第三回

嬰児来たりて禍根の種を播き
金木土を誤りて過ちを助ける

 三蔵の一行は程なく天竺国鳳仙郡へと入った。そこで悟空は天の怒りを買い旱の憂き目に遭う郡候の願いを聞き入れ当地に玉帝より賜いし恵みの雨を降らせると、郡候は喜ぶことしきり、一行を離そうとはせず、暫く逗留を余儀なくされた、その時のことである。
 さて南海紫竹林では善財童子が山門に向かい歩いていた。竹林の中で観世音菩薩はその姿を見とがめると声を掛けた。
「善財、どこへ行くのです」
「師父、私、門下へ下って善果を受けてよりこの方、父母に会っておりません。いま暫くの暇を請い、両親の姿を拝し、親子の情を温めとうございます」
 善財童子は拱手して言った。
「そなたの両親は今は一緒に住んでいませんよ。……掲諦たちには口止めしておきましたからね、そなたが自分の腕を頼み、乱暴して聞き出そうとしても何も聞くことはできませんよ」
 観世音は断固とした口調で言った。善財童子は内心引きつりつつも笑みを浮かべ、
「師父、私はほんとに親が恋しい、まだまだ子供なんでございますよ。どうしてそのようなことを仰られるのか。それならせめて母に会いとうございます。母は未だに翠雲山にいるはずですから」
と食い下がった。
 菩薩は暫く無言で立っていたが、
「いいでしょう。行きなさい。もしお前が私の言いつけを守らぬようであれば、どうなることか分かっているはずだからね」
と言い放ち背を向けた。
 善財は暫くその姿を伏拝んでいたが、観世音が視界から立ち去ると舌を出した。
 ――くそ坊主め、まったく勘だけは女のように働きやがる。こりゃ面倒でも、本当にお袋のところに寄らなきゃならないぞ。
 しかし腹に悪巧みを一つ抱え愉快な気持ちで善財は門の外へ揚々として歩き出した。
「善財、お前にやにやして一体何処へ行こうってんだ」
 恵岸が声を掛けた。
「師兄、おれはちょっと里帰りして来るんだ。菩薩の許可も貰ってある。だから嬉しくてご機嫌なのさ」
「お前がそんな可愛らしいたまか。ばかなことをしでかすなよ。おれまでとばっちりを食うからな」
 善財は舌打ちすると、
「どいつもこいつもうるさいな。そんな余計な心配は無用だよ」
 一群らの紅雲を呼び出すと雲を踏まえて飛び去った。
 翠雲山芭蕉洞まで行くと、羅刹女は喜ぶことしきり、洞内に請じ入れ再会を祝した。暫くの歓談の後、善財童子はちょっとだけ遊びに行ってくるからと言い置き、西方目指して飛んでいった。
 西方の地、天竺国鳳仙郡の城市の中で、ぶらぶらと市街を見て歩いていた悟空は、遙か上空から、
「よう悟空。そんなところで何してる」
と言うのを聞き、腕振り上げて怒鳴った。
「こらっ、くそがき、貴様何の因果があっておれを呼び捨てに出来るんだ。おれのことは老孫(そんさん)とか、大聖とか呼べっていつも言ってるのを知らんわけじゃあるまい。降りて来い、叩いてやる」
 善財童子は瞬きするよりも早く地上に降り立った。
「紅孩児、お前何こんなところまで油売りに来てるんだ。菩薩も一緒なのか?」
「いいや。ちぇっ、貴様だっておれをその名で呼ぶ権利はない。貴様がおれを聖嬰とか善財童子と呼ばないんなら、あくまでおれも貴様を悟空と呼び捨てするだけだ」
「ふざけるな。まだ尻の青いガキのくせに。お前どうして今そんなに偉くなったか、忘れた訳じゃあるまい。おれのお陰だろ」
「よく言うよ。おれは菩薩の、殊更この輪っか(金箍児)には降参したが、お前と雌雄を決した訳ではない。何なら今ここでおれの三昧火をお見舞いしてもいい」
