第四十三回 黒水河変(二)

「おれは無関係だ」
 馬が人間の声を出した。この馬も、もとは西海竜王の三太子、美しい竜だった。
「その妖怪はだ潔だろう。叔母さんの……親父の妹の九番目の末っ子で、従兄弟だが、ひねくれた性格で、悪賢く、……。正直言って関わり合いになりたくない」
「情けないな……お前責任取って直談判に行って来い」
「……えー」
 悟空に言われて白馬が嫌そうに言い、長いしっぽをぶるんぶるんと振り回す。
「大聖、ほれ、あそこ、」
 老竜王が袖を引いた。そこには、美しい小箱を捧げた小者がいっさんに西海目指して急いでいた。
 悟空は棒の一撫ででその小者を永遠に眠らせてしまうと、小箱を開けた。確かに中には一通の手紙が入っていた。
「何々、愚甥だ潔、頓首百拝……ほんとにだ潔だな。字はまあまあだな」
 悟浄が横から覗き込んだ。その目をちらりと悟空の横顔に走らせる。彼の中にはもうさっきの一連のやりとりはすっかり消し飛んでいるようで、師父のこと、師父を救い出すことのみに興味が向いているようであった。
 悟浄にも師父がまだ無事で、命の保証もあり、嬉しいことは変わりがないが、やはりぬか喜びに対する落胆は拭えなく、密かに溜息をついた。
「……悟浄、悟浄!」
 悟浄が我に返ると、悟空がじっと見ていた。
「あ、何、」
「何ぼっとしてんだよ……おれはちょっと西海竜王のとこまで行ってくる。お前はここで見張ってろ」
 言うが早いか悟空は手紙を握りしめて飛んで行ってしまった。
 ――一本気な人だな。……やっぱりよく分からない人……
 悟浄は悟空の飛んで行った方角を目で追っていた。

 悟空は西海へ行って宮殿へ案内も請わずに上がり込むと、竜王の前に立ちにやりと笑った。
「おれはあんたの招待に預かったことはないのに、あんたはおれの奢りで一杯やったね」
 そう言って手紙を突きつけた。
 竜王は子細を聞き、顔を青くし平身低頭し謝った。
 それから太子摩昂を召されると、妖怪討伐を命ぜられた。太子は畏まると恭しく挨拶した。
 上品な、貴公子然とした男であった。
「それでは参りましょう」
「おう」
 悟空はくるりと踵を返した。
「大聖」
「ん?」
 悟空は西海竜王に呼ばれ、振り向いた。竜王は眉間に皺を寄せ、すがるように見上げつつ、
「我が倅は、玉龍は無事に勤めを果たしておりますでしょうか。………元気でやっておりますでしょうか」
と、問うた。
「ああ……息子さんは、立派に働いてますよ。ご心配なく……というかそんなに気になるならたまには顔を見に来たらいいじゃないか」
 それに対して竜王は首を振り、
「いやいや…一度は世間体の手前、縁を切り見捨てた命…、けじめもつかぬうち、おめおめと顔を見にいくことはできません。罪を贖い終わるまでは……しかし一度救われたとなればやはり可愛い我が子の命、今度こそは無事天寿を全うして欲しいと、大事にして欲しいという親心はどうしても抑えることが叶わぬのです」
「大王さんよ、あんたこの孫さんを見くびってるな。このおれが居る限り、あんたの息子は失敗させない。無事全うさせるに決まってる」
 悟空はずいと老竜王の顔をのぞき込み、不敵に笑った。
「そんな訳で、いつでも気軽に顔を見に来ればいい」


