Last Christmas

その年のクリスマスは、比較的暖かく、抜けるような透明な空が印象的だった。
 抜けるような透明な…、と思い浮かべるたび、冬樹は心臓をぎゅっと掴まれるような息苦しさを覚えずにいられない。
 失った時は戻らない。後で幾ら後悔しても、戻ってやり直しなどききはしない。
 いや、人間生きているうちは、やり直しがきくモノもある。…

 2年前のイブも過ぎた25日、街はもう次のイベント、新年へ向けて動き出していた。
 冬樹はそんなせわしない街の様子をアトリエの窓から見下ろしながら、昨夜のことをぼんやりと考えていた。
 彼の異母兄である直也の、突然の申し出。
 そして、昨夜の直也の、ちょっと前までの脆く崩れ去りそうな脆弱さとは違う種類の、どこまでも澄み切った、クリスタルのような儚さ…。今まで、冬樹は男に対して「きれいだ」と思ったことなどなかった。
 直也に「仁科と付き合っている」と言われた後も、直也を見る目が好奇も交え多少変わったとはいえ、仁科に直也がどう見えているか、その心情は全く理解できなかった。
 しかし、抗いがたい運命の荒波の中でもがき、ともすると流されそうになるのをどうにか堪えている直也を見ているうちに、少しずつ自分の中の直也の捉え方が変わっていったと冬樹は思う。
 そして、昨日、直也がどうしようもなく愛しく、きれいに見えた。「麻美を頼む」と語りかける直也の姿と、声が甦る。今まできいたこともない、柔らかくくすぐるような声。吸い込まれそうな瞳。瞼を閉じたときの長い睫  。全てが、身体をざわめかせ、冬樹を息苦しくさせた。
「もしもし、直也…?今日、麻美居ないんだろ?独立の見学がてら、帰りに俺んとこ寄らないか?」
 何言ってんだ、俺…と冬樹は思いつつも、胸を高鳴らせながら、オフィスに居る直也に電話をかけた。
 直也が簡単に応ずると、冬樹は今まで張りつめていたものが解けて、ふっと息を吐いた。
 ――なんでここに呼んでんだ…やばいよやばいよ、俺。
 彼は自分の中に巣くう不安の正体に気づきながらも、なんてことないさとうそぶくと、頭を振って仕事にとりかかった。

