甘い毒薬と口約束 -3-

 原田の、紺色の寝間着の袖から伸びた手の、骨っぽい、長い指が、合板のコタツの上のタバコの箱に触れる。
 引き寄せ、一本つまみ上げると、口元に持っていき、少し開いた唇が、くわえる。
 ボッ、と音がし、目を移すと、ライターで火を点けている。
 あれから何日経ったろう、ふと、そう思った。まだ3日だ。直ぐに答えが浮かぶ。しかし、とても3日しか経っていないとは思えない、長い時間のような気がする。でももう明日は週末で、来週月曜は、もうあの日なのだ。
 今年のカレンダーは豪勢で、明日、木曜が過ぎれば、土曜が休みのおれたちは、金~日の三連休だ。休みは、前々から小山さんたちとスキーに行くことが決まってる。原田は自分の欲求に情け容赦ないところがあるから、前に言ってた通り、おれをほっぽらかして、上級コースに入り浸るんだろう…なんか溜息でそう。
「そんな物欲しげな目で、見んなや」
 煙を吐き出しながら、彼が言う。こっちを見ずに。
「えっ?」
「うっとりして、とろっとして、…手とか、口元とか、…お前やっぱ堪え性ないなー」
 こたつの中、一瞬凍えたような気がして、身を縮こませる。おれって、そんなぼけっと見てた?
 いや、確かに見てた。無意識でもなんでも、指や、唇の動きをほけっと追っていた。それって、…
 指の動きや、唇の感触が懐かしい、求めているってことだ。
 ――お前が暗示をかけるから――
 なんて関係ない。
 おれは自分がイヤになった。目を伏せ、俯く。
「そうやって堪える表情も、クルけどさ…。いい加減、ネを上げたら?」
 少し余裕ある声音に、打ちのめされ、とはオーバーだが、妙に落胆を覚える。
 本当に、こいつはおれのこと、おれがヤツを思うほど、欲しくない?だからこんなに、平気なのか?
 そう思った途端、一気に力が抜け、なんか激しく落ち込む。もう、寝たくなった。寝てしまおう。おれはやな事があると取りあえず寝れば直るタチなのだ。
「……おやすみ、」
 おれはコタツに手をつき立ち上がる。寝間着は、あの白いパイル地だが、次の日からチャンと下着をはくことにした。
 あのまま素知らぬ風で素肌に寝間着、を続け煽ってやろうと思わんでもなかったが、それじゃおれ自身が過敏になりすぎ、煽られ過ぎると思ったからだ。
「逃げるのか」
 フッ、と笑ってヤツが言う。ムカつくより、なんか哀しくなった。
「なんとでも。…」
「たった一言、おれの負けです、って言えばいいのに。もしくは、抱いて…って色っぽくせまれば、さ」
 無視して六畳間へ行こうとすると、
「明日、飲みいかへん?」
と言う。おれは振り向き、
「えっ、明後日は早いやろ、そんなことしとったら、…」
「相変わらず、年寄りクサイこと言ってんなや。その位、ヘーキヘーキ」
 なんか、更にどっと疲れが…
 ああ、こいつはそういう生活ペース、ゼンゼン当たり前な暮らししてきたんだよな。おれと違って。
「だから、今のうちに用意しとけ」
 少し間をおき、そう言って彼も立ち上がると、俯いてるおれの横に立ち、軽く抱き寄せ肩を叩いた。
 そしておれの顔をのぞき込み、微かに笑う。
 彼はそれから押入を開け、用意を始める。おれは動けず、そんな彼を見ている。
 なんか、スキーとアレで、落ち込みは久々に頂点に達してしまっていた。いや、どん底か。
 おれって、こいつに合わない、釣り合ってない。全然つまんない、ダメなやつだ。このまんま付き合っていても、いつかダメになるんだ。多分、こいつがおれの身体に飽きたら。それってきっとそんなに遠い話じゃない。
 なんでこんなときに、よりによってこんなにどん底にハマってしまうのだ。でも、落ち込みは止められなかった。
「おれ、…おれは、」
「赤」
 短く、鋭く、でも優しく呼ばれ、顔を上げる。
 彼は、おれから目を外さず、左手を取り、ぎゅっと握りしめた。
 その手には、銀色の硬質な光を放つ物が。
「………」
 そして直ぐに放し、彼はさっさと用意を済ませた。

 その夜、おれはなかなか寝付けず、だけど何を考えるでもなく、闇に響く時計の音を聞き続けた。そうしてまんじりともせずいると、更に目が、感覚が夜闇の中冴えていった。
 いや、その夜だけじゃない、だんだんと、寝付く時間が遅くなっていた。