 こちら黒水河のほとりでは、龍馬も本相を現し、河神と悟浄の傍らで水面を追って話をしていた。
「ところでだ潔ってどんなやつなんだ?」
「だ潔……」
 玉龍はまたも嫌そうに顔をしかめると、
「さっきも言ったが、ひねこびてて…一筋縄でいかないというか、苦手だった」
「相当いじめられていたようだな」
 悟浄がにやにやと言うと、
「ああ、あいつには随分ひどい目に遭わされた。小さいときから叔母さんに連れられてよく遊びに来ていたが、年が近いから一緒に遊べと言われるんだが…例えば昼寝している親父の顎の珠を磨いてやると大層喜ぶとそそのかされて顎に手をかけた途端、逆鱗に触れて一撃で吹っ飛ばされてボロボロに……それをあいつはにやにや笑って見ていた」
「お前も龍だろうに、なぜその位のことが分からない」
 悟浄が呆れて笑う。
「口が上手かったんだ。人には触れることができないが実の子なら喜ぶとか、なんとも納得できそうな話じゃないか」
 それから、あんなことがあった、こんなことがあったと次から次へとだ潔との逸話を語る玉龍。懲りず騙され続けた玉龍に悟浄は哀れを催すよりも、
「お前こそ、間抜けでお人好しのバカか」
 玉龍は自覚があったのかばつの悪い顔をしてうつむく。
「だけど……、」
「だけど?」
「いや」
 玉龍の脳裏に最後に見た顔が浮かぶ。家人の後方から自分を見ていただ潔の顔は、痛ましげな、切なげな、愁眉を寄せて今にも泣きそうなものだった。それは玉龍が罪に問われた、珠を焼き死罪は免れぬと通牒を受けたときのことである。
 結局ひとことも交わすこともできずに別れることになったが、なぜかその黒曜石のような瞳がひたむきで、忘れることが出来ない。
 やがて悟空が摩昂太子とその部下を引き連れて戻って来るのが見えた。
「あ、兄貴だ。……オレの兄貴も一緒だ。ま、とにかく今度解散の相談する時にはオレにも一声かけてくれよ」
 そう言うが早いか龍はなぜか馬に戻る。
 悟空と摩昂は河原に降り立った。摩昂が馬の振りして無視を決めようとする玉龍と無理矢理兄弟の再会を祝した後、悟空は二人に作戦を相談した。
「私が奴をおびき出しますので、その間にあなた方の師匠と兄弟分を助け出して下さい」
 摩昂が言うと、
「じゃあ悟浄、お前が行け…やつは誘いにのるかな」
「水府をぶっ壊してでも」


 水府で伯父の到着を今か今かと一張羅に着替えて待っていただ潔は、伯父ではなくその太子摩昂が武装して来たと聞いて小者に武器と鎧の用意をさせておき、摩昂の居る門前へ出向いて行った。
 摩昂と会うのは、父のけい河竜王が死んで西海に里帰りした母親に連れられ世話になっていた時以来、
「大表兄(あにうえ)、おとうとがご挨拶に参りました」
 折角唐僧の肉をふるまって伯父に売り込もうとしていたのを水をさされ、やや気分を害されながらも、だ潔は可愛らしく下手に出ていたが、
「だ潔、唐僧を放せ。彼の取経の邪魔をしてはいけない」
と言われる段になって、本性を現した。
「……裏切った、という訳か。いやだね。それじゃおれ一人で喰う」
 だ潔は重い門を閉めようとした。その隙間に摩昂は指をねじ込み、閉めさせまいとした。
「お前も恩知らずだな。玉龍の邪魔をする気か」
「あんな奴。もう死刑になってると思ってた」
「だ潔!」
 摩昂は武器を隙間に刺して梃子の原理で扉をこじ開けた。重いとはいえ、扉はぐにゃりと曲がって閉まらなくなった。
 だ潔は驚いて宮殿へ取って返すと、黒い鎧を身につけ、鞭を手に戻ってきた。
「おとなしく帰れば許してやるものを、人の家をよくも壊しやがったな」
 だ潔が鞭をふるう。摩昂は三角の鉄鞭を取り出し闘いが始まった。
 どさくさに紛れて悟浄は侵入すると、逆らうもの悉くなぎ倒し、気絶している師父と八戒の戒めを解いて水府から脱出した。
 三人が水面へ向かっていると、摩昂がだ潔相手に丁々発止の争いをしていた。しかし、摩昂の武術は、悟空とも、妖怪たちとも違って、隙がないのに優雅で美しかった。
 悟浄が合図をくれると、だ潔は悟浄に気づき、唐僧らを連れているのを見て取り乱し始めた。気の乱れが武術の乱れを誘う。
「だ潔、もう降参しろ」
 摩昂が優しく言った。
「うるさい。返せ!」
 だ潔のふるった鞭が摩昂の頬を掠める。その鞭をわざと腕に絡めると、摩昂はだ潔をぐいっと引き寄せた。
「怪我をさせたくないんだよ」

