――赤城さん今日は早く帰れそうですか?見たらメールか電話下さい。
まだ寒さの残る3月中旬の午後、おれは会社でそういうメールを受け取った。
差出人は、原田道隆。おれの彼氏、原田の弟。
――定時で帰れると思うけど、なんで?
ちょっと首を傾げつつ、そう返すと、また直ぐに返事が来た。
――じゃ今日帰りに寄って下さい。待ち合わせはまた仕事が終わったら連絡します。
――なんで?原田には?
――兄貴出張でしょ。急ぎなんでお願いします。
相変わらず要件がない……不思議なメール群を見直しつつ、仕事の邪魔をしてはと、定時が過ぎての彼の電話を待つことにした。
「もしもし。赤城さん?おれ、道隆です。で、何時頃終わりますか…?そうですか。じゃ、××(彼らの実家の最寄り駅)でどうですか…?ウン、持って帰って欲しいものあって…ウン、沢山あって、生ものなんですよ…ええ。帰りは車で送りますから。荷物大変と思いますから……ハイ、オカンがゆーてたんで…メシでも食って行って下さい。じゃ、××時に、××駅で。じゃ」
それから彼らの会社の定時過ぎ直ぐにかかってきた電話はそんな内容だった。ウチも定時に上がって出かけて行った。
彼の言う通り、原田は昨日から出張で東京へ行ってしまい、明日の夜まで帰ってこない。峰岸さんとかと遊ぶんだろなぁと思いつつ、帰って1人もアレなので、おばさんや道隆クンとご飯でも…ご飯食べてってと道隆クンも言ったので、二つ返事でOKした。
原田の弟、道隆クンとは彼が大学3回生のときからの付き合いになる。
彼の雰囲気は初めて会った学生のときから全く変わらない、外見すらもまだなんとなく学生っぽい甘さや幼さが残ってるような感じだと思っていたのだけど、彼だって就職してもう何年も経つ。
待ち合わせた駅前でスーツに黒いウールコート姿で1人黙って立っている姿は、ピタリと板について落ち着いたエリートリーマン然とすら見えた。
なんとなく気後れして、足が止まると彼がおれに気付く。少しだけ和らぎ、持ち上がる口角。余り似ていると思ったことは無かったのだが、その仕草、表情が凄く原田に似て見えて、どきんときてしまった。
「赤城さん」
そんなカッコだからそう聞こえるのか、落ち着いた声でおれを呼ぶ。なんだか知らない人みたいで、更にどきどきする。手招きされて、ぎこちなく寄る。
「ほんじゃ行きましょうか。わざわざすいません赤城さん…」
そうおれの方に小首を傾げ。横に立ち歩き出す道隆クン。原田よりすんなりして背も低いけど、それでもおれよかちょっと高いんだと思い知る。彼の方に顔を向けると、スーツの衿にキラリと輝く社章。
知らぬ者ない企業の社章。まぁ、大阪でかの企業にお勤めの人口はかなりのものかと思うけど、おれなんか逆立ちしたってムリなので。
「……どう?仕事……」
聞いても分からないと思うけど。
「んー。事業再編とかのゴタゴタでなんとなく落ち着かへん…かな?仕事量と幅はかえって増えてる気がするけど。出張も増えてきて、」
「道隆クンは東京に行かんでも大丈夫なん…?今日は大丈夫やったん?残業」
「ああ。今日はノー残業デーやから」
そしてまたおれに向き、
「おれと赤城さん、2人で歩いてたらおれの方が年上に見えるかな?同い年くらいかな?」
とか言う。彼はスーツにコートだが、おれは毎度のセーターにダウンにジーンズで…カッコだけならそうかも知れないが、
「まさか。服だけならそうかも知れへんけど、道隆クンはやっぱり末っ子っぽいというか、まだ学生っぽいわ」
「えー。おれ就職して何年になると思てん……これでもおれ去年今年の後輩に『原田先輩、黙ってるとむちゃ落ち着いてかっこいいですね~』とか言われんねんけど」
「黙ってれば、やねんろ?『原田センパイ』」
「えー。でも結構原田さん仕事めっちゃ頼りになるわ~憧れる~カッコイイ~とも言われんねんけど」
そんなこと言うから学生っぽい、若いって言うんだ、とその口調におれは吹き出し、
「ああ。賢いもんな道隆クン…そっかカッコイイ先輩やってんねんな」