 その日出る用事があった冬樹は、直也に来る前電話をくれるよう言っていた。
 7時を回ったころ電話があり、いつものように仕立てのいいスーツに、上質のコートを羽織った直也がやってきた。
「よう」
 冬樹は片手を上げて声をかけた。直也はコートを脱ぎながらにこりと笑う。
「相変わらず忙しそうだな」
 そう言いながら直也はその辺のハンガーに勝手にコートとジャケットをかけると、ミシンを踏んでいる冬樹の側に来、頭を寄せて冬樹の手元を見た。
 そのとき甘くさわやかな匂いがふわりと冬樹の鼻をかすめ、彼はどきりとした。
「あ、コーヒーでも飲むか?インスタントだけど」
 冬樹は立ち上がると、台所へ行ってコーヒーをひとつ作ってテーブルの上に置いた。
 ハンガーにかかってる服を見たり、室内をきょろきょろと見回している直也に、「まあ、座れよ」と声をかける。
 直也は振り向くと、勧められた席に腰を落ち着けた。テーブルに肘をついて顎をのせ、相変わらず眼をきらきらさせ、こらえきれない笑みをもらすような表情で冬樹の方を見ている。
 ――やばいよやばいよ
 冬樹の頭の中で、何かの警報がビービーと鳴っている。でも無視を決め込む。
「さっき、母さんのとこで麻美と麻美のお母さんに会ったよ」
「僕のところにも来たよ。幸せそうな、顔してたろ。今まで悲しませることしか、出来なかったからな…」
「昨日の話だけど、さ…」
 冬樹は眼をミシンに落とした。
「あれ、絶対お断りだぜ?お前が何考えてるか、知らないけどさ…今、麻美は俺のことなんか眼中にねえよ。お前のこと中心で、生きてんだ。お前を支えることが、あいつの生き甲斐になってんだ。俺じゃあいつをあんなにはさせてやれなかった。お前はどう思ってるか知らないが、お前達は結果的に、いい夫婦だよ。そりゃとんでもないこと、いろいろあったけど、ちょっと俺には入り込む隙間なんか1mmもありゃしねえ。子供なんか、体外受精でもなんでもあるだろ?」
 直也は口元に笑みを浮かべたままコーヒーをすする。
「そんなことないさ。麻美はお前と居る方が、自然なんだよ」
「勝手なこというなよ!…俺は、このままでいいんだよ。麻美の気持ちは確かめたのか?勝手なことばかり、言ってんなよ!…俺の気持ちも、知らないで…」
 ひとつ息を吐くと、冬樹は声のトーンを落とした。
「部屋は、もう借りたのか?」
「もう手付けは入れてある」
「機材とかは?リースかなんか頼んだのか?でかい会社とじゃ、予算もスペースも違うだろ。俺の使ってる業者紹介しようか?」
「その辺は、うちに出入りしてた業者さんが融通してくれたよ。うちでマークできてないとこがあったら、頼むよ」
「今、どのくらい揃えてるんだ…?」
 冬樹が頭を寄せると、直也はカバンを開き、ノートを開きながら自分が済ませた準備、これからしないといけないことなどを説明しはじめた。
 暫く二人は、仕事の話で盛り上がった。
「腹が減ってきたな。食事にしようか」
「リコッタ?」
 二人は顔を見合わせ笑った。
「冷蔵庫にお袋が作ったもんが入ってんだけど、それでいいだろ?温めれば、…そういやケーキの残りも、あったはず…」
「いい年こいた男二人が、ケーキかよ」
 冬樹は台所からちらりと直也を見、
「いいじゃないか…ほんとの兄弟みたいで、楽しいじゃない?ほんとの兄弟、だったか…」
「そうだな、家族っぽくて、いいな。お前とこんな日がくるなんてね、」
 冬樹がレンジで温めたものを皿によそっている間に、直也はテーブルの上を片付ける。
 机の上に、ささやかな晩餐が整えられる。ビールを空けて乾杯すると、
「ろうそくがねえな。マッチでも立てるか」
 と冬樹がケーキにマッチを立てだした。マッチは火を着けるともの凄い勢いで火を噴く。
「うわ、」
 直也が驚いてのけぞる。
 反射的に冬樹は直也の腕を掴んで引き寄せた。一瞬、ぎこちない空気が流れた。
「と、とりあえず、食っちまおうぜ」