 悟空は往来の激しいにぎやかな街道に連なる商店や宿を見渡すと、愛想笑いをした。
「ぼっちゃん、分別のないことを言うのはよしな。おれはお前を善財と呼ぶから、お前はおれを大聖と呼びな」
「ああ、大聖……」
 しかし、そう呼ばれても何か心がこもってないのでバカにされているような気がする。
「いいよ、やめとけ。おれはやっぱりお前を紅孩児と呼ぶからお前はおれを好きに呼べ」
「いや、それはいかん。二人の間ならともかく、誰かに聞かれてそう呼ばれ始めでもしたら示しがつかん。やっぱりおれはお前を大聖と呼ぶ、呼んでやることにするから、」
「このガキ、いつか泣かしてやる」
「何か?」
「別に。何か用で来たのか?」
「陣中見舞いだよ。久しぶりに面でも拝んでやろうと思ってさ」
 悟空は善財がにこにこしているのを薄気味悪く感じながら、
「どうせちょっかい出しに来たに決まってる。素直に、ありていに申せ」
と言った。その時近くの店から八戒がお菓子をほおばりながら兄貴、と呼ばわり出てきた。
「全く城市の中ってのはいいところだよな。しかもおれたちは賓客だから何処へ行っても食い放題。これで遊び放題なら言うことないんだが。ああ何時までもここに居たいなあ」
「あほう。一人で残ってろよ。お前一人で幸せそうだな」
 八戒、善財童子に気が付くと、
「紅孩児、お前どうしてここにいる」
とお菓子を口に放り込みながら言った。怒ろうとする善財童子を抑え、悟空が言った。
「八戒、この坊ちゃんは、善財童子とお呼び申し上げなきゃならんのだ。そうするとお前のことも天蓬元帥と呼んでくれるって寸法だ」
「何だか面倒臭いなあ。紅孩児は紅孩児だろ。おれは哥哥(あにき)みたいにこだわらないからこんなにあほう呼ばわりされても怒らないだろ」
「そっちが構わなくてもこっちが構うんだ!」
「そんな訳だから、重々善財童子と呼び、いや呼んでやることにしてやってくれ」
 悟空はにたにたと紅孩児を見遣りながら言った。
「しょうがねえなあ。呼んでやる、呼びゃあいいんだろ。おい、善財童子、貴様なんでここにいる」
 紅孩児はむかつく腹を抑えつつ、
「お前たちが何か困ってることがあるんじゃないかと思ってわざわざここまで来てやったってのに、愛想のないやつらだ」
「困ってるゥ?おれたちが?兄貴、おれたち今何も不自由ないよな」
「師父はいらいらしているぞ。こんな所で足止めを食っているんだからな。幸せなのはほんとにお前だけだよ。あほう」
 善財はなかなか核心に切り込むことが出来ないのでいらいらする様、
「呑気なやつらめ。師父は何だか知らんがお前らのことで色めき立って文殊菩薩のところにくってかかって行っていたぞ。ぬらくらした文殊菩薩はへとも思ってなかったようだが」
 悟空ははっと思い至り顔色を変えると、
「もうかぎつけたのか。一体どうしてそんなことを知ったんだろう」
「掲諦が来たのさ」
「あいつら覗きと告げ口以外にすることないのかな。今更クビにする訳にはいかんだろうか」
 悟空は爪を噛みながら言った。
「兄貴、立ち話もなんだし、どうだいその辺の茶店にでも入って、饅頭でも食いながら話すのは」
「それはいい。おれは何か果物が食いたいな。あ~、肉でも食って帰ろうかな、おれ」
 善財ははしゃいで言った。
「ふざけるな。誰の金だと思ってるんだ。第一肉なんか食わせてたまるか。ここへしゃがめ」
 悟空がしゃがみ手で示したので、三人は土埃の立つ街道の隅にしゃがみ込み輪になった。
