ブレーキ緩解不緩解

 うららかな春の日、ソドー鉄道に見習い機関士が配属された。
 数年機関助士を勤め、晴れて昇進したのだ。
 トップハム・ハット卿は、見習いの研修にエドワードを選んだ。穏やかで親切、古参で型が古く速度や馬力こそ劣れども、扱いの習熟には最も適しているだろうとの判断だ。
 最も彼は、人であれ車両であれまずは信頼の置けるエドワードに預けることが多かった。
 困ったときのエドワード、そんな部分も持っていた。


 一日支線を貨車や客車を牽いて何度も往復しながら、先輩機関士に見守られながら運転をする。
 のどかな支線の景色に、最初は緊張していた見習い機関士もほぐれ、ぽつぽつと会話もこぼれる。
 何かの弾みに、
「僕、今度結婚するんです。機関士にもなれたし、嬉しいこと続きですよ」
と見習いがうきうきと言った。
「へぇそれはおめでたいね!僕も祝福するよ」
 エドワードの返事に、
「エドワードさんは好きな相手とかいないんですかぁ?」
「はぁ?」
 エドワードはうろたえる。圧力計に影響が出た。
「居てもしょうがないよ」
「えーそうですかー?でも励みになりますよ?」
「人は自由でいいよね。好きなように自分の意思で動き回れるし。でも僕達は線路から外れることは出来ないし、君達に動かしてもらわないと自力で動くこともできない」
「いやいや、人間にも自由にならないものがいっぱいありますよ」
「へーたとえばどんな?」
「うーん…こ、心とかですかね……ブレーキが利きにくいというか制御が難しいというか…」
「なるほどね。その辺は一緒だな。まあ僕達はそんなだからこれ以上複雑にならなくていいや。元々人の手から生まれたものだし役に立つことが幸せだし、悩んでても釜の火が落ちたら直ぐ眠くなるし」


 終発はあの転車台も経験させようと久しぶりにティドマスへと貨車をごろごろ牽きながら向かった。
 洗車を終え、機関庫に納めると、その日の最後の仕事、手ブレーキを見習いにかけさせ、しっかり確認して乗務を終えた。
 エドワードは溌剌と帰っていく見習い機関士をいいなあと微笑んで見送り、今まであんまり考えたこともなかった「自由」の様を羨ましく思った。
 体の自由もままならない自分がなぜ心を持ってしまっているんだろう。
 せめて人間と逆に、心くらい思いのままに制御できればいいのに。


 事件が起きたのは、次の朝だった。
 朝一番に出勤してきた見習い機関士が、昨日締めたエドワードの手ブレーキを緩めようとしたが、がっちりと固く締まっていていくら力を入れても緩むことがなかった。
「ど、どうしよう……」
 見習いは涙声だ。
「僕の締め方が悪かったんでしょうか…!すみません、先輩、エドワードさん…」
 整備士達がやってきて、緩解を試みる。
「なぜ緩まないんだ?」
「見習いの力加減が悪かったか、締め方が悪くどこかひっかかったんだろう」
「いや、昨日側で確認してたけど特にひっかかるような何もなかったぞ。力も普通だったし」
 先輩が言う。
「機械ってのはなぜか慣れないやつが触ると機嫌を損ねて妙な嫌がらせしてくるよな」
 整備士達がハハハと笑いあう。
「あのー。僕をそんなその辺にいる厄介な連中と一緒にしないでくれませんかね?」
「おおエドワード、分かってるさ。お前がそんなやつじゃないってことは。だからこそ研修を任されたんだし。一般論を言ってみただけさ」
「心外だな。まるで俺たちが普段嫌がらせする厄介者みたいじゃないか」
 隣からゴードンが口を挟んだ。
「あれ?自覚なかった?」
 エドワードが返すと、呑気な皆は爆笑した。
 やがて缶の火が順調に燃え、充分に蒸気圧が上がると、周りの機関車達は今日の業務に出ていった。
 見習い機関士は似たサイズだからということでエドワードの代役にジェームスに乗るということに話が決まった。
「僕は便利屋か」
 ジェームスはむくれたが、エドワードが
「急にごめんね。優しくしてやってくれ」
と言うと、口をへの字に曲げながら
「僕は壊すなよ」
と嫌味を言いながらも請け負うと、見習い機関士は恐縮して乗り込んだ。

 賑やかだった機関庫が自分以外空っぽになると、急に不安が増してくる。
 このまま直らなかったらどうなるのか、原因が不明なだけにブレーキ交換で済むと楽観できなかった。
 もしかしたら、最悪は。


「エドワード。大丈夫か」
 知らせを聞いたハット卿が現れた。
「ええまあ…といいたいところですが、自分じゃなんとも」
「今日はお前を工場に回送させる車両が手配できない。つらいだろうが明日まで待ってくれ。整備士達は、なるだけそんなことにならないように見てやってくれ」
「わかりました」
 整備士達は威勢良く返事をした。
 整備士達は出来る限りの検査と修理を試みたが、やはり原因が分からない。しょうがないので他の部分は最高の状態に仕上げておこうと検査と清掃を念入りにし始めた。
 エドワードはもしかしてこのトラブルが夕べの自分の願いに起因しているのではとうすうす感じていた。
 体が自由にならないことも、心に鍵をかけたいとも思ったけど、こんな最悪な形で叶えてくれなくてもよかったのではないか、と神を恨む。
 このままでは、確実に役立たずで廃車コースだ。
「直らなかったら、僕はどうなるんでしょうか」
 ぽつりと零すと、熱心に磨いていてくれた整備士の誰もが手を止め、しーんと静まり返った。
「……心配するな。工場へ行けば、きっと直るさ」
「だと、いいですね」


