第五回

 さて、一行がなおも旅を続けて行くと彼らはやがて天竺国は玉華州へと至った。
 玉華州王府では親王の三人の王子が武勇を頼み見境なく高弟達を妖怪とにらみ戦いを挑んだが、三人が神技をふるい武芸を披露したのでびっくりし、師父と仰ぎ武術の伝授を願った。三王子の求めに応じ三人の高弟は武術を教えることとなった。しかし三人の得物が三人の高弟と同じということで、それぞれの武器を貸し与え、模して王子たちの武器を造っているとき、彼らの武器は神器、瑞気を隠しきれず、妖怪に持ち去られてしまった。悟空の機略により武器は取り戻したものの、その妖怪一門との壮大な合戦を招いた。そういうときの物語である。
 一日目は二匹の妖怪を虜にしたが、八戒が虜となり悟空と悟浄はそのまま王府に復命した。
 この度の戦いはこれまでの戦いと様相を異にし、我知らず悟浄を気にかけていたせいで、八戒を虜にされてしまったが、悟浄が無事であったことに安堵してしまう悟空であった。まだ、そのことに対してなぜ、という疑問は彼にはない。
 ただ、なぜか心配。なんとなく悟浄が痛めつけられるのが我慢成らない。手出しをする妖怪が憎い。
 あくまで悟空は、考える前に行動する男なのだった。
 二日目は、九霊元聖が戦いの合間に王府に至り九つの頭で三蔵と玉華王、三王子をくわえ去ったので、悟空たちは更なる虜を得たが、ついには夜は悟空と悟浄、二人きりになってしまった。
 斎を使用人に用意してもらい、食べているときも悟浄は、不謹慎にも今夜は二人っきりであるということに戸惑いと恐れと、ときめきをを感じないではなかったが、師父や八戒、虜になった王や王子達のことが気にかかり、思いの外平静でいられた。
 ところが悟空は気分の高揚を押さえきれなかった。いつも隙あらば弱みを掴んでやろうとしている八戒が居ないだけでも随分伸び伸びできたが、二人、というのは…悟空は誰遠慮することなく訳もなくゆるんでくる顔でずっと悟浄を見ていた。今までさんざん見てきたはずなのに、どういう訳か、幾ら見ても見飽きることがなかった。いつまでもいつまでも彼だけを見ていたかった。それに、心なしか今までとは見え方が違っていた。
 形のよい頭に、さらさらの髪が載っていて、すべらかな肌、吸い込まれそうな黒目がちの瞳、薄いが、良く見ると形のよい唇。首は細すぎることもないが、けして太くはない。全体に骨を感じるが、伸びやかな体つき。
 その身体が動くたび衣を通して筋肉の動きが読める。…
 斎を済ませると、明日の作戦を立てながら二人は疲れた身体を癒すため部屋に引き取った。
 部屋の扉を閉めた途端、悟浄は、改めて二人ということに恐れを感じたが、本当に疲れていたので早く眠ってしまおうと寝台へ横になった。
 ぐったりと身を横たえていると、悟空が広い部屋を見渡し、
「二人っきりだな。お前と二人っきりになるなんて久しぶりだな。いや一晩二人ってのは、初めてじゃないか?」
と言う。
「下らんこと言ってないで兄貴も早く寝たらどうだ」
「そんなにすぐ寝ることはないじゃないか。少しぐらい、話をしても損にはならんだろうが。…二人だなんて、滅多にないことだぞ。いつも出来ないような、話も出来る…」
「いつも出来ない話なんて、おれにはないよ」
 素気なく身を翻す悟浄に、
「なんだよ、感じ悪いな…!お前、恋の方はどうなんだよ。我慢できそうなのか。これからもずっと」
「大丈夫…おれは、我慢できるよ。みっともなく悶えてもね。もっともそんな姿は見せたくないけどな」
 悟空は寝台の縁に坐ると、虜となっている三蔵を思い、
「心配だろ…おれが到らなくて、すまなかったな」
「心配なのは、兄貴も一緒だろ。…本当におれは、役立たず。兄貴に迷惑ばっかりかけて済まない」