 冬樹は母親が持たせてくれていた温野菜サラダとピラフをがつがつ食べだした。
「おばさんの料理、おいしいね」
「いいよお世辞は…といいたいところだけど、だろ?ちょっと子バカ入ってるけど」
「なんだよ子バカって…」
 二人はなんのわだかまりもなく、昔からそうだったように、楽しい団らんのひとときを過ごした。
 本当にそれは、冬樹にとって夢のような実感のないひとときだった。
「そろそろ帰らないと、ごちそうさま」
 食事が終わる頃、直也は腕時計に目を落としながら言った。
「なんだよ、いいじゃん泊まっていけば?」
「ここ寝るところあるのかよ」
 見回しながら直也が言う。
「ベッドがひとつだけ…」
「……」
「な、俺達兄弟じゃんよ、別になにもないだろ?俺はソファーで寝るよ」
「…僕をそんな節操なしと思ってるのか…でも麻美は、男のとこに泊まっても心配するだろうな」
「じゃあさ、オフィスで徹夜ってことにすればいいじゃん」
「ほんとはもう、そう言ってあるんだけどね、実際やること残ってるんで、」
 言いながら直也は席を立つ。食べ終わった皿を重ねて、台所へ持っていく。その背中が、匂い立つようで冬樹の心を浮き立たせる。
 ――腰が、細いよな…またそれを、強調するような服着ちゃって…なんか折れそう
  抱き締めたら、折れそうだ。
「あの…さ、仁科、…さんのことだけど、」
 明らかに直也の背中に緊張が走る。振り向きもせず、「何?」と答える。
「そんなに簡単に別れられるもんだったのか?良かったのか?別れちまって。麻美は、いいって、お前が仁科さんと暮らしたいんならそうすればいいって言ってたぞ。俺も最初は気持ち悪くて、早く別れて欲しいって思ってたけど、今はそんな愛もあるんだなあって、素直に思えてくるよ…」
 直也は振り向かない。流しに食器を置くと、
「もう、過ぎたことだ…人の恋路に、首つっこんでる間に、お前はどうなんだよ。自分のことを、心配しろ」
「俺は…。なあ、もしお前が、仁科、さんとくっつくんだったら、そりゃ麻美は俺が、ってなったかもしれないけどさ、今はそんな気になれないよ。…」
 また少し、直也が笑を漏らす。その謎めいた表情に、冬樹は魂を抜かれかける。
「俺の今の一番気になる人は、お前だからな…お前以外、視界に入ってないかも」
 冬樹の突然の告白に、弾かれたように直也は目を向ける。そしてすぐ反らす。
「僕の心配なんかしなくていいんだよ…お前は麻美だけ、見ていればいいんだ。間に割り込んでややこしくしたことは謝るよ、だからさ、…」
「じゃあ、じゃあ…!お前はどうなるんだよ!お前は!…」
 冬樹は悲しくなり、立ち上がるとどこか遠くへ行ってしまいそうな直也を抱き締めた。
 思った通りの、細い身体。麻美とそんなに変わらない身長の直也の身体は、長身の冬樹の腕の中に、しっかりと収まっていた。
「冬樹…?」
 一瞬呆気にとられていた直也が、冬樹の腕のなかでもがく。冬樹は、更に強く抱き寄せると、そのまま壁に押しつけた。身体がブティックハンガーに当たったらしく、服が何着が音を立てて落ちた。
「お前…!何やってんだよ、おかしいぞ、」
「ああ、おかしいよ、今の俺は、ちょっとおかしくなってんだ…ごめんよ…でもお前も、悪いんだぞ…」
「冬樹…!」
 冬樹の顔が、吸い寄せられるように直也の顔に重なる。抵抗できないように、きつく抱き締めると、唇を塞いだ。
 冬樹はそのまま唇をすべらし、首筋に顔を埋めた。
「…!」
 直也の顔が歪む。
「おい、冬樹、…わかってんのか、僕たちは、兄弟だぞ、」
「半分だけな。ずっと離れて暮らしてて、…直也、じっとしててくれよ。どこにも行かないって、言ってくれ…」
「何言ってるんだ、さっぱりわからないよ、…」
「この手を離したら、お前がどこかいっちまいそうで怖いんだよ。…離したく、ないんだ」
「そんなことは、僕に向かって言う言葉じゃない…」
「お前に、だよ。さっきも言ったろ。俺は今、お前が好きなんだ。お前を離したくない」
