ブレイクスルー -11-

 次の日の朝、おれは腰がガクガクのまま、初出社となった。
 おれの方が出社が早いので、ぐずる原田と8時に家を出た。
 最寄りの駅まで、ずっと一緒だ。
 始業時間は9時。本当はもっと早く着いた方がいいのだろうが、余り早くに行って手持ちぶさたになるのも嫌なので、5分前くらいに入った。すると一番近くに居たOL風のロングヘアーのお姉さんが笑いかけてくれ、近くのデスクを勧め、コーヒーを淹れてくれた。
 奥の写植機の前では、3人のオペレーターらしき若い女の子がなにやら楽しげにしゃべっている。
 時間になると、あのうらぶれ男が今日もくたびれたノーネクタイのスーツ姿で現れる。すると社員とおぼしき連中が、三々五々集まってくる。ボソボソと彼から紹介を受け、
「よろしくお願いします」
と頭を下げる。本当に女が多い…。あの社長と、おれの上司になるらしいその男の他は、女だらけだったのだ。30才位 の女が2人、その内の1人はコーヒーの人、そして、おれと同い年位の女、オペレーターが3人。それで終わり。若い女が中国人らしい。しかしちゃんと、日本語をしゃべっている。
 一応デスクをあてがわれて、電話番をさせられる。あとはコピー取り。
 ロングヘアーの女の人、宮川さんという、が色々教えてくれる。
「ほんとはオペレーターが良かったんでしょ」
と言われる。「ええまぁ…」と答える。
 昼前、電話がかかって来て、取ると原田だった。「昼メシ食おう」と言われたが、社の人から誘われてるからと断る。切ろうとするのを制し、
「あの、…髪切ろうと思うんだけど、どう思う?」
と訊いたら、
「うーん。…いいんじゃない。何でそんなこと、訊く」
「女っぽくは、なくなると思って」
「確かに。やるときの気分が変わるな。楽しみだな」
「お前は、すぐそう言う、…」
「昼がダメなら、夜はどうだ?いきなり歓迎会やらないだろ」
「お前の方が、遅いだろ」
「おれの隣で、待ってりゃいい。手伝ってもらったら、いいし」
「それが目当てだろ。給料払え」
 結局彼の会社の詳しい場所を聞く。
 初日は、電話番、コピー取り、あと、校正で終わり、定時で帰して貰った。皆さんは、残業の様子。
 おれはすぐには原田のとこに行かず、髪を切りに行った。
 殆どワンレンのショートボブの伸びたのになっていた髪が、短くなり、前髪の長い普通 のショートになる。少しウェーブを付けて貰って、こういうとこでは初めてだが(金がかかるから)茶色く染めてもらった。
 達っちゃんに、初めて抱かれた頃に、逆戻り。
 逆戻りならいいけど、戻れそうもない。
 そう思っちゃいけない。おれは達っちゃんに電話することにした。
 出たやつが、すぐにおれと分かり、保留にしそうなのを制し、
「外線とだけ、言ってくれ……」
と頼む。おれの名前で呼ばれたら、彼は出ないかも知れない。
 彼が出た。
「赤城です」
と名乗る。彼は黙る。
「気になるんだ……。心配なんだ。怒ってるよね。ごめんなさい。おれに出来ることがあったら、何でも言ってくれ。償いはするよ」
「お前に出来ることなんか、ない」
 気持ちが萎えそうになる。おれはポケットから、タバコを出す。箱を眺める。
 ラッキーストライク。おれは1人じゃない。原田が付いてる。
「そんなこと言わないで……ね、おれはその、何て言ったらいいかな…本当に、傷付けたくはなかったんだ。どうにかして、痛みを代わってやりたいし、失いたくないんだ……けど、傲慢かな。迷惑?」
「迷惑だよ。思い出させないでくれ」
 耳朶に受話器の置かれる音が響く。剣もほろろ、取り付く島もない。
 おれは途方にくれ、溜息をつきながらボックスのドアを押した。
 6:30になった。もう原田の会社の定時も過ぎた。
 メモを見ながら、商店街沿いに彼の会社へ行く。白いタイル貼りの、オフィスビルの3階にその会社はあった。曇りガラスのドアを開けると、手動写 植や、キーボードを叩く音、そしてBGMのFMが聞こえる。
 もう事務の人は帰っていて、「いらっしゃいませ、」と寄ってきた若そうな一目でそれと分かる営業に原田を呼んでもらう。営業だけだ、この業界でピシッとスーツにネクタイなんてヤツは。
 原田は、昨日と、一昨日と同じ格好で、手を振りながら奥の方からやってきた。
「残業多いのか」
「ちょっと……。1時間くらいかな」
「じゃあどっかで待ち合わせしようか」
 何か、他の人の視線が気になる。
「いいや、待っててよ、横で」
 原田はおれの腕を掴み、版下を過ぎ、手動より奥にある電算の方へ引きずっていく。