「何言ってるんだ。おれがお前のこと、そんなに頼りにしてると思ってたのか」
「どうせ、ね…」
 二人はくすりと笑った。
「なあ、お前、本当に人を食っていたのか?」
 信じられんといった口振りで悟空が言う。
「…ああ、食べたよ」
「信じられねえ。今のお前を見ていると、そんなところ全く想像できねえよ」
「…兄貴は、おれを心は綺麗とか言ってくれたっけ…。でも、おれは諸々の汚れにまみれているよ。信じられなくてもね」
 悟空は色の汚れを思い、ふいと心が曇った。心の臓がひっつったように、痛んだ。
「…どうして人なんか食っちまうんだ?焼いて食うのか?煮てくうのか?妖怪共は、なますが好きらしいが、」
 悟浄は暗く冷たい流沙河の底を思い、
「なんてゆうか…、食べるものが、なかったんだよ」
「魚や草や、木の実があるだろ?」
「兄貴は覚えてないか?あの河の回りを。荒れ地ばかりだっただろ。そりゃ魚も少しはいるさ。泥臭くてまずくて身の少ないな。川 底の水草は、これまた泥のようにまずくてどろどろとしていて食べたくもない。おれは八戒なんかと違って、完璧な流刑地だったので、結界が張ってあって、動ける範囲は決まっていた。…あとは、分かるだろ」
 投げやりな口調で向こうを向いたままの悟浄に、悟空は謝った。
「なんか、嫌なことしゃべらせちまったな。…すまん。でも、お前が好きで食べてたんじゃないと分かって、安心したよ」
 悟浄は、ふと振り返り、
「いや…、悪いことは、悪いことなんだ。罪の上塗りだよ。兄貴は、鉄と銅でしのいだんだよな…おれと違って、やっぱ兄貴は偉いよ。強いよ。本当に綺麗だよ」
「綺麗、か。八戒に言わせれば、頭の硬い、物の分からない奴だがな」
「あんな奴の言うこと、間に受けないでくれよ」
「でもまぁ、確かにあいつは物知りで、勘がいいんだよな。その辺がちょっとやりづらい」
「兄貴がそんなこと言ってたと知ったら、八戒の奴喜ぶだろうな」
「あいつを喜ばせたくないから、今言ってんだよ」
 悟浄はくすりと笑う。悟空もつられて笑う。
「なあ…、お前の、恋愛遍歴を教えてくれよ」
「え、」
 悟浄はどきりとして、声がうわずる。
 ――おれの遍歴なぞ聞いたら、きっと変と思われるに決まってる。
「それは、言いたくないよ」
 悟空も何故か聞く心構えがふらついてきたので、
「ああ、いいよ。でも、お前師父が初めて男で好きになった相手なのか?」
「…さあ。どう思う?」
「……」
 悟空は何度考えてみても、悟浄と色恋が結びつかない。悟浄が女を口説いたり、抱き締めたりしているところが全く想像できなかった。悟浄はいつもこうやって、皆に穏やかに応えているのが似合っていた。故に、実際のところ師父を抱き締めたりする悟浄というのも、ぴんとこなかった。むしろ想像したくない代物だったのだ。
 ――男同士なんて、所詮気持ちの悪いものだよな…。
 悟空はいつもそう結論づけていた。
 本当は女を抱く悟浄も、そうやって想像したくないから思い描くことが出来ないでいることに、彼は気づいていなかった。
 そして、いつも何となく気になっていたことを言うのは今しかないと、口を開いた。
「あの、さ…、文殊菩薩の時のことだが…、」
「うん?」
 悟空は言い渋る。
「何だい」
「あの時、菩薩は、お前に何をしようとしてたんだ。服をひん剥いて、さ…もしかして、お前、菩薩と…、」
 悟浄は、あの時のことを思いだし、どきんと胸が鳴る。
「な、何言い出すんだよ…」
「今しか話せないようなこと。どこまで行ったんだ?」
「そういう話は…、止めようぜ」
 その一言と、少し歪んだ表情が、悟空をも一瞬灼いた。
「やめとこう」
 視線を不自然に外し、明らかにそわそわしている悟空を見、悟浄は焦り、
