと思ったけど、1人客は入れやすい。おれの一品はいつものジェノヴァ・ペースト。旨いかまずいかは意見の分かれるクセのある味だけど、おれはこれにやみつきだ。バジルと松の実のこの味は、堪らない。色は鶯色。
 食べて幸せになった後、おれは意を決して帰ることにした。
 もしまた朱美さんが待ってたりしたらどうしよう。
 心を鬼にして、入れないようにしよう。何かを思い出す。
 牡丹灯籠だ。夜な夜な現れる、哀れな女の幽霊。
 彼女は一体どれだけの執着があって、あそこまで出来るのだろう。
 おれはきっと、あんなことは出来ない。別れようと言われたら…思わず顔をしかめる。考えるだけで胸が痛くなる。でも、もし、もう好きじゃないと言われたら、おれはあっさりと、身を引いてしまう気がする。おれは自分に相変わらず、自信がないからだ。皆どうして、あんなにがむしゃらになれるんだろう。
 おれはまだまだ、自分で求めて得たことがない。求めたことがない。好きな人を。好きにさせようと努力したことがない。あっちを向いてる人を。
 原田だって、偶然に選び取っただけだ。そこに一片の後悔もないけど、彼が浮気でもしたら、おれは一体どうするんだろう。別 れようと言われたら…
 おれは抱えている紙袋を、ぎゅっと握りしめた。それが原田そのものでもあるように。
 何となく重い足取りで家の側まで行くと、その辺に朱美さんの影はなかった。鉄の階段を上り、直ぐのおれの部屋の鍵を回し、手をかけると、下から急ぎ足でカンカンと上がってくる足音が聞こえた。顔を向けると、目を射るようにこっちに向けて上がってくる朱美さんの姿が。彼女はあっという間におれの横に立ち、ドアノブを回そうとする。おれは鍵をかけ、抜こうとする。
 第二ラウンドの、ゴングは鳴った。
「早く帰りなよ、朱美さん」
 二人でドアノブを掴み、押し引きしていると、彼女はきっと睨み、おれを見上げ、
「ホモ!」
 おれは一瞬怯み、そのすきにさっと彼女は中に入ってしまった。
 おれも慌てて入り、既に四畳半に居る彼女と相対した。
 まず荷物を押し入れに放り込み、四畳半に戻って来、低く押し殺した声で、
「何ですって…? 変ないいがかりは、やめてもらえませんか」
 彼女はおれを見据えたまま、
「いいがかり?いいがかりではないんちゃう?さっきのあんたは、うろたえとったで」
「取りあえず出てって下さい。あんなん言われて、ビビらん方がおかしいですよ。もういい加減、帰ってくれませんか。迷惑です。ここは原田の家やない、おれの家なんやから、うちで揉めんといてください。外で待っとりゃええでしょう、原田を、」
「中で待たしてもらう方が有効や。あんたみたいな男のとこに、だったらあいつは何でおるん。一緒に住んどったら、何でも知っとるでしょう、あいつの彼女は、どこおるん」
 彼女は、口元だけを歪め、おれから目を離さない。おれも彼女を睨み据えたまま、チラと思った、今日原田をつけ回しとって、トイレでのことを知っている、という訳ではなさそうだと少しほっとすると、
「おれは知らん。ただの友達やから。別にあいつの女にも興味ないし。おれは安上がるし、置いてやっとるだけやで」
 彼女は不意に咳き込んだ。やっぱり、風邪を引いたのだろうか。
「もういい加減にしはったらどうです…?風邪こじらせんウチに、帰りはったら。そんな価値の、ある男ですか」
「「あんたは、どない思う」
「何が……?」
「あの男の価値」
「……。そういう点では、あんまようない男やと思いますけど、」
 ウソだ。胸を刺す。その痛みに、顔がしかめられる。
 あれだけ愛を注いで貰っていながら、こんなことを言わねばならないなんて。
「勇二は、価値あるで。あんたにとってのうても、うちにはある。…だったら少しくらい協力してくれてもええでしょ。なのになに?あんたは諦めろ、早よ帰れ言わはるのね。何で?」
「それは、……」
 いい言い訳が見つからない。思わず目を外す。
「何で?」
「だからあんまようないと思うし、……」
「いつからの友達か知らんけど、あたしはあいつをよう知ってんで。あんたにそんなこと言われたない、余計なこと言ったり、しやんといてくれる?あんたは、邪魔やで」
 邪魔、と言われてムッとする。真正面から彼女と原田を取り合えないもどかしさが、腹立たしい。
「……でも、うちには入らんといて下さい。おれは巻き込まれたくないですし、」
「あんたは、冷たいな。優しさに欠けてるで」
「当然の権利です。昨日泊めてやったやないですか。これ以上どうせって言うんです。今夜は泊めませんよ。あんたはどう思っとるか知らんけど、おれも男ですよ……」
 彼女はにやりと笑うと、
「そうやったわね……。面ろいこと思いついたわ」
 そして彼女はブラウスのボタンを外しはじめた。おれは慌てて彼女に近寄る。
「ちょっと、やめて下さい、」