「やあ、大丈夫かい?元気だしなよ」
 ヘンリーは側線を通りすがりに声をかけた。
「理由のわかんない調子の悪い時のつらさは知ってるからね~。僕は君を心配してるよ」
「ありがとう。君は優しいね」
「普通のことさ。ここの連中は普通じゃないやつが多いけどさ」
 人事のような口ぶりのヘンリー。
「あの子のためにも良くなりたいんだけどなぁ。責任感じて可哀想」
「人のことより自分の心配だろ…じゃ、また」
 どこか飄々とした雰囲気を漂わせ、ヘンリーは去っていった。


 ゴードンは側線後方から現れるとエドワードより少し前方に出て止まり、話しかけた。
「やっぱり博物館に行った方がいいんじゃないのか」
 エドワードは彼を見た。しかし前方なので、顔が見えない。
くすりと苦笑を漏らすと、
「僕はまだまだ君達と働きたいんだけど…、迷惑になっちゃうのかなあ。……もっとも直らなかったら、もう使い物にならないし、……」
 謙遜はしても滅多に弱音を吐かないエドワードの打ちひしがれたような声に、
「バカ、博物館に行った方がいいというのはなあ、……」
 ゴードンは、歯切れ悪く言いよどむ。
「いいか、一回しか言わん、すぐ忘れろ」
「は?」
「お前をスクラップにはさせん」
「え……君……」
 ゴードンは言ってしまった言葉のあまりの照れくささに、煙突からピストン周りから汽笛、安全弁からも蒸気や煙を盛大に漏らしながら逃げるように発進して行った。
 エドワードは呆然としてそのまま見送ってしまったが、忘れろと言われたその言葉を何度も反芻しながら、火の入ってない火室にポウと暖かなものを感じずにはいられなかった。


「どっか錆び付きでもしてるんじゃないの」
 今度はジェームスが側線を前方からやってくる。
「古くてごめんね。見習い君はどう?」
 にっこり笑われてジェームスは却って切なくなる。
 何があっても、エドワードは自分に弱みを見せることがない。最近はそれが不満で仕方がない。わざと憎まれ口を利いて挑発しても、いつもさらりとかわされる。
「僕が責任持って預かってるから安心してくれ。早く直ってくれ。でないと、困る」
「君に1番迷惑かけてるもんね。感謝してるよ」
「そうじゃなくて……、気配りできるのはいいけど、ちょっと気を使いすぎじゃないか?こういうときは、悲しんで頼ってくれればいいんだよ」
「ジェームス、君……」
「な、なんだよ、」
「君に諭される日が来るなんて…、僕は本当に年を取ったんだなあ」
「な、何でそうなるんだよ!」
 素直に感謝されるかと思いきや、なんだか子供扱いされて憤慨したジェームスは、蒸気を噴き上げた。
「ぎゃっ、蒸気圧が!」
 運転室で見習いが焦った声を出す。横で機関士はくすくす笑う。
「ジェームス」
 エドワードが呼び止めると、ジェームスは決まり悪さからじろりと睨んだ。
「僕は、君を、頼りにしてるよ」
 一言ずつ、押すように言うと、一瞬呆気に取られたジェームスはゴードンと同じく恥ずかしさに身を焼きながら、ピーピーシューシューやかましく慌てて去って行った。
 エドワードは笑って見送ると、皆の優しさが染みてきて、その気持ちに応えたいと思い、ブレーキ同様固まっていたような心が緩んでゆくような気がした。



 東の空が白む頃、早くも機関庫の朝は始まる。
 石炭がくべられ、辺りはもうもうとした煙と蒸気に覆われていく。
「おはようエドワード。今日の気分はどうだ?」
 機関士が労わるように声をかけ、運転室に乗り込んだ。
「おはようございます。気分は大分いいですよ」
「それは頼もしいこった」
 助手と2人で各部点検、いよいよブレーキに手をかけると、
「ちょっと待った、その役目あの子にさせてあげてくれない?」
 エドワードが声をかける。
「あいつは今日もジェームス乗務の予定だが…」
 機関士が言うと、
「呼んできますよ」
と助士が走っていった。
 やがて戸惑いを浮かべながら呼ばれてきた見習いが乗り込むと、
「ブレーキを緩めてくれないか?」
と促す。恐る恐る手を伸ばした見習いは、勇気を出してぐっと握り締めると、思い切って回した。昨日の固さが嘘のように緩む。
「やった、か、緩解できました!先輩、エドワードさん、」
 見習い君が歓喜の声を上げる。
「よかったね」
 エドワードは優しく声をかけた。


 ブレーキは元通り、全身綺麗に整備されたエドワードはそれから調子よく働いている。


END

まだ機関車でしか脳内妄想できないよ。ってかそれって凄くね?でもああ、あのフォルムが、機能がたまらん萌えるじゃないですか。炭水車ごろごろ引いてるのもお尻フリフリしてるみたいでかわいいじゃないですか。うーんでもそれで腐った妄想できるって凄くね?という自問自答と共に書き上げた作品。また新しい扉を一枚開いた…!書いてわかったこと。彼らが動くところ常に機関士と機関助士がいるので、腐った言動したら全部衆人環視の中なんだな。これはいけませんw

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