「あのな、言っとくけど、何もなかったことは、なかったんだぞ!そういうことには、なってないんだ!もう寝ようよ、」
「眠れねえ。もっと何か話そうぜ。…なあ、お前は天界でどんな暮らししてた?」
 不思議な昂揚で眠気の来ず、今、悟浄のことを何でも知りたい悟空は、隣の寝台を寄せると、悟浄を正面から見ながら横になった。
 好きなものは?正果を得たら何をしたい?…色々話したが、そのうち眠り込んでしまい、朝になったら悟空は殆ど覚えてはいなかった。
 さて翌日の三日目は、ついに二人とも九霊元聖にぱっくりと銜えられ、虜にされてしまったが、夜、逃げだそうとしたとき、思わず悟浄から縄を解いてしまい、八戒に大声でなじられ妖怪に脱走を覚られ、ついに誰一人として助けることが出来なかったのは皆さんご承知の通りである。
 その後九霊元聖の主人、太乙救苦天尊を訊ね当て妖魔を下したのはそれまでとする。
 悟空は今度は八戒相手にしくじらぬように順番に縄を解き帰途に着いた。その日は夕飯を取ってすぐに休み、次の日は盛大な宴会が催された。その最中、打ち物師が三種の武器を打ち上げて持ってきた。そしていよいよ稽古が始まったのである。
 さて、三人の異形も馴れてくれば、別の見え方をしてくるもの。三人の王子は、三人の姿を、それぞれ好ましく感じ始めていた。そして三王子も、いずれも立派な若武者であったが、付き合っていく内にそれぞれに性格の違いが認められた。
 その日の夕方、悟浄は悟空に言われて王府に賜り物を頂きに行った。
 それは箱一杯の珍しい果物であった。箱を抱えて廊下を歩いていると、「師父、」と声をかけ第三王子が人なつこく寄ってくる。第三王子は末っ子らしい屈託ない性格で、甘えん坊。悟浄が優しいのにほだされ、とてもよく慕っていた。
「これはこれは、王子」
 悟浄が笑いかけ挨拶すると王子は悟浄が持っている箱を掴み、
「師父、私が持ちます」
と言う。
「そんな、王子に持たせる訳にはいきません」
と悟浄が断ると、
「じゃあお話しましょう」
と付いてくる。悟浄は今の時間が彼の勉強の時間であるということを知っていた。
「王子、お勉強の時間じゃないんですか?」
「うん、さぼり」
「駄目ですよ。人を治める、上に立つ人間になるには、我慢してもちゃんと勉強しとかないと……」
 すると王子は露骨に口をへの字に曲げ、
「王位を継ぐのは、兄上。おれには関係ないもん。それにおれ、兄上たちみたいに出来が良くないから嫌なんだ」
「人それぞれ、一様ではないんですから比べても無駄なことです。兄上方は兄上方、王子は王子、ね。勉強も楽しいものですよ」
「師父も末っ子なのに、なんか一番落ち着いてて大人っぽいね。物腰も柔らかで優雅だ」
 悟浄は変な感心のされ方をして拍子が抜けた。
「王子、我々は義兄弟、本当の兄弟ではありませんよ。従って私は別に年が一番下な訳ではありません。末っ子とは違うんです」
 王子はすると、残念そうに、
「なーんだ。そうか。一緒だと思ったのに」
「それに、おれが一番落ち着いてて大人っぽいなんてこと、ない……。いつも頼りになるのは兄貴。兄貴ほど堂々としている人を見たことがない」
 うっとりと悟空を語る悟浄に第三王子は独占欲を刺激され面白くない心地、
「ねえ、師父なら優しく教えてくれそうだね。おれに勉強教えてよ」
「えっ、おれ……?そんな、教えられる程のものは……」
「いいから。師父がいいんだ。師父となら勉学が楽しいって思えるかも。今夜迎えに行くから」
 一気にそう言うと王子は走り去った。
「遅いぞ」
 寝泊まりしている暴沙亭に着くと悟空が言った。
「第三王子が現れて、ちょっと話していたもので」
「一体何を」
「持ってやるって言われて。断ったけど、あと、……」
「おれだったら呼んでも持たすけどな。あいつら弟子だろ。おれたちは師父だ」