「 あんたなかなか綺麗な男やし、悪ないわ」
「いい加減にして下さい、ほんまに、」
 おれは彼女のブラウスを掴みボタンをかけようとする。彼女は身を揺すり、抵抗する。
「原田が好きなんでしょ、何してはるんです、」
「ええねん、考えある、うち上手いらしいから、いい気持ちにさせたんで」
「やめて下さい、おれはイヤです、…あんた、狂ってる、」
 彼女は凄い形相でおれを押した。おれはたたらを踏み、形勢を立て直すともう一度彼女を掴んだ。
 その時、鍵が回り、原田が帰って来た。
 原田は、 昨日のように、そこに一瞬棒立ちになり、目を見開いたのち、険しい表情になった。
「勇二!」
 彼女はおれをどんと押し、彼の方に寄って行った。原田は寄ってくる彼女に手を上げた。
 鋭い音がして、彼女はそこにくずおれる。原田はそれから立ち尽くしているおれを見、
「赤、……お前が、じゃないよな……」
「原田、おれは、そんなことしない、」
 おれは必死に頭を振った。
「信じるで」
 ああ、すがりたい。安心を掴みたい。
「うちは…うちはぶたれて、彼を信じるん?なんで、なんでなん?……おかしいわ!」
 彼女はそこで頬を押さえたまま涙を流す。
「おれは言うたやろ。もう帰れと。そうせな知らんと。…なんぼやっても、何やってもあかん。お前は賢いさかい、もうほんまは分かってるやろ。ただ、やるだけのことはやりたい…そうやろ。お前は殺すとか死ぬ とか言い出すあほうとは違うから、もう、諦めきれるよな…」
 彼女はずっと俯いている。
「……分かったわ。なんか、サバサバしてきた。…好きやけど、あかんのは分かった。……諦め、たるわ。いや、諦める…あんたなんか、どうでもええわ…」
「そういうお前が、好きやで」
 原田は彼女の背に笑みを向ける。
 彼女の頬を涙が伝う。
「あんたなんか、願い下げや」
「そうそう、お前はおれには勿体ない。本当にいい女や。……送って行こうか?」
 彼女はフラリと立ち上がった。憑き物が落ちたような表情。
「えーわ。…いらん。勇二、あんたマジで好きな子おるん?」
「おる」
「あたしと付き合っとる時と、どっちが幸せ?」
「そんなのは、比べられへん」
「そう。あたしはあんたなんか霞む恋するわ」
 彼女はバッグを引きずり、出て行こうとする。原田が肩を引き寄せ、ボタンをかけてやる。
「迷惑かけたな。でもあたしはすっきりしたさかい、後悔してへんで」
「おれもや。おれたちには、ぴったりの終わり方かも知らんな。なんか知らんけど、お前に感謝しとる」
「どういうことなん、それ…。あんた、笑っとるやん」
「お前には負ける思うてさ」
「口が上手いんは、最後までやな。勇二、さいなら」
 彼女は目線をくれながら、静かにドアを閉め出て行った。
 原田は、包み込むような優しい目で、彼女の出て行ったドアを見てる。なんか声がかけられない。
「やっぱあいつは、ええヤツや」
 ポツリと彼がつぶやいた。
 立ち入れない。そういう気がした。おれはただの傍観者だった。いや、狂言回しか?
 二人の積み上げた時には、立ち入れない。
 彼はそれからゆっくりとおれを振り返った。おれは何となく目を外す。
 彼がおれを抱きすくめる。暖かく、包容力ある腕で。
「凄い……」
「おれの選ぶヤツは、エエヤツ揃いやろ」
「おれは適わへん、あんなには、いけへん……おれなんかで、マジええん、」
「お前が、ええねん」
 唇が触れ合う。優しいキス。また一つ、何か変わった。原田がおれの中で、少しずつ変革していく。どんどんと奥深く、かけがえのないものになっていく。
 抱き合いながら、指を組む。力を込めると、力がそこから流れ込んでくる。
 ただの握力じゃない、色んな力が。
 直ぐに布団へ行って、確かめ合う。激しくなく、ゆっくりと。
「あ……あっ、」
 それでも、鋭敏な全身の感覚は、覚醒していておれを震わす。
 彼がおれを信じるのだ。おれも彼を信じよう。どこまでも。
「いい休みが迎えられそうやな」
「別れたり、せえへんよな。絶対に」
 彼は唇を塞ぎ、
「絶対に」
 腕を回し、互いの存在を確かめ合う。愛している。放せない。
 はた、と気付く。
「原田、11時過ぎてんちゃん、中国語が、」
「何やええとこやのに、雰囲気ぶちこわしやで、お前、」
「昨日聞いてへんから、今日は逃されへん、」
「もうおれは知ってるで。木曜は週のまとめ、金曜はお前にはむつかしい上級向き。たまには、休みなさい」
 デッキに向かうおれの手を取り、強く握り、布団に戻す。
 ま、たまにはいいか……。
 おれはまた波に飲まれていく。

納得、していただけましたでしょ~~か…。またもメロドラマ全開ですね。ええ所詮、ワタクシは昼メロノリが大好きな女でございます…いよいよ次回は…

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