「ちぇっ。大聖はけちだなあ。文殊菩薩は、精進も生臭も生命あるものを食うことに変わりはないって言ってたぜ。だから精進はあんまり意味がないって」
「いかにもあいつの言いそうな事だ。それでお前はその気になったのか。思い出せ。そのやつは生臭を食ってたかどうか」
「兄貴、兄貴はいつの間にそんな文殊菩薩をあいつ呼ばわりできるような身分になったんだ。文殊菩薩がどうかしたのか」
 悟空と善財は目を合わせた。
「そう言えばお前にはまだ言ってなかったな。……おい、善財童子、お前が知ってるところまで話して聞かせろ」
「ご当人が話すのが一番確実じゃないか。大聖、どうぞ」
「ばか野郎。もうおれはお前が何しに来たか分かったぞ。ゆすりたかりが目的か?おれはお前如き青二才に弱みは作らんぞ」
「ほんとに大聖はけちだねえ。大親分と呼ばれたきゃ、もっと気を大きく持たなきゃ人は付いてこないんだぞ。おれは文殊菩薩が妖魔の真似をして、悟空と、おっと大聖と、悟浄の、彼の尊称は何と言ったかな、」
「どうでもいいじゃないか居ないやつの事は」
と八戒。
「そういう訳にはいかん。あとでお前が告げ口して紅孩児呼ばわりされんとも限らん。後顧の憂いは、断たねばならん」
「お前も大概疑り深いなあ。兄貴といい勝負だよ」
「八戒、お前が抜けてるだけだ。戦いに身を置くやつは、こうでなくちゃいかん。やつは、捲簾大将だ」
「ふうん……、孫大聖に猪元帥に沙大将ね。分かった分かった、で、その大将の禅心を惑わしたとしか知らんよ」
「ご苦労さん。君はもう帰っていいよ。そういうことだ、八戒」
 悟空は善財に向かって手を振ると八戒に向き直った。
「ちょっと待ってくれよ。そりゃないだろ?」
 善財が抗議する。八戒が言った。
「あはん。おれはすっかり眠っちまったが、あの夜のことだな。あの道士が、文殊菩薩だったのか」
「そういうこと。……」
「文殊菩薩が悟浄を水宅に引っ張り込んだことが、そんなに観音様の頭に来るようなことだったのか」
「何か救いがどうのこうのと言ってたぜ。何かあるんだろ、ホラホラ」
 善財は好機とばかり勢い込んでくる。
「そういえば、思い出したぞ。確かあの前の晩に……」
「八戒ッ!」
 悟空怒鳴った。好奇の目をらんらんと輝かしている善財を一瞥すると、
「いらんこと言うな。紅…善財童子様がいらっしゃる。おれもちょっとお前と話したいし、場所を変えよう。善財様はもうお引き取り下さい。とっとと帰らねえとお前より先に南海におれが行ってやるからな」
「けっ、分かったよ。帰るよ。あそこで果物貰ってくれよ。お袋にやるから。……何か悩みがあったら、遠慮なく言うんだぞ」
 やかましいと怒鳴りつつ、善財の指すレイシや梨、龍眼などの果物を渡すと、悟空と八戒は善財が雲を呼び見えなくなるのを確認してから泊まっている郡候の屋敷の庭へ行った。
 松柏の美しく生い茂る庭を縫うように歩きながら、左右上下を確認すると、悟空は庭の木陰に置いてある陶の椅子に座った。
「全くお前の志の低さもたまには役に立つことがあるんだな。あの時の紅孩児の面と来ちゃ、面白かったぜ」
 八戒も陶のテーブル越しに座ると、袖の中から果物などを取り出した。
「あいつは本当に帰ったかな」
「大丈夫だ。おれの目は一千里先まで見渡せる。やつもおれと同じ泣き所を持っていちゃ、帰らん訳にはいかんだろう」
「兄貴、話とはなんだい」
「うん……、」
 悟空は少し言いよどんだ。
「さっき言っていた、その前の夜のことだ。お前たち、何かこそこそしゃべってただろ。おれはやつが最後に悩みがあるとか言っていたのは分かっているんだけど、後はとても声を潜めていたのでおれは聞こえなかったんだ。多分それが核心だと思うんだが」