「そうやで。今年もバレンタイン二桁もろてんで。妬けるやろ」
おれは爆笑した。
「なんでおれが妬けなあかんの……!分かった分かった、君は確かにええ男よ、うん。羨ましいわ」
でもその後輩らの言うことも良く分かる。だって良く考えればおれだって駅前で会ったとき、知らない人みたいでドキドキしたものなあ。言わないけど。また暫く黙って歩いてると、彼がポツポツといった感じでしゃべりかける。
「どっか寄って食べてくのもええかなと思てんけど……」
「いいよ別に。てか家の方が落ち着くし」
早く貰って帰れるし。……原田がこんなこと知ったら、また心配するに決まってるから……
途中の酒屋でビールを買って真っ直ぐ彼らの家に行った。
相変わらずの公団暮らしの彼らの実家。集合住宅の借家とはいえ、彼ら兄弟が生まれてずっと暮らしてきたであろうその家には家族の積み重ねてきた時間がずっしりと濃密に刻まれていて、古さも、壁の汚れ一つさえも愛しく懐かしく感じられる。
その空気の心地よさを思い出しながら、団地の敷地内に入って彼らの部屋を見上げると、電気が点いていず、暗かった。
「?」
と思いつつ、彼についてやはり時代のついた階段を上がっていく。彼がカギを開け、「どうぞ」と言われ「お邪魔します」と軽く頭を下げ中に入る。彼が後ろからドアを閉め、カギをかける。
「おばさんは?どっか出かけてるの?」
家の中はしんとして暗くて冷たくて、さっきまで人がいた、というよな気配はない。
「ああ。ちょっと……」
そう言って道隆クンも上がってくる。
「腹減った。まずご飯食べましょう。オカンが作っていってるから」
上がって直ぐのドアを開けたとこの物に溢れた狭いダイニングキッチンに道隆クンはコートを脱ぎながら入ると、テーブルの椅子にカバンを置き、冷蔵庫に首を突っ込んだ。
「おばさんは……?」
彼はラップのかかった鉢の煮物を出し、電子レンジに入れると、コンロに湯をかけ、ジャーの中のご飯を確認し、
「ああ。オヤジとオヤジの実家行ってるんですよ。今日の朝から。なんで今夜は1人でご飯」
ちょっとざわっと肌が粟立つ。いやそんな。彼はそんな子じゃない。1人のご飯が寂しいんだろう。
「1人は味気ないもんな」
「そうです。赤城さんも今日味気ないでしょ?」
湯が沸き、彼がお茶を淹れる。彼の用意してくれたご飯を向かい合わせに座り、まずは缶ビールで乾杯しておいしいおばさんの手料理を食べた。テレビを見ながら、雑談しながら。さっきの粟立ちもどこへやら、やっぱり道隆クンはどこかのんびりとしてぽけっとした雰囲気があって、凄い和んでしまった。
しかし何かいつもと違う、沈んだような思い詰めたような雰囲気を纏っている彼がおれを静かに見つめていたりして、急にドキドキ違和感と焦りを覚えたりしつつ。
でもしゃべるとやっぱり彼。くつろいでお茶を飲みながら
「……そーいや貰うもんて、何?もう遅くなるし、貰って帰るわ……」
「え…まだいいやん。送ってくし。……泊まっていきません?」
ボソッと彼が言う。おれは首を振り、
「それはちょっと……あかんと思う」
「なんで……兄貴うるさいから?」
「ウン……ごめん」
「男同士やのにな」
そうポツリと言い、彼はまた奥の部屋へ引っ込んだ。再び現れた彼を見て度肝を抜かれる。いやちょっと大げさか。でも。
「……何それ……それが、沢山あるもの、なん?」
「ウン。生もの。ごっつい鮮度大事やし……貰って下さい」
そう言っておれの前に差し出されたそれ……彼が持っても凄い似合う。彼もこういうのが様になる男なのだと知る。でもおれは……と渋っていると、また腕に入れられた。彼がそれを抱いたおれを見て満足げに笑う。
腕一杯の、きれいにラッピングされた真紅の薔薇の花束。
「やっぱ凄い似合う……赤城さんには、赤が似合う」
「道隆クン、これ……まさかおれに?」
暫く絶句し、開く瞳孔で彼を見上げ言うと、彼は眩しげに目を細め、頷き、
「ウン。ホワイトデーやから」
「こんなの初めて……原田