 黒水河のほとりでは、だ潔を取り巻いて悟空、八戒、悟浄、玉龍、摩昂が立っていた。三蔵はまだ気絶していて松の木陰に休ませてあった。
「死刑だ」
 八戒が憎々しげに言った。
「どうにでもしろ」
 武装を解かれただ潔が投げやりに言った。
「親父も殺すと言うだろう。だがだ潔、おれが助けてあげる」
 摩昂がにこにこしながら言った。皆はきょとんととして彼の方を見る。
「その代わり、お前の命はおれのものだ。その命も体もお前の全てはおれのもの。他の誰にもずっと渡さない」
「嫌だ!」
 だ潔は呆然と摩昂を見つめていたが、そう叫んで自らの肩を抱きしめた。
「兄貴!」
 嘘だという顔で玉龍も実兄の言葉を遮った。
「冗談だろう?許嫁が、いなかったか?」
「玉龍、何を考えているんだ?」
 摩昂はにやにやと玉龍を見て言う。玉龍は自分の恥ずかしい想像にうつむく。
「……お前は嫌か?玉龍」
「それは……、嫌に決まってる」
 何だかだ言っておいて、玉龍にとってだ潔は結局一番良く遊んだ最も年の近い従兄弟であり、幼なじみであったし摩昂は尊敬出来る兄だった。
「心配するな。だ潔。お前もじきおれを好きになる」
 摩昂はおびえるだ潔を抱きしめた。
 貴公子然としてすんなり見えるが意外と丈夫な摩昂に比べていささか貧弱で華奢なだ潔。
 だ潔は唇をかみしめ、
「玉龍の前では……放してください」
「もう一声足りない」
「分かったから!……」
 だ潔はついに降参した。そんなだ潔を玉龍は震える握りこぶしで呆然と見つめる。
「あっち行こうや」
 何かを察した八戒が、声もなく唖然と見ていた悟空と悟浄の袖を引っ張った。
「だ潔!」
 玉龍の声は震えていた。彼の中で、自分とだ潔の過去が、今までの関係ががらがらと崩れていくような気がしていた。だ潔の瞳が訴えるように玉龍に向けられている。摩昂は腕を放した。
「帰ったらおれのものだ。今だけ自由にしろ」
 だ潔は真っ直ぐ玉龍を見ながら彼の前に跪いた。そして抱きついた。玉龍も反射的に背中を抱き寄せる。
 そんな二人を、後ろから摩昂は黙って見ていた。どちらかといえば陰のあるだ潔が、天真爛漫で明るい玉龍のことをずっと見つめていたのを彼は昔から知っていた。その想いが、熱く深いものであることも。それでもずっと秘めてきた思いの丈を、あるがままにぶつけるだ潔を、愛しいと思って彼は見ていた。
「玉龍……生きていてくれて、また会えてよかった。おれは、上っ滑りじゃなく、妬むくらいにあんたのこと好きだったよ。焦がれてた。羨ましかった。でも、なれないから、憎かった……」
「だ潔……」
 玉龍は余りの展開に着いていかない頭で、ただ名前を呼ぶ。
「だ潔。来い」
 だ潔はするりと玉龍の腕から抜け出すと、摩昂の元へ歩を進めた。
「悪いとはおれは思っていない。大聖たちに宜しく」
 早や、そこに二人の影はなく、玉龍だけが空を睨んで立っていた。