 指が、恋しい。おれの肌を辿る指先。そこから広がって行く熱く、むずがゆいようなジクジクとした感覚。そして、柔らかな身体の中枢を強く押し広げられ、突き刺される感覚。
 仕事中、ふとそんなことを考え、身体を熱く、若干息を荒くしているのに気づく。毎日ヌいてるのに、やっぱり自分でやるのでは、満たされないのか。
 前よりも、後の方が、疼く。感覚を研ぎ澄まして、かき分け入ってくる異物を待ちかまえて、ひくつき、熱く発情しているそこ。
 なんてH臭い。
 次の日からは、自分でも前だけじゃ物足りなくて、指を差し入れ、やっていた。
 仕事中は、集中しなきゃ、だめだろ。また版下の人に迷惑かける…溜息ついて、原稿をめくった。
 しかしいったん籠もった熱はどこへも逃げ場がなく、おれの身体に小さな火を点し続けていた。
「熱でもあるんちゃう?」
 曽根さんが、声をかけてくる。おれは首を振り、
「いいえ…。大丈夫ですよ」
「でもなんか、熱っぽい感じに見えるで。なんかほんのり紅いし、目も潤んでるような…、」
「いえほんとに。心配いりませんから、」
 全く、なんて身体だ…。つい、また溜息ついていた。
「お前、会社でもそんな具合か?」
 昼時、中華屋で2人向かい合って食べていると、原田が急に訊いてきた。
 その頃、会社は違っても同業者で会社も近くの原田とは、毎日一緒にお昼を食べていた。その頃からだんだん仲良くなってきていた高階クンとかも一緒になる日も増えていた。…お昼だけじゃなくて、他のモンも食べたり、食べられたりしてたけど。
「え?」
「か・い・し・ゃ・で・も、そんなに熱っぽくボーッとしてんのか、って訊いてる」
「最初の日に怒られて以来、ちゃんとミスのないように仕事はしてるから、心配なく、」
 俯きそう言うと、舌打ちし、不機嫌そうに、
「そんな、仕事の出来なんか訊いてへんわ。お・ま・え・が、会社でそんなか、って訊いてる。おれの前でだけか?」
「……。会社では、ちゃんとしてるから、ご心配なく」
 彼がまた、舌打ちした。
 彼と別れて会社の入ってるビルのエレベーターを待っていると、なんとなく足下がふらつくような気がした。重心がぐらつき、一歩後ずさると、誰かに当たった。と、腰に手を回され、正面から抱き寄せられる。反射的に肩口に顔を埋め、背中に縋り付いていた。
「大丈夫……?」
 耳元で、そっと尋ねられる。その声は、最近一緒に仕事をするようになった、あの潮崎さんだった。
 ぱっと見コワモテにも見えるので、初対面のときなんとなく苦手意識が湧いたが、仕事をするようになって、いつもにこにこ笑いかけてくれるので、そんなに怖くはない、楽しい人だと思うようになった。
 おれはぎゅっと彼の肩の上着を掴み、息を吐いた後
「はい…、すみません」
と身を離そうとした。と、引き寄せられる。なんか熱く固い感触。その手に、ホットの缶コーヒーが握られているのが、分かる。
「あんまり大丈夫そうには見えへんで。…ここのとこ、ずっと。なんか、身体も熱い。…ゼッタイ、熱あるわ、」
 そう言われて、更に熱を発するのを感じる。
 恥ずかしい。おれのこんな浅ましい姿が、皆にモロバレなんて。顔を上げられず、更にぎゅっと彼を掴んだ。
 と、彼の手のひらが、額に触れる。
「やっぱ熱あるって。ちょっと寝とけ。おれが言うといたるから、」
 え?
 このだるくて、とろけそうに熱いのは、足下すらもおぼつかないのは欲情してるだけじゃなかったのか?
 おれって熱、ある?
 そうだよな、なーんだ。良かった。おれだってまだまだそこまでエロに脳みそ侵されてないよな…
 はーっと長く息を付くと、なんか恥ずかしかったけど、顔を上げた。と、目が合う。
 彼は見下ろしていた。そして一瞬目を見開くと、さっと外す。そして強く肩を抱き寄せた。
「ホラ」
 客用でない、仮眠用の、フロアの隅にあるソファに促される。パーテーションはないけれど、ロッカーが壁のようになっていて仕事をするところとは隔離された空間になっている。
 水と錠剤を手渡される。目を上げ、目で問うと、
「風邪薬って、眠くなるんやろ?まあ飲んどけや」
 ここはあんまり暖房が効かないから、と毛布も渡してくれる。渡されるままに広げ、身体をくるむと、自然に身震いした。
 確かに熱が、あるんだろう。冬場の寝不足。おれは素直に横になった。
「すみません、…」
 俯いて言うと、目の前に缶コーヒーが差し出される。
 薬のせいか、簡単に眠りに落ちた。
 しかし夢見は悪かった。内容は、もちろんやらしい夢だ。
 このソファに横になっていると、誰かがやって来、そっと毛布を外し、ジーンズのファスナーをゆっくりと下げられ、前を広げ、少し脱がされ、…
 おれはそれを、恥ずかしい、こんなところでヤバイと思いながらも、身体が言うことをきかず、抵抗もなくされるがままに身を任せていく。
 夢を見ながら、おれは多分声を上げていた。うなされる、程度のもんだったらいいけど、実際は良く分からない。
 それでも目覚めた時、身体はかなりすっきりと軽く、明らかに熱も下がっていた。
 そして、直ぐに心配になり股間に手をやったけど、出さずに済んだらしい。ホッとした。
 ――今日の飲み会、どうしよう…。
と、仕事より何より、先にそのことを思った。
 でも、もう熱も下がったんだし、1人で家にいるより、多分気が紛れるから。
 高階クンなんかと話した方が気が晴れる。

もっと詳しくナマナマって感じにした方が臨場感とか説得力とかあるのかなあ…と思いつつ、私ってHのボキャ少ないしーあんまりここで書くと後で書くことなくなる…とこんなもん。
今回で最後まで行きたかったのに、高階出したかったのに、…次回になってしまいました。今、いつですか?もう春、春ですよ。でも次回で終わりそうだし、さすがに初夏くらいまで引っ張ることはなさそうで、一安心。しかしこんなヒネリのない文章上げるくらいなら、初夏だろうが真夏だろうが、ゆっくり引っ張った方が良かったかも?今読み直して気付いた。おや…?仮眠用のソファがあんのに、アノ時ヤッたのは、社長室?
うーん。行き当たりバッタリの私らしい、アルツハイマーの私らしいミスですなー(笑)まま、社内にあるソファのウチ一番質が良くてゆったりしてるから、潮崎さんがチョイスした、と納得してくれい。オレもな。

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