 奥でごろごろ横になっている八戒が言う。
「そんな偉そうなこと出来るか」
 果たして夜の帳の降りる頃、第三王子は暴沙亭に迎えに来た。
「何の用だ」
と悟空が問えば、悟浄は玄関まで赴き、
「勉強を見てくれって頼まれたんだ。師父、ちょっと行ってきて良いですか?」
「勉強まで見てやる義理がどこにあるよ、おい、」
 悟空は訝しげに言う。第三王子は悟浄の腕を取り、
「私は師父に見て貰いたいんです、ね」
 悟浄は困惑しつつも三蔵に善哉善哉と言われ出かけて行った。
「ばかにあいつ懐かれてるな。甘やかし過ぎじゃねえか」
「兄貴は懐かれるにはおっかなすぎるからな」
 八戒が笑うと、
「お前こそバカにされないよう気をつけろ」
「まあ、上の二人に比べてあの王子だけはまだ子供だ……子供ってのは、そういう分別のないものよ」
 八戒があっさりと言った。しかし悟空は何となくもやもやと引っかかるものがあった。
 王城の第三王子の部屋で、灯りの下一刻ほど勉強を教えていると、何だか王子が両肘ついて自分の方を見ている。悟浄は、
「私の顔に、何か?」
 王子はじっと薄闇の中目を凝らし、
「師父は、大きな黒目がちの目をしていますね。灯りがゆらゆらと映って、吸い込まれそうだ」
 悟浄は何となく尻がこそばゆくなってきた。
「それはどうも」
 王子は手を伸ばし卓の上の悟浄の手に重ねた。
「肌もなめらかですべすべとしていて、とてもきれいですね」
 悟浄は今度はつつー、と背筋を寒気が上るのを覚えた。
「白く輝く娘の肌じゃあるまいし、この肌色の悪い私の肌のどこが。化け物、って騒いでいたでしょう?妖怪ですよ、私は」
 手を引き王子の手を外しながら言う。
「よく見てみたら、師父は他の二人と違ってけものっぽさがない。最初はその肌色と、背が大きいのとで怖く感じたけど、それ以外は普通だし。……青い肌も、綺麗と思うようになりました」
「そう、……見慣れたんだね。…さて、今日はもう、この辺にしようか」
「今日はここに泊まっていかれませんか?」
 王子がにこにこと迫る。
「早朝のお勤めもありますし、そういう訳にはいきません」
 本当は別にそんなことはないのだが、にべもなく断ると、送るという王子を置いて帰って行った。
 次の日悟浄が箱を返しに上がっていると、今度は第一王子に出会った。第一王子は王者の器らしく、堂々として理知的な額の秀でた人物だった。
「沙師父、昨夜は弟がわがままを言ったようで、お疲れのところ申し訳ありませんでした」
 第一王子はていねいに礼をした。
「いいえ、こちらこそ……お役に立てれば何よりです」
「あいつは師父にすっかり傾倒しているみたいなのですが、何分甘えん坊で節度を知らないやつなのでずうずうしいことを言うようでしたら遠慮なく叱ってやって下さい」
 王子はもう一度礼をすると颯爽として去って行った。
 その日の練習中、王子たちが疲れたので休みを取っていると、
「神師、教えて貰うのもいいのですが、何か他の武術も見せて頂けませんか。せっかくの素晴らしい腕前、是非披露して頂きとうございます」
と第一王子が肩で息しながら言う。休息の必要のない悟空は喜び、
「それもいい。おれは空手で何かやろう」
と言えば、八戒、
「じゃ猪さんは刀でもやってみるか」
と言う。
「おれはあんまり得手がない。せいぜい槍くらいか、あとは……」
と悟浄が目を泳がせ言うと、第三王子が目を輝かせ、
「師父には剣を使われると大層美しいのではないかと思いますが」
「剣か。いいんじゃないの。お前だって剣くらい扱えるんだろ」
と悟空が言う。
「使えるけど、人様に見せるような大したもんじゃないよ」