 電算は5人位、残業してるらしいのは、3人。パソコン、98が5つ並んでデータ変換用の98が1台、レーザープリンタが1台、MACが1つ。
「全部パソコンでやってるのか」
「今はね」
 原田は自分のデスクに座ると、空いている隣の席を勧めた。そして、朱書きのいっぱい入った原稿を広げて、画面 を見ながら訂正を始める。
「はい」
 彼はおれの座ってるデスクに、付箋のめいっぱい貼ってある束を渡した。何かのマニュアルだ。付箋がいっぱいある、ということは訂正がいっぱいある、ということだ。
「何コレ」
「はいこれデータ」
 彼はフロッピーを一枚寄越す。おれに本気で手伝わせるつもりらしい。
「何でおれがヨソの仕事をしなきゃならないんだ。校正くらいならしてもいいと思ってたけど、写 植まで出せっていうのか、」
「じゃ、1時間で終わらないぞ」
「フン……。いいよ。おれは帰る。自分の仕事は責任持ってやれよ」
「あっ、冷たいヤツ…金返せ」
 よく覚えてるなこいつ。版下の方から若い男が来る。
「原田さん、写植いつ出ます?」
「こいつ次第」
 ヤツはおれを指す。その男は、きょとんとしておれを見る。
「原田……!お前は……!」
「早く出してやれよ。付箋一杯付いてるけど、殆ど版下での訂正だからすぐだぜ。……三沢クン、こいつ、腕は悪くないから、多分30分位 で出ると思うよ。な、赤」
「あの、……いいんですか、部外者でしょ、」
「いいのいいの。責任はおれが取るから、」
 原田はおつに澄ましたものだ。他の電算のヤツが見る。男1人に、女2人。
「原田、可哀想なことすんなよ」
 多分同い年位なんだろう男が言う。原田はおれを指し、くわえタバコで、
「だってただ待たしとくのは勿体ないんだもの。こいつ」
「お友達?」
 少しケバ目の女が訊く。
「元同僚。今恋人だよなっ」
と笑って原田のヤツ。おれは努めて平静を装い、
「そうそう、そうなんです」
と言えば、女2人は手を合わせ、「きゃーっ」だと。
「名前は赤城耕作。シャレた名前だろ」
「別に名前なんかどうでもいいんじゃないか……?お前、おれをこれからしょっちゅうこき使うつもりじゃ……おれだって、忙しくなるんだぞ」
「うちの進行なんか、帰るのメチャ早いぜ。……うちで募集かけたら、すぐ知らせるから、」
「やめてくれ。お前と一緒の職場なんて」
 皆笑ってる。やだな。
「早く仕事しろよ。手を休めるな」
 原田ははいはいと返事して、画面に顔を戻しマウスを動かす。
 おれは原稿を無視し、タバコに火を点ける。彼はちらりと目を走らせ、
「赤、…タバコ……!」
「うん?」
 彼は顔を寄せ声を潜め、
「良かったら、やめてくれ。……」
「何で。今更」
「今日聞いたんだけど、タバコは肌を荒らすんだと。ビタミンCが失われ、カサカサになるんだとさ。もう25、お肌の曲がり角だろ。だから、なっ……」
 おれはさすがに顔が熱くなる。あそこがきゅっと締め上げられる心地する。
「ふざけるな……おいそれとやめられるか。オレンジジュース死ぬほど飲みゃ充分だろ。ハイシーL食ったり、」
「でも、嫌だ。元々あんまり吸う方じゃなかっただろ。大した苦労じゃないって。……」
 おれはタバコに目をやり、灰皿に押しつぶし、
「減っても、やめられないと思うよ」
「十分だ」
 ニコニコして画面に戻るヤツ。おれは、ヒマなのでつい原稿束をめくってしまった。成る程、殆ど訂正はない。
「下らない訂正だな…書体も少ないし、データ直して、別ファイル作って、出して、出力込みで、やっぱり30分か」
「よろしく」
「全く……」
 おれは結局、データを開き、仕事をやってしまった。出力、すなわち出来上がった写 植を出すのは、前の会社ではフロッピーで出力センターなるものに頼んでいた。ここは出力機がある。原田に、出すだけでOKのデータを返す。
「文字校、しようか……」
 まだ訂正してる原田に言う。彼がやってるのは、ペラ物の広告。
「悪いな。もう終わるから。……どう、久しぶりの写植は」
「なんとも……」
「素直じゃないな。結構面白かっただろ。お前も電算やれよ」
「いづれね。原田写植で」
 原田は暫くしてファイルを閉じ、フロッピーを出しておれのと合わせ出しに行った。
 出力に10分位かかる。5分位で、一旦戻って来る。
 その間に、女2人が「お先に失礼しまーす」と帰って行った。
 もう1人の男は夜食を食いに行く。
 二人きりになった一角で、真正面に身体を向け合い、顔を見つめ、
「赤。……いかにも赤に、戻ったな」
「やっぱりこの方が落ち着く。伸びた方が良かったか?」
「髪が黒いと肌が引き立つからな。でも、いいよ。幼く、可愛くなった」