「本人には訊かんのか」
「やつはおれにはしゃべらんと言うんだ。でも菩薩はおれがやつを助ける手助けが出来るんだとさ」
 八戒は笑い出した。
「兄貴、可哀想に信用ねえんだな。やつはおれには話そうとしたのに、あんたに話すのを嫌がるとは」
 悟空痛い所を突かれむらむらすると、
「そんなんじゃない、何かおれに言えない訳があるんだ…この際言うが、おっと、お前他言するんじゃないぞ、特に紅孩児やその辺の下っ端野郎にはな。あいつ、色恋沙汰に血迷っているんじゃなかろうかと思うんだ。あの日の昼間の質問の内容といい、文殊菩薩の口振りから察するとな」
「へえぇ。女日照りのおれたちに、いつそんなことが起こったんだろう。…ふん、そうか。はっはっはっ」
 八戒は豪快に笑い出した。
「兄弟、何がおかしい」
「哥哥、そりゃおかしいよ。おれには分かった、相手は野郎なんだ」
「やっぱりそういう結論に達するよな。お前が相手じゃないだろうことは疑いないと思うが」
「おれがもてんというのか。やつはおれを好きといったぞ」
「それは話の枕だろ。自分のつらをよく拝んでみろ」
 八戒は耳をぱたぱたさせて顔をつるりとなでた。
「哥哥、お前もな」
「そうかな」
 八戒はフンと鼻を鳴らせると、
「さてね。直の原因はおれが哥哥が師父に懸想してると言ったことだな……おっと」
 八戒は悟空が火がついたように怒り出すのではと口を押さえて悟空を見遣った。悟空は恥ずかしさを覚えると困惑した表情で、
「……おれがそんな風に見えるのか」
「そりゃ兄貴、見えるも見えないもあんたは一々激しすぎる。並の執着心には見えないぞ。ちょっとおかしいと思ってもしょうがないと思うよ。あれじゃ」
「分かった。これからは自重するよ。もっと冷静になってみせる……そんなことならもう分かった。やつがおれに話さん理由も、あの日おれを無視したことも…よし、」
「何が分かったんだ。言ってみろ」
「師父には言うなよ。刺激が強すぎてぶっ倒れちまうこと請け合いだ。……やつはな、師父が好きなんだ。それだから、おれに嫉妬し、対抗心を燃やし、おれに楯突いたり、またおれに遠慮しておれに言わんという訳だ。さて困ったぞ」
「は……?!」
「おれたち兄弟なんだから、ちょっとは協力してやんなきゃな。おれは師父の世話を焼く係を代わってやるか。おれは節度ある弟子になってみせる。しかしよくよく注意して見守らなきゃな。押し倒しでもしたらえらいことだ」
「あの、兄貴……?」
「八戒、お前も余計な事は言わずと優しく協力してやるんだぞ。さあ困った困った」
 悟空は困った困ったを連発しながら立ち去った。
 ――弼馬温。お前はおれをぐずだのうすのろだのと言うが、てめえはただの早合点の早とちりだぞ。
 八戒は一人残されながら果物をかじっていた。
 さてその日三蔵と悟浄は城内の一壇家の葬式を頼まれ行っていたのであるが、夕刻には帰ってきた。
 悟浄が部屋に入ると、悟空がにこにこしてやってき、肩を叩く。
「……?」
 あれ以来なんとなく話さなくなっていただけに、悟浄は不審な目を向ける。
「悟浄、今日はご苦労だったな。これからも一つ師父のことを宜しく頼むよ」
「は……?」
「参ったな」
 悟空は頭をこきこきと折りながら去って行く。
「……?」
 さてその夜、師弟のために点ててくれた湯を最後に使うと、悟浄は夜着のまま頭を拭きながら庭を通 って泊まっている部屋へ戻っていた。
「三哥」