「……。冬樹、それは同情と好奇心だよ。変なことにならないうちに、放せよ…何を心配してるんだか知らないが、僕は落ち着いてるし、どこにも行きやしないさ。変な気分にさせたことは、謝る」
「……」
 冷たい肌触りのシャツのしたの、温かいはりのある身体の感触が、心地よい。冬樹はどうしても放すことができなかった。
「俺、分かったよ…仁科さんの気持ち。お前は、かわいいよ…兄貴に向かって、言うセリフじゃないけどな」
 冬樹が直也の顔をのぞき込むと、直也は目を閉じ、かすかに開いた唇で息を継いでいた。睫が震える。再び唇を塞ぐ。無理矢理口の中に割って入ると、冬樹は舌をからめ強く吸った。薄目を開け、
 ――ああ、なんて綺麗なんだろう。こいつは、綺麗なんだな…。きれいでかわいい…ほんとどうかしてるよな。
 逃れられない口づけに、直也は身体がくずおれそうになるのに堪えながら、無意味な抵抗を繰り返す。
「放せよ…お前が僕を好きになっちゃ、話がややこしくなりすぎるだろ、僕を追いつめるつもりか?」
「そんなつもりはないけどさ…じゃあ取引しようよ。俺はお前をあきらめるから、お前も麻美を俺に返すなんてバカみたいなこと言うのは止せ」
「……」
「なんで黙ってるんだよ?…じゃあ俺は、お前を好きになっていいってことだよな…?」
「お前さぁ、さっき、俺たち兄弟だから、何もないって、言っただろ?」
「ごめん…。あれ、嘘だ。多分、俺は最初っから、その気だったんだ」
 冬樹の右手が、股間をなで、首筋を愛撫される。
 それだけで、直也は仁科と別れて以来の感覚に過敏に反応する。いけないと思うのに、身体は自ら自由を奪い、冬樹の腕に全てをゆだねさせようとする。
 ――感じちゃ、だめだ。
「だめだ…!」
 うわずる声で力無く直也は言った。だが直ぐに息が上がって来、その吐息が冬樹を更に熱くさせる。
 必死に堪える直也の表情に煽られながら、冬樹自身も歯止めが利かなくなっていく。
 冬樹は側のソファに押し倒した。直也の口からかすかに声が漏れる。
 ネクタイを外し、せわしなくシャツのボタンを外すと、前をはだけさせ冬樹は直也の熱い体をむさぼっていく。
 ファスナーを下げ、右手を侵入させると、硬くなっているものを直につかみ、もみしだく。
 直也の顔に羞恥の色が浮かぶ。うっとりとその表情を楽しみながら、冬樹は直也を乱れさせることに集中する。
 直也は、もう制止の言葉を発することをあきらめていた。何か言葉を発すれば、それをきっかけにとめどなく声を上げてしまいそうだった。
 しかし、冬樹の責めは容赦がない。仁科と違い、荒々しく、激しい愛撫に、直也の理性は翻弄され突き崩されて行く。
「ぁ……」
「なおや…かわいいぜ…」
 冬樹が耳元で囁く。
「愛してるよ…」
「あ!…」
 刺激と言葉でいかされ、声を上げると同時に直也は絶頂に達した。
 吐き出した塊をティッシュで拭い去ると、冬樹は強く抱きしめ右手に残るぬめりを確認しながら指を後ろへ滑らしこじ開け慣らしはじめる。
「冬樹…やめろ…」
 直也の体はそう言いつつも再び感じはじめる。冬樹はそんな直也を見ながら侵入していく。
 二人とも、一つに繋がった途端、今までのことが脳裏を巡る。
 初めて会った幼い日、対抗心剥き出しでいがみあった日々、麻美を巡る一連の諍い、そして、涙…
 冬樹にはその全てがこの一瞬をより深く濃密にするためだけにあったように思えた。こんなに激しい愛情は生まれて初めてかもしれない…たとえ相手が、同性だろうと、…血の繋がっていようと…
 直也も激しく愛され感じながら、グラグラと揺れる自分の心を感じていた。僕という男は誰でもいいのか…
 どこでこうなってしまったのだろう。自分は麻美と冬樹が結ばれるよう手配したつもりなのに、自分がこうやって冬樹に抱かれ、愛を告白されてしまっているとは。
 運命とは、なんと皮肉なものなのだろう。