と謙遜したが、結局彼は剣振り回すこととなった。彼らは暴沙亭の裏の部屋で口伝をしているのだが、窓の外には鈴なりの物見の客がいる。彼らにやんやと囃し立てられ、悟浄は一番に長穂剣持たされ立ち上がると、渋々位 置を占め足を揃えた。
 スラリと鞘を払うと、手を構えたと同時に演武を始める。剣はきらきらと切っ先を輝かせ上下左右にと舞う。穂が後を追って舞い狂い、決してもつれることがない。身を翻し流れるような動きに剣は沿い、離れ、時にはからみつき宙を切り裂き誠に優雅な美しさ。時には地を這い、身体を回転させれば、鞭のような身体に剣は一部と化し、全てはこれ鋭利な一個の刃物。
 そうしている間に、手刀を高くかざし剣を腰に当て再び立ち姿を取ると、
「はい終わり、お粗末さま」
 と礼をし鞘を拾って収めながら彼は戻って来た。皆はやんやと喝采を送る。第三王子ははしゃぎ、
「やっぱり師父は剣が美しい。剣は繊細でしなやかだと一層美しいですからね」
と大変な惚れ込みよう。
「大したもんじゃないですよ。身のこなしが今一つだし、剣は難しい」
「とても綺麗だった……。この、裾が、まるで裙子のように翻り……」
と、王子は悟浄の長めの直綴の裾を持ち上げながら言う。悟浄はぎょっとして怖気立ち、悟空はムッとする。
「師父が裙子を穿いて剣を踊らせれば、どんな剣舞より美しいかも」
「そんな訳ないですよ、さあ手を離して、」
 冷や汗をかきつつ手を払うと、彼は座に着いた。
「さあて次は老猪があんな女みたいな剣じゃなくて途方もなく男らしい刀でも見せてやるか」
 八戒が立ち上がると、悟空が制した。
「次はおれにやらせろ」
「何だい兄貴、ほんとに負けず嫌いだな。人が褒められるのを見てられねえんだな」
 悟空は立ち上がり場の中央まで行くと、くるりと振り向き第三王子をじっと睨み据え、八卦掌の型を取った。
 ――あのクソガキ、見てろ。
 はらわた煮えくり返る思いで、全身に力を漲らせると、身を躍らせる。突きは力強く、蹴りは素早く、きびきびとすみずみまで力の籠もった小気味いい演武が続く。全くそれは彼の気性と身体特性を顕わして、鋼のように剛く、正確で、鋭い。空中を舞い地を這い身軽に飛び回る。
「やっぱり兄貴は、力強くて凄いな……」
 悟浄がそれを見ながらうっとりと言った。その横顔の遠い瞳に、第三王子は面白くなく、悟空はにやにや。演武中にもかかわらず、彼の耳は特別 なのでしっかりと聞き取った。やがてぴしっと型を取ると、彼は礼をし戻って来る。これまた満場の喝采を浴びる。
「全く兄貴はこまねずみのようによく身体が動くな」
 八戒が言う。
「あほう次はお前の番だぞ」
「おお、」
 八戒は刀を取り重厚感溢れる足取りで場を占める。これまた彼らしく、八戒が刀を振るえば空を断ち切り風を起こし全く天衣無縫、豪放磊落、刀を旋回させればぴかぴかと光り、一枚の盾のようになる。一つ一つの動きに重みはあるが決して鈍重ではなくむしろ隙のない身のこなし。全く本人も言うとおり男らしさこの上なし。暫く型を使いフーフーいいながら彼は戻ってくる。
 またもやどっとどよめく拍手。
「どうだ、おれの腕前は」
「まあまあってところだな。おれに言わせりゃ」
 悟空がにやにやして言う。
「まるで扇子でも翻すようにブンブン唸ってたぜ。凄かったな」
 悟浄が感心したように言う。三人の王子はぼーっとして余韻に浸り、
「神師、素晴らしい表演有り難うございました。全くお三方の個性の違いが良く現れていて、それぞれ甲乙付けがたい素晴らしさでした」
と感謝することしきり。
「悟浄お前おれの演武に評論してないんじゃないの」
と悟空が問えば、
「何も言えない位良かったよ。何か言えば、全てがいいのにどこかが欠けてしまいそうで、」
 悟空は嬉しくて悦に入りっぱなし。
「お前は、ほんとに綺麗だったぜ。軽やかで、流暢で」