 庭の隅から白馬が声を掛ける。悟浄は寄って行くと、
「玉龍。久しぶりだな。話をするのは……。お前も風呂に入るか?気持ちいいぞ。おれが外で見ててやるから」
と頭をなでながら言った。
「うん。おれは風呂はいいんだが、今日紅孩児が来たらしいぞ」
「紅孩児が?」
「うん。何しに来たのか知らんが、それでな…変なことになったぞ」
「変なことって?」
 目を見開ききょとんとしている悟浄から目を伏せると、玉龍、
「うん、そのう……三哥、やっぱりあんたは、恋してるのかい?」
 悟浄は戸惑ったような表情を浮かべ、
「まさか、ばれちゃった?」
「八戒……ああいや、二哥と兄貴がそこで話していたんだが、そのう……誰にも言わんから、そうだったらうんと言ってくれ。三哥は兄貴が好きなんだよな」
 悟浄はポッポッと顔に朱を注ぎながら、消え入りそうな声で、
「うん……」
「あ~あ、」
「やだな…恥ずかしいよ、おれ」
 悟浄は両手で顔を覆った。玉龍はそんな悟浄を痛ましげに見ながら、
「それがな、そういう結論じゃなくなったんだ」
「じゃ、ばれてない?」
 顔を上げる悟浄に、
「ああ、いや……いいか、気をしっかり持って聞いてくれ。三哥は師父が好きなことに決まったんだ」
 悟浄は唖然とした。
「決まった……?何で……?そうなったんだ……」
「ばれたというか、ばれてないというか、変なこったい。まだ隠したいんなら、それを隠れ蓑にするんだな」
 悟浄は顔をしかめ顎に手をつかねて考えていたが、
「う~む」
と唸り、
「玉龍、どうも」
と立ち去った。
 部屋に戻ると師弟はもう寝ていた。ただ、寝台の位置が変わっていた。
 いつもなら、三蔵、悟空、八戒、悟浄と師弟順通りなのに、三蔵と悟空の間が空いている。悟浄訳の分からぬ 憤りを感じ頭をかくと、
 ――弼馬温め。余計なことしやがって。やけくそで今抱きつくぞ。隣だなんて、悪すぎる。
 とてもその寝台に上がる気力もなくほの暗い部屋の椅子に座ると卓の上の冷めた茶を注ぎ飲んでいた。
 と、悟空がもぞもぞと起き直る。
「悟浄、やっと戻ってきたのか。長湯だな」
「弼馬温」
「何?」
 聞き捨てならぬと声に緊張が走る。
「別に」
 悟浄はほーっと溜息をつき茶をすする。
「何だよお前、寝ないのか?」
 気を取り直し悟空が訊ねる。
「その寝台の位置、おかしくないか?」
「そうか?別に順番はどうでもいいと思うけどな」
「そんな訳にはいかん。おれは兄弟子たちを押しのけてそんなところには眠れない」
「そんなことで怒っているのか……!全くお前は奥ゆかしいな。いいからここに来いよ」
 悟空は自分の隣の寝台をポンポンと叩いた。
「兄貴。頼む今日はそこに寝るから明日は元に戻してくれ」
「遠慮するなよ」
「遠慮じゃないよ……ふん、」
 悟浄はそこにはい上がると横になり、
「あ~身体が持たんな」
 わざと真言を念じてみせた。
 さて郡候は、彼らを引き留めておくため毎日宴会や演劇、雑技などを催してくれる。それも最初の内はいいのだが、五日もすると疲れてくる。郡候も自由が欲しかろうと最近は無理強いしない。
「長老様たちには、今日はいかがなされます」
 朝食時、彼は決まってそう訊いた。
「どうぞお構いなく。……私たちは私たちで、遊んでおりますゆえ、」
 三蔵が笑って答える。内心はコンチクショウと思っているに違いない。
「そうです。私共ならお気遣いなく。どうぞ公務に精をお出しになって下さい。折角天に許された訳ですから」
 悟空の言葉に、郡候はさすがに青くなる。
「悟空、朝からもっと別の言い様はないのか、」