「シャワー、どこ…」
 果てて自分に体を預けている冬樹に直也が尋ねる。冬樹が顔を上げ指差すと、直也は身を起こし、乱れた髪をかき上げた。腕にだけひっかかっているシャツ、あらわな体の線に冬樹は見とれていた。
「シャツがしわしわになってしまった…」
「アイロン、あるよ。明日かければ?」
「シャワー借りたら、帰るよ…」
 けだるそうにソファを立ち、直也がバスルームに消えると、冬樹も立ち上がり、バスタオルを一枚持って直也の出てくるのを待っていた。
 直也が出てくると、タオルを渡し、直也が拭き上げるのもそこそこにベッドへ引きずって行く。
 直也はベッドに押し倒され、
「な…!」
 と声を上げるまもなく、覆い被さられ、抱きしめられる。
「あの、さ…ゴムは使えよ、な?…中出し、やめて…」


「お前、こんなことになってどうするつもりなんだ?」
 少しとろりとした表情で薄闇の中、横たわって冬樹を見つめながら直也が問う。冬樹も頭をベッドに預けたまま吸い寄せられるように直也を見つめながら、
「どうって、…まだ何も考えてないけど。なんとかなるでしょ」
「なるわけないだろ。仁科さんのときですら、僕はぐちゃぐちゃになったのに、お前とだなんて、麻美に知れたら…、親父だって、卒倒する」
「それは却ってばらしてみたいもんだけどな。人生最大のダメージだろうな。麻美のことさえなければ、俺は好んでばらしたかも。そうすれば、俺をお前の代わりに迎え入れようなんて考え、なくなるに決まってるしな」
「よせよ。モラルがなさすぎる。それに、麻美が居なければ僕たちはこんなことにはならなかった。そうだろ?麻美を僕が愛さなかったら、僕が愛する女性を抱けないということにも気づかなかっただろうし、仁科さんとそんな関係になることもなかったはず。仁科さんとそんな関係にならなければ、きっとお前は僕を好きだとか、かわいいだとか言い出さなかったに違いない。僕も…こんなにぼろぼろにはなってなかったかも、知れないし、…皮肉なものだな」
 そこで少し自嘲的に直也は笑みを漏らす。
「俺はお前と麻美の仲を壊すつもりはないよ。何度も言うけど。お前が俺に返すとかいう下らない発言を撤回すれば、俺は大好きな二人を優しく見守っていくつもり。ぼろぼろなお前を支えれれば俺は幸せだ。麻美一人じゃ、心配だしな。今日のことは、そういう俺の決意表明。お前と一つになりたかったんだよ、俺は」
 冬樹はそう言った途端、自分でも判然としなかったもやもやと心に巣食っていた不安が消え去り、急速に落ち着いていくのを感じていた。
「しょうがないね…」
 そう言って目を閉じ、直也は少し身を起こして冬樹に覆い被さり、キスをした。