「ますます幼く?やだな……」
 やがて写植を取りに行き、眺めながら戻ってくる。
「間違いなし?」
「OK。帰ろう」
 原田は写植を切り、原稿と合わせて版下に渡すと戻って来、上着を着た。その時営業がやって来、ヘラヘラと、
「原田さん、すいませーん。訂正来たんですけど、説明いいですかぁ?」
「明日にしろよ。今日は用があるんだから。納期まだあるんだろ?」
 営業が手を合わせ、原稿の入った袋を挟み、
「原田先生、お願いっ、明日中なんですぅ」
と拝むように言えば、原田は「見せろ」と言い、パラパラめくり、ポイと返し、
「分かった。充分充分。じゃあ明日」
と営業をそこに残して去って行く。おれも慌てて付いて行く。
「いいのか、帰って、」
「いいっていいって。よくあることだろ。お前だってしょっちゅう……」
 それを言われると身も蓋もない。
 近くの居酒屋へ行く。
 原田はカウンターでビールを舐めながらおれを見、
「どうだ。身体は…少しは良くなったか」
 おれはさっと顔が強ばる。いっぺんに電話のことも思い出す。
「ん……。大分。こうしてても痛くない位」
「じゃ今夜は、もう犯してもいい?」
 ニコニコして言う原田。信じられないヤツ。
「そんなのダメだよ。…ね、暫くHは、しない方がいいんじゃないかな」
「何で。……達か。別問題だろ。それとももう、飽きた?」
「飽きてなんか……!何か、凄い罪悪感にさいなまれそうなんだ。今日、お前のとこに行く前に、達っちゃんに電話したよ」
「それで」
「迷惑だ、思い出させないでくれ、おれに出来ることなんか、ない……」
「成る程ね」
「どうやったら、怒りを解いてもらえるだろう。いや…もう何もしない、言わない方がいいのかな……」
「おれはそうは思わない。きちんと話し合った方がいいと思う。それでやっぱり会わない方がいいってんなら、もう会わないことにすれば…お前、それでいいのか」
「う……ん」
 おれは言いよどむ。おれはあの電話の後、分かってしまったからだ。
 おれが求めていた、達っちゃんなるものの正体。
 おれにおける達っちゃんの意義。それは、何て独占欲の塊だったことだろう。
 皆に好かれ、嫌われることのない達っちゃん。優しい彼。
 その彼の、特別な存在となり、彼を虜とすることで、おれは皆を睥睨したかったのだ。人と上手くやる自信のないおれが、彼に補ってもらうというより、その頂点に立ちたかった。
 なんて傲慢でわがままなヤツ。今更友達なんて、虫が良すぎる。
 原田はそれを聞き、引き締まった表情で、
「成る程、そこまでは言わん方がいいと思う。確かにそれは、いやらしい。でも、それだけじゃないだろ……?達に憧れてたことは、間違いないんだろ?」
「うん。……いつも、心が洗われるようだった」
「おれは。心洗われる?」
「お前は、全然。どぎつい所へ、引きずり込まれる」
「それが合ってるくせに」
「そうさ。合ってる。……だから、それを自覚してしまうと、達っちゃんとペースが合うのかどうか、自信ない」
「昨日はあんなに燃えてたくせに……ちゃんと決着つけろよ。ただし、指一本触れさせず……」
「もしおれがやられちまったら、どうする?」
 彼は目を光らせた。怒ったようだった。
「もう、沢山だ……。おれが毎日、何考えながら寝てたと思う。…自分のことは棚に上げてるが、他のヤツの腕の中で喘ぐお前なんて、想像したくない。お前を、取られたくない、…愛してくれているんなら、絶対やめてくれ……!」
「ごめん…。試したんだ。ごめんなさい。……」
「出よう、」
 原田が立つ。おれは背中を見ながら、付いていく。
 暫く黙ったまま、歩く。おれはその横顔に、ちらりと目を走らせる。
 本当に怒ったんだ。どうしよう……と暗くなる。
「愛してる。…タバコもやめる、毎日下す位オレンジジュース飲む、……」
「ハイシーLも、忘れるな」
 地下鉄に降りて行く。原田は突き当たりへ連れ込み、覆い被さりキスをする。
「じゃ、今日はここまでな」
 追いすがりたいのを我慢し、
「うん、さいなら」
 と改札で手を振る。

ハイ、今回は短かったですねー。前回の追加分より、短いです!でもまぁ、ねえ…。今週末くらいに、次回も短いし、あげたいかなー。
 今回は、後のパートに繋がる設定編みたいなものですね。最後に出てきた営業が、高階の原型。これを書いたころは、ヤツがあんなことをし、あんなヤツになり果てようとは思いもしませんでした…

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