 三蔵がたしなめる。悟空はツンとすましている。三蔵は取り繕うように、
「郡候殿、私今日は城内の寺院など経巡り、この地の長老たちと交流を深めたいと思います。塔を掃く願もございますし」
「塔を掃く願とは」
 そこで三蔵が仏塔を見れば掃く願を掛けていることを言えば、郡候は感心することしきり。悟空思いつくことあり、
「悟浄、付いて行けよ」
「兄貴、いつも君が喜んでホイホイ付いて行くじゃないか。兄貴も行くんだろ」
「う~ん」
「師父、付いて行きたいのは山々なのですが、私久方ぶりに本など読み、知識を蓄えとうございます。この郡候殿は、書架に良い本を沢山お持ちのようでしたから」
「それもまた良いこと。遠慮なくそうしなさい」
「悟浄、本なんぞ夜だろうが明日だろうがいつでも読めるだろうが。そんな気勢をそぐようなこと言わんで、付いてくりゃあいいんだ、」
「兄貴、おれは今日何するか訊いてくれんのか」
 八戒が耳をぱたぱたさせて言った。
「八戒、お前は何がしたいんだ」
「おれは陰気くさいやもめばかりの寺なんぞより、若くて美人の出る演舞かなんか見たいな」
「このあほう!おれたちの格を損ないやがって!」
 悟空は八戒のたてがみを引っ張った。
「つべこべ言わんと師弟四人で行けばいいんだ…。師父行くところにおれたちあり、それが本当の姿だ」
「兄貴、おれのことは気にしてくれるなよ」
 八戒手を振って言う。三蔵も、
「悟空、ここは妖怪の出る気遣いもなし、悪人もおらぬよいとこ。無理強いはよくないぞ」
「でもこいつ一人でほっといたらいつ道を踏み外すや知れませんぜ」
「兄貴。おれが八戒を見張ってるよ」
 悟浄が茶を飲みながら言った。
「悟浄。おれの気遣いを無にするつもりか」
「気遣いとは何のことだい?」
 悟浄は冷やっこい目を悟空に向ける。
「そのことはまあいいとして、行って来いよ。おれが八戒のあほうを見張ってるから。お前だったらなめてかかるからな」
「兄貴。二哥はおれをなめてるんじゃない。一緒に遊ぶ心を出して心のままに振る舞ってるんだ。お前が一緒だと、二哥は落ち着かず窮屈に違いない」
 郡候は良く分からないが雲行きの怪しいのを悟り、
「まあまあ、本はいつでもお読み頂けるよう計らっておきますので仲良く参内されてはいかがです……?そちらの長老には、特別の表演を設け、いたずらされぬよう漢どもを付けておけばよかろう」
「全くその通りで」
 八戒喜ぶ。
「郡候。こやつは人間如き紙屑程度にあしらっちまいますよ。そんな事なら腕の立つ道士を付けて下さい」
 郡候はうなずき使いの者を近くの道観に使いにやる。
 悟空はホウと溜息をつき、
「じゃあ悟浄。仲良く行くとしようぜ」
 悟浄も仕方なくうなづいた。
 さて三人はやがて八戒と別れると郡候の付けてくれた案内の者に随い馬に乗って寺院を訊ねた。悟空はなんとなく遅れ気味に、三蔵が話しかけてもすぐには返事をしないので勢い悟浄が三蔵の相手を務めることになる。また、元々悟浄は一行のナイナイ(おんなへんに乃)を以て任じているので、ほっといても心細かく優しげに三蔵の面 倒を見、世話を焼くのであった。
 その様子を見、いいぞ、いいぞと一人悦に入る悟空であった。


「悟浄。ほんとに本を読むんだな」
 その夜、灯りを掲げて書架で座って本を読んでいた悟浄に、悟空が卓に手をつき言った。悟浄は本を両手で掴みながら、
「今まで読まんかった方が不思議なくらいだ」
「何を読んでるんだ」
「論語。大体覚えてるけど、師弟のあり方を知るにはこれが一番」