「そんな、兄貴に褒めてもらうような代物じゃないよ」
「いや、ああいうのは似合い、不似合いがあるかならな。よくはまってたぜ。意外だったな。八戒の刀ってのも、ぴったりだな」
 それからご機嫌の悟空、張り切って更にみっちりと稽古を付けた。
 すっかり日も暮れ、ようやく夕餉を取っている頃合い、またもや第三王子が暴沙亭に現れ悟浄を呼びに来た。悟浄は昨夜や今日の昼間のことを思い出すと余り乗り気ではなかったが約束は約束、食事もそこそこに出て行くと、悟空は目と口をとがらせた。
「なんかあのガキ、癇に障る」
 八戒それを聞き、笑うと、
「なんて顔してんだよ。兄貴。妬くな妬くな」
「妬く?ただおれは示しがつかねえと言いたいだけだよ」
 悟空はそう言ったが、はっと胸をつかれこれが嫉妬かと初めて思い至った。
 悟浄の教えに素直に耳を傾けていた第三王子は、一段落着くと、
「師父の教えは丁寧で、おれでも素直に、退屈せずに聞くことができます。師父に巡り会えて幸せです」
と礼を言った。しかし顔を曇らせ、
「でも、もうすぐ行ってしまわれるのですね……。もっとゆっくり、して行ってくれたらよいのに」
「私たちは旅の者、目的あっての旅ですからそう言うわけにもいきません。妖怪に引っかかって、日にちを食ってしまったし、」
 第三王子は腕にとりすがり、
「ねえ、もっと居て下さいよ。師父の師父殿は、お弟子が二人もいれば充分でしょう?沙師父にはここに残って私にもっと色々なことを教えて欲しいのです」
 第三王子は掴む腕に力を込めた。
「い、色々……?」
「ええ。色々」
 色々って、何を色々だよ、と焦る悟浄。第三王子は悟浄から目を離さずにじり寄り、椅子ごとすっくりと抱き締めた。
 悟浄は慌てて定身の法をかけると暴沙亭へと逃げ帰った。息を切らし取り乱した風の悟浄に、
「今日の夜伽はもう終わり?随分興奮しているな」
と、もう寝静まったかと見えた八戒が声をかけた。
「冗談言うな……!怖かった」
 八戒は声を出して笑い、
「凡俗の人間が怖いなんて、どうかしているよお前は」
「一発ぶん殴れ」
 背中を見せていた悟空が言った。
 暫くして法が解け身体が自由になった第三王子は、第一王子の部屋へ行った。勢い込む弟に、
「どうした」
と問えば、
「兄上、おれ悪い病気になったみたいだ、どうしよう、」
と不安げに答える。
「沙師父を尊敬してて、いつも側に居たいくらい好きなのに、師父のことを考えたり、会ったりするとぎゅっと何かに胸を締め付けられたみたいに息苦しくなったり、下が固くなって腰が重くなって痺れてきたりするんだ。やっぱり師父は妖精だから、毒気があるのかな?」
 哀れ劣情まで覚えられている悟浄に、第一王子は同情すると、
「そりゃ立派な病気だな」
 恋煩いと気付いていない弟に、知らせない方が悟浄の身のためと判断した第一王子は、弟を煙に巻くことにした。
「病気か、兄上」
「おう。身体に障るから、あまりべたべたしない方がいいぞ。でも、師父に心配をかけてはならないから、そんなことおくびにも出してはならないぞ。お前に師父を敬い、奉る気持ちがあるのならな」
「勿論だ、兄上」
「じゃあ約束だぞ。師父と別れて暫くすれば直るさ」
 上手く丸め込んで弟王子を帰した第一王子は、すぐさまその足で第二王子に告げ口に行った。
 第一王子の忠告によりむやみと悟浄に寄りつかなくなった第三王子は節度を身につけたように見え、皆を安心させた。従って夜の勉強も止めとなり、平穏が訪れたかのようであった。
 しかし今日が最後という日、武芸を相対して習っている時第三王子は、杖を払われその衝撃で腰を打った。思わず力を入れすぎたと悟浄は急いで駆け寄り第三王子を助け起こそうとした。
「大丈夫?」
