獲罪於天   罪を天に獲れば
無所祈也   祈るところなし
(論語)

 さてこのお話は、世にも有名な三蔵法師取経の旅を描いた、西遊記の書かれざる裏の物語りであります。
 なぜ書かれなかったのかというと、聖僧取経のものがたりにあるまじき破戒の物語だからであります。こういう物が何の説法の役に立つでありましょうか。百害あって一利なし、そう判断されたのでありましょう。
 事実、これは背筋も凍る恐ろしい話なのですが、胸熱くする美しい話でもあるのです。それを、皆様に一旦は菩薩となりながらも、今もそうではあるのですが、好んで修羅となった私がこっそりお教えしましょう。

 さて、法師一行は道中幾度となく艱難辛苦に遭いながらも、西へ西へと参っておりました。
 その道中では、人間の居る所には感情があるということで、各人の思惑が絡み、諍い、仲違い、あらゆることが起こったのでありました。
 そして、凡夫の持つあらゆる煩悩を吹く湿地、愛も例外ではありませんでした。
 唐三蔵の三番弟子、元は天上界で鑾輿に侍っていた捲簾大将、沙悟浄がその人でした。
 彼は一行の中では最も背が大きく、長い間天罰を受け流沙河に堕とされてからというもの礼節もなく人を食したりしていたのですが、元は高級官吏、一行に加わってからというもの、礼を思い出し、師父や兄弟子に尽くす良き弟子となりました。何かと自己主張の強い人物の中にあって、そんな彼の仕事は勢い中庸、仲裁となったのですが、それはなくてはならない貴重な潤滑油でありながらも、彼は満足出来ませんでした。
 彼は自己主張の強い他の三人のそれぞれ良いところを認め、行動者たりえない傍観者の自分を嫌悪しました。
 特に希有の行動者、師兄孫悟空の鮮やかさには圧倒されるばかり、彼の全てに感動し嘆息している内に、彼はあることに気づいてしまったのでありました。
 それは、どう頑張っても性質の違いはいかんともしがたいということ。
 幾ら彼を見習い、観察し真似ようと思っても人や物には持って生まれた性質というものがあるのです。水は火にはなれないし、同じ陶器だからといって、皿に水差しの代わりは出来ません。その逆も同じです。このように性質の違いがあって、全てが補いあってこそ、互いか生かされるということは、皆様五行の相生相剋の原理でご存知かと思いますが、彼の回りは少々型は違えども動の者ばかり、勢い劣勢の静の者となっては、世に優劣はないと分かってましても、自己を卑下し、劣等感にさいなまれることしかできませんでした。
 「論語」に言います。「賢を賢として、色に易へよ」と。そういう憧れの対象は、こがれる余り、愛に変わり易いものです。
 そして彼は、自己嫌悪と共に、まぶしい存在の師兄に惹かれてゆくのを止めることは出来ませんでした。
 勿論そんな事に気付く道理もなかったのですが、ある難の訪れが彼にその自覚をもたらしました。
 宝象国で妖怪に捉えられ軟禁状態にあった時、思いもよらず破門となっていた師兄孫悟空が助けに来てくれたのです。
 望外の喜びに彼の身体の中を甘露が巡る心地がし、…下世話に言えば、快感が彼を襲ったのでありますが、彼はその時改めて師兄の偉大さと、惚れている自分に気付いてしまったのでありました。
 さて、恋というものは、人を美しくもする楽しいものではありますが、色々と患うつらいものでもあります。
 彼の場合、同性であることと、何より出家の身であるということが枷となり、次第に楽しい時は過ぎ、側に居るのもつらい境地に入っておりました。彼は不自然にならないようにふるまい、師兄に接するのに神経をすり減らし、逃げ出したい気持ちで一杯でした。しかし、罪を天に獲れば祈るところなし、彼には逃げる処などないのです。いっそ死んでしまえたらとさえ思いました。悟空に殺されたら、自分はどんなにか本望だろう。それも腕の中で死ねたらと。彼は日に夜にそれを夢見るようになりました。
 しかしまだ沙門としての自尊心も失ってはおらず、自殺は厳禁、そしてこの苦しさを乗り越えて西天へ参らねばという葛藤に身を焼いていたのです。
 私が何故そのようなことを知り得たか。それは私が修羅だからです。
 修羅は執着を好むもの、私はこのような心持ちが好きで修羅となったのです。私の集めた宝物はこのような心で一杯です。身を焼く煩悩の業火に悶える人の姿ほど美しいものはないと思っています。この業が私を修羅たらしめているのですが、何の悔いもございません。沙和尚にも私のような開き直りがあれば法の枷もなく苦しみも晴れると思うのですが、純な彼にはそうもいかないようで、はてさていかがなるでありましょうか。

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