「そんなに悩むなよ」
「兄貴。あんた何たくらんでるんだい。昨日から、あんた気持ち悪いぜ」
 悟空は悟浄の斜め向かいの席に座ると、
「ちょっ、機嫌が悪いな……!そう怒るなよ。おれはお前を助けようと思ってんだからさ」
「それで?どういう風に?」
 悟空は咳払いをすると、
「あのな、…今まで気が付けなくて、すまんと思ってる。おれも気が利かなかったよ。ほとんど師父に対していいとこ独り占めで。これからはお前に極力先を譲るから、許してくれ」
「何言ってるんだ。おれには分からんよ」
 悟浄は論語をぱたんと閉じ、礼記を手に取りながら言った。
「茶でも飲むかい?」
 悟空がああ、と言ったので傍らの盆を引き寄せ悟浄が注いでやる。
「あのな、おれは師父のことを、別にどうこうっていう気持ちは全くないんだ。ただ純粋に尊敬してて、あんまり頼りなくて危なっかしいんで、ついついお節介になっちまうんだけどさ……お前、好きなんだろう?」
「それで?」
「なるべく協力してやろうと思ってさ。……親密になる機会を増やしてさ。お前の良さを分かってもらおうってんだよ」
「兄貴」
 悟浄はふーっと大仰に息を吐き、
「そんなことは余計なお世話。今まで通りほっといてくれないか」
「何でだよ」
 悟浄は頭を振り、
「兄貴は何も分かっちゃいないんだな…。そんなことしたら師父に怪しまれるだろうが。今日だって首を傾げていたぞ。気付かれたくないのが、分からんかね」
「そっか……」
「よしんば気付かれたところで、どうなるってんだ。どうもならん。おれたちは仏僧だぞ。身を清く保つためには、近寄りすぎぬ に越したことはない」
 悩ましげに眉を寄せる悟浄に、ちょっとどきんとしながらも、
「そうだなあ…。押し倒しちゃいかんぞ。何があっても。でも、協力させてくれよ。ずっと一緒に居たいだろう?」
 ――この猴の頭め。可愛さ余って憎さ百倍。結構いい感じだぞ。
「兄貴。好きにしてくれ」
「なんか余り嬉しそうじゃないな」
「あんたを恨めておれは幸せだよ。ところでどうしてそんなことが分かったんだい?」
 悟空ちょっとムッとしつつも、
「紅孩児のやつが来たんだよ」
「やつが。何しに?」
「観世音菩薩が文殊菩薩の所に怒鳴り込みやがったらしいんだ。例の件で。それでやつおれたちに変なもめ事ありと探りに来やがったんだ」
「菩薩に筒抜けか。それで紅孩児の持ってきた情報なのか?おれが師父うんぬんというのは」
「いいや。おれと八戒が知ってる情報を持ち寄って出した結論さ」
「そう……」
といいながら、悟浄は心の中で思っていた。
 ――八戒のやつめ。また何か下らんことを言ったな。あの大飯食らいめ、ただじゃ済まさんぞ。
 翌日、八戒が特別にしつらえてある御苑の中をそぞろ歩いていると、悟浄が向こうから顔を押さえてやってくる。
「悟浄、どうしたんだ」
と問えば、悟浄目を伏せ、
「ああ…二哥、あっちへ行くな。目の毒だぞ」
「何だ、どうしたんだ」
「女が水浴び…いや、何でもない」
 八戒その言葉を聞き捨てず、急いですたすたとそっちへ行く。
「八戒、痛い目見るぞ」
 後ろから悟浄が叫んでも、八戒は歩を進める。
 松の木を生やした碑文入りの大きな一枚岩を廻ると池があるのはもう知っている。急いで池の端まで行くと女など居ない。
「ぎゃっ、」
 不意に八戒は蹴倒され、池の中へ飛び込んだ。
 慌てて上を見ると悟浄が石に片足乗せて見下ろしている。
「この黒んぼう、なんてことするんだ、」
 言いも終わらぬうち八戒はまたぎゃっと言った。