 そう言って心配げに顔を寄せる悟浄を目を見開いて見ていた第三王子は、わなわなと震えだし顔を真っ赤にすると、
「師父!」
と叫んで抱きついた。
 ありゃりゃと八戒が声を出す。
「師父、あなたは…なんて素敵なんだ。あなたが杖を振るい腰をひねればそこからふんぷんと色気が立ち上る……」
「ちょ、ちょっと困るよ王子、」
 戸惑い慌てて悟浄は王子をひっぺがそうとする。しかしはがれない王子に悟空はつかつかと歩み寄ると、
「このあほう。師父を口説く弟子がどこにいる」
とげんこつ一発食らわせた。
 送別の宴会のとき、別れを惜しまぬ者はなく、第三王子は涙をこらえて見送った。別れのつらさが、第一王子との約束を押し負かしていたので、最後の甘えを爆発させる第三王子を、第一、第二王子と共に優しくなだめすかし悟浄はどうにか別れた。
 その旅路で八戒はにやにや、
「お前が色を患ってるんであの王子はその色気を看じ取り、毒に当てられちまったんだな」
と言えば、悟浄はフンとむくれ、
「知らないよ。一時の気の迷いさ」
「あまり無分別に悩むなよ。お前は後ろに気を付けた方が良さそうだ」
「お前さえ当てられなきゃ心配はないよ」
 八戒はおお、と目を丸くすると、
「心配するな、弟。おれは男なんぞに用はない。殊更お前みたいに、実はおっかない野郎にはな。お前が小便する姿を見ても平気だ」
「根に持ってるんだな……。いいことだ。二哥、あんたといると、ほっとするよ」
「嫌味だな」


 さて、ある日文殊菩薩は思うことあり、碧摩巌を発ち冥府へと赴いた。
 森羅殿へ伺うと十人の閻王に文殊は挨拶した。十王も挨拶を返すと、座を勧める。
「さて、今日はいかな御用でしょうか?また転生されたいので?」
 転輪王が訊ねる。文殊はほほえみ手を挙げ、
「いえ、それはまた後ほど。……今日は、特に思うことあって翠雲宮をお訪ねしようと参りましたのですが、その前に十王にご挨拶に上がった次第。ひょっとして十王にも孫大聖の事でご厄介になることがあるかも知れませんが、その時は宜しくお願い致します」
 十王は顔を見交わしなでさすり、
「孫大聖でしたら気心も知れております。何でも良きにはからいますよ」
と言う。
「ではその兄弟分、猪語能や沙悟浄が参るような事があっても孫大聖の顔を立て、力添えお願い致します」
「お任せください」
 文殊は暇を請うと立ち上がった。
 そのまま翠雲宮へ向かうと、門に黒衣の童子が出てきて宮殿に案内した。暫く椅子に座っていると、清々しい香りが漂い、地蔵菩薩が現れた。文殊は笑いかけると立ち上がり挨拶する。地蔵菩薩も挨拶した。
「これはこれはお久しぶり。長いことお目にかかりませんでしたが、今日はどのような要件で参られたのでしょうか」
 地蔵菩薩は優しげな面に笑みを浮かべる。
「全く、このところご無沙汰いたした。……元気そうで、何より」
「ばかなことを仰る。私共はいつでも元気です。(人間じゃないからね)」
「冥土は最近いかがです」
「これといった事件もなく、平穏無事です」
「ああ、そう、ふ~~ん」
 文殊は、落ち着きなく目を天井に走らせる。美しく装飾の施された升目の天井が広がっている。
「慈悲を本とし救済される地蔵菩薩のお手を患わすような亡者共は、最近はいませんか」
「ええ……。菩薩は、なにか頼み事がおありのようですね」
 文殊は清らかな地蔵菩薩に目を走らせると、
「分かりますか。私も修行が足りませんね。……実は、余計な心配でそなたの手を患わすことはよもあるまいと思うのだが、万一の時のことを慮って、今色々と手を回しているところです。私の顔を立て、どうか聞き入れていただきたい」
 文殊は頭を下げた。
「文殊師利、あなたと私の仲、どうして願いを聞き入れぬ道理がありましょう。そのように他人行儀になさらず、何なりと、仰って下さい」