 直也は冬樹が眠ってしまうと、そっとベッドを降り、服を着込むと、暫くしてドアを静かに開けた。
 後ろを振り向き、冬樹を見て微かに笑うと、音を立てずに出て行った。
 朝、冬樹は目覚めるとトイレに立ち、ぼーっとしたままテーブルの前まで来た。
 テーブルの上に小さなメモ用紙が一枚。そこで冬樹は夕べのことをまざまざと思い出した。
 我知らず笑みが漏れる。

 夕べはいろいろとごちそう様。

 大人しく抱かれてやったんだから、
 約束どおり麻美のことは頼んだぞ。

 大切な愛する弟へ

「…なーにが、大人しく、だか…」
 始めは自分に抱きつくまいとしていた直也が、シャツを掴み、やがて強くすがりついてきた感触を思い出しながら、漏れる笑いをこらえきれず、傍から見たら気味の悪いくらいにやにやしつづける冬樹は、満たされた幸せを感じながら
 大切な、愛する、というフレーズを何度も頭の中で反芻していた。


 あれから2年。去年のクリスマスは直也の一周忌のためにあわただしく過ぎ去っていった。
 もちろん、クリスマスを祝おうなんて気持ちにはとてもなれなかった。今年もそんな気分ではなかったが、呪縛から逃れるために、麻美と冬樹は、二人だけでささやかに祝うことにした。
 ――マッチの生えたケーキなんて、もう一生食うことはないだろうな。
 あの夜の夢のような感覚が甦る。冬樹は、25日だけは、直也の思い出と二人で過ごしたくなった。
「あのさ、…俺、明日は一人で居たいんだ」
 麻美はにこりと笑った。
「いいわよ。分かってるわ。私も明日は、一人でずっと直也さんに恨み言を言うわよ。あなたのせいで、クリスマスも正月も楽しくなくなっちゃった、どうしてくれるのよ、って」
 その頬を一筋の涙が伝う。
「全くあいつは、勝手なやつだよな。俺たちのことなんて考えずに、一人で抱え込んで、逝っちまいやがった。俺もほんとは凄く恨めしいよ」
 ――俺の気持ちを、最高潮に惹き付けたとこで逝きやがって、ずっと俺はお前を好きなまんまじゃないか。いつか過去のものにできるのか?
「俺さ…、あいつのこと、好きだったよ…兄弟とか、そんなことでなく、…」
「わかってたわ」
 麻美の意外な言葉に冬樹は麻美の顔を見直す。
「だって、冬樹さん気持ち隠すのヘタだもの」
「…ごめん。俺、隠してたつもりなんだけど。…傷つけたよな、ごめん」
「いいわよ、全然傷つかなかったわけじゃなかったけど、人の気持ちはどうしようもない、ってことも分かりすぎるほど分かってたし。私も最後まで信じてもらえなかったような気がするけど、直也さんのこと大好きだったのに…私たちは、同じ心の傷を抱えた同士だから、…」
「俺を口説いてる?」
「さあね、」
 二人は笑うと、シャンパンのグラスをぶつけて乾杯した。
 窓の外を雪が舞い始めていた。



 複雑に絡み合って解けない愛憎の糸から、自分という糸を抜けば逆らわずほろほろと解れていく様が見えたような気がして、直也はポストに一通の手紙を投函すると、麻美に電話をかけた。



 仁科さんへ

 あなたには、沢山の大事なものを貰いながら、何一つお礼もできないまま、今日まできてしまいました。
 僕は結局どうしてもあなたを選ぶことができなかった。
 全てを捨ててもいいといってくれたあなたが、嬉しくもあり、怖かった。
 あなたはそんなことはないと言ってくれるに違いないけど、あなたが思うより深い僕の心の闇が、あなたを覆い尽くし、ぼろぼろにしていくのを見たくなかった。
 仕事でも、プライベートでもあなたに迷惑ばかりかけてしまった自分を、僕は赦すことができそうもなかったし、麻美との失敗が、多分僕を信じられなくしてしまったのでしょう。
 そんな僕に出来ることは、身勝手だけど傷の浅いうちに僕と縁のない人間になってもらうことしかなかった。
 信じてもらえないと思うけど、それが僕なりの愛でした。

 多分あなたはびっくりするでしょう。でも決して悲しまないでください。
 やっと解放された僕は、初めてなんの負い目も苦しみもなくあなたや僕の愛する人達の側に居ることができるのです。
 そのことを思うと、とても幸せな気分になれるのです。

 あなたが幸せになるのを、僕は邪魔しないように、見守っています。

2002.12月24日。勝手に改造。動機が弱いので、動機を作ってみました。
歴史捏造してしまいました。
これだけ追いつめられりゃー、あんな年の瀬もおしせまった、はた迷惑な日にやらかしちゃっても仕方ないでショ!これで直也は心おきなくダイビングへGoGo!

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