「二哥、気をつけろよ。この池には鰐がいる。お尻を噛まれないように気をつけろ。おっと殺しちゃならんぞ。この辺にはいない珍獣、郡候が大層可愛がっておいでだからな。どうだ、痛い目見ただろう」
 八戒はしっしっと鰐を追い払い上がろうとすると悟浄が上がらせない。
「悟浄、お前何でこんなことするんだ。あの弼馬温じゃあるまいし、ひどいことするなよ。お前だけはいいやつだと思ってたのに。お前は皆のナイナイじゃないか」
「おれがいつ皆の娜娜(ナイナイの元字はこれでいいのかなあ・奥さんの意)になったんだ。気色悪い」
「あの唐僧は短気で癇癪持ち、弼馬温は粗忽な暴れん坊、お前だけが、物分かりのいい優しいやつだと思ってたのに、弼馬温の真似など始めるとは。最近お前突然気が荒くなったぞ」
「それはお前がおれを見誤っていたんだ。いつでも優しくしてやるか。人を損ないやがって」
 八戒一生懸命鰐を追い払い、池を上がる隙をうかがいながら、
「おれがいつお前を損なったんだ」
「あることないこと吹き込んで、兄貴を担いでいるんだろう。おれは嫌がってるのが分からんのか。知らん振りしやがって」
「沙和尚、それは大きな誤解というものだぞ。あれは兄貴が一人で変に納得しちまったものなんだ。おれは何も言っとらん」
「兄貴は二哥と兄貴で出した結論だと言ってたぞ」
「おれはお前が、兄貴が師父に懸想してると言ったら怒りだしたと言っただけだ。本当だよ。でもお前、野郎が好きなことは疑いないだろう」
 悟浄は思った。
 ――こいつ、うぶな師父や兄貴と違って、そういう方面へはよく勘が働くからな。芝居に乗ってやった方が得策だ。
「師父には言うなよ。兄貴にもいらんこと言うな。何も言わず、してくれるなよ。おれは我慢をせにゃならんからな」
「分かった、分かったよ」
「もし、約束を違えるようなことがあったらどういうことになるか……こうなるんだ。よく目を開けて見とけ」
 その時三蔵と悟空がやってきた。悟浄はそれも計算の上であったのだが、三蔵、
「悟能、悟浄、そんな所で何をしているのです」
「師父、二哥が池の中の鰐を見、革が立派なのを見て掴まえ革をはぎ売っぱらおうと言うんです。私は止めているのですが」
「あっ、こいつ、」
 暴れる八戒を足で押さえ、悟浄言う。
「郡候にこれほどお世話になっておきながら、何たる不届き。悟空、八戒を引き上げ打ちなさい」
 悟空近寄り八戒を引き上げる。八戒、
「師父、こいつの嘘を聞き入れちゃいけません。こいつはおれを陥れようとしているのです」
と悟浄を指さし言う。
「おだまり。悟浄が人を陥れる虚言など言うものか。虚言はお前の得意技、大人しくぶたれなさい」
 ヒーヒー言いながらひれ伏す八戒を悟空は二、三度手の平で打った。
「兄貴。その辺で許してやれよ。二哥も反省してるみたいだしさ」
 見かねたように優しく悟浄言う。
 八戒と目を合わすと、悟浄はにやにやと笑った。
 尚も打ち据えようとする悟空を制する三蔵や泣いてとりすがる八戒の声を聞きながら、悟浄は踵を返した。
 ――八戒にゃ悪いが、これでいいのさ。あいつは勘が良すぎる。……おれは芝居に乗ってやるさ。名前をすげ替えれば、いいことだ。師父を思ってる振りして、兄貴のことに身を焼けばいい。
 悟浄は心を決めてしまうと、何処までも広がる青空を見た。
 さて、一体これから先どのようなことになるのでしょうか。続きは次回をお聞き下さい。

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