 地蔵菩薩は片手を上げた。文殊菩薩は生気を取り戻した顔で、
「良かった……!菩薩は、孫大聖をご存知か」
「知っています。二、三度お会いしたことがあります。今如来が目をかけておられる唐僧の弟子の者ですね。ここへは暴れにしか来たことがありませんが、根の正直な、いい人物です」
「その正直者が、こへ来るようなことがあったら、是非助けてやって欲しいのだ」
「一体何故来るのです。それに、何故あなたがそれを言うのです。あなたは一行の目付役ではなかったはずだが」
 少し警戒するような声で地蔵が言う。
「それはまあ、ちょっとした関わり合いで……。そちに迷惑はかけぬから、宜しく頼む」
 真剣に頼む文殊に、驚きの目を向けながら、
「珍しいですね。あなたが本気になるとは。一体どんな関わり合いなのです」
「それは……、ついでに、その兄弟一家、誰が来ても宜しく頼みたいのだが。特に、三番弟子の沙悟浄、このものをくれぐれも頼む」
 手を合わせて拝む文殊に、地蔵、
「そのものは会ったことはありませんが知ってはおります。……あなたほどの人が、なぜそのように頭を下げられる」
と詰問する。
「それはお前は聞かんがいいかも知れん」
「文殊師利…!私は諦聴を持っています」
 文殊は地蔵を見た。地蔵は目の奥底を覗こうと見据えている。
 諦聴は面白そうに二人を見ている。諦聴は常に地蔵の机下にふせっている、天地の物事をあまねく知ることのできる妖獣であった。
「随分と執着なさっているように見受けられる。その者たちに」
 文殊は隠してもムダとふっと笑うと落ち着いた目を向けた。
「地蔵、お前おれが悟浄を抱こうとしたと言ったらどうする?」
「何ですって?」
 地蔵は卓に手をつき立ち上がった。
「何でもない。頼みは取り下げるよ。邪魔した」
 文殊は立ち上がり一礼して背を向けた。
「文殊師利……私はあのものを、知っています。私に任せていて下さい」
 地蔵菩薩の声が追いかけた。


 さて悟空、玉華州を出てからというもの、妙に解放感を覚え、心も浮き立つようで、自然と隠しきれない笑みを漏らす。足取りも宙を行く様。
 そんな悟空を気味悪がり、
「兄貴、何がそんなに嬉しいんだ。……気持ち悪いな」
と八戒が言う。悟空は、少ししまった、と思うと、
「何、あのガキ…もとい、第三王子がやっと悟浄から剥がれたかと思うと、嬉しくて」
「兄貴。そういえば最近、……」
「八戒。そういう話は、飯の後な」
 悟空が片手上げて遮った。唐僧は、
「ガキ、とはなんですか。悟空。仮にも自分の愛弟子を、」
とたしなめる。悟空はそれを聞き、
「良く仰る。おれのことこの猴の頭とか、あの悪猴とか、悪口言ったことも一度や二度じゃあるまいに。師父はすぐ自分の事を棚に上げ……」
「口ではそう言ったかも知れないが、疎ましく思った事はありません」
と三蔵は取り繕う。悟空はからかうように、
「それはおれたちがいないと旅もままならないからで……」
「だまらっしゃい!」
 急所を突かれた三蔵、窮し二、三度緊箍呪を唱えた。「痛い、痛い」と頭を抱える悟空に、
「本当楽しそうだな、兄貴」
と八戒が笑って言えば、悟浄もつられて噴き出した。
さて、彼らの行く手には、この後何が待ち受けていることでありましょうか、それは次回をお聞き下さい。

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一応このパロを書くにあたってですね、「原作に似せる」、「外来語は使わない」というのを自分に課していたんですけどね、「サボる」って、外来語やん~~!でももういーっス。

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