 う…んと声がして、外野を決めていた三弟子が振り向くと、三蔵が顔に手をかざしながらこっちを見ていた。三人はすぐ彼の元へと寄って行った。
 彼らは三蔵の前に跪く。まだ寝ぼけている三蔵は、ただそんな三人をうつろな目で見ていた。
「ご機嫌はいかがですか?師父」
 悟空がいたわるように言った。
「ここは……?私は?」
「黒水河ですよ。師父。あなたは妖怪にさらわれて気絶していたんですよ。……でも、もう大丈夫。妖怪は退治しました」
 さも当たり前のように言う悟空の後ろで、八戒がえらそうに、助けたのは摩昂だのに、と言った。
 三蔵は我に返ると、今更ながらにおびえた表情をした。
「ああ、そうだった……。怖かった。もう駄目かと思った」
「もう大丈夫、大丈夫なんですよ」
 そんな唐僧に、悟空は声を励まして言った。三蔵は、悟空のそういう自信に満ちた声を聞くと落ち着くようであった。
 無意識ながらも、彼が心の底から信じ、頼る相手は只一人、悟空のみであった。
 彼は気持ちを落ち着かせると、改めて自分の三人の弟子達を見渡した。彼の偉いところは、きちんとそれぞれの目を覗き込んで、一度は見つめ合うことだ。悟浄、八戒、悟空と目線を移して、悟空で視線を止めると、彼は弟子達に助けてもらった礼を言った。
「そんなに感謝されることじゃありません。無事で何よりでした。我々がここに居るのは、あなたを守るためなんですからね」
「兄貴よ、今回はあんたが偉そうに言えた義理じゃねえだろう。苦労したのは、おれとか、悟浄なんだから、そういうこと言う役ゆずれよ」
「悟浄にならともかく、お前はだらしなく捕っちまった口じゃねえか」
「だって、そりゃ悟浄があんまり闘わないから。おれが頑張って捕まっちまったんだよ、兄貴」
「人の悪口は言うな。結局お前は捕まったんだ」
 二人はいつものように言い争いを始めた。どっちも我が強く引かない。
「おい、悟浄、仲裁してくんねえのかよ、今日は」
 さんざんにいびられた八戒が悟浄に助け船を求めた。
 悟浄は溜息をついた。
「そんな気分じゃないよ」
「卑怯者~」
「誰が卑怯者だ、あほう。お前だ」
 また、悟空は嬉しそうに八戒をいびり始めた。
 生き生きと八戒をいびり、あなたのために、と三蔵に語りかける悟空にはもうあの二人きりの会話は忘れられているようだ。あの言葉にそれほど意味はなかった、それが当たり前と思っても、自分一人がもてあそばれたようで割り切れない悟浄。
「仲裁しなきゃお前の居る意味はねえんだぞ~」
 八戒が悪態ついたとき、悟浄は彼らの方に振り向いた。
「強いていえば、あんたらはどっちも悪い」
「おれの一体何が悪いと言うんだ!」
 悟空はおたけんでいた。悟浄はふてくされていた。八戒はにやにやしていた。
 玉龍は既に馬に戻り、草をはんでいた。

BACK NOVEL

総ホモ万歳!(笑)迷ったけど結局摩昂もホモに~。いや、別に明言してないしホモじゃないかもよ…(今更)摩昂とだ潔の武器は、原作だと三角の鞭?と節の付いた鉄鞭。昔はネットなんてないから三節棍と九節鞭?ってことでキャラを作ったけど、今回改めてネット検索したらなんか堅い棒の鞭があるらしーね。だ潔の分もしかしてこっち?と思いつつも、腕に絡めて、のシーンが入れたくてやっぱり三節棍と九節鞭を想定して書いてます。見た目もいいしね。龍族には軟器械がよく似合う! しかしほんと調子よく啖呵切った割には働いていない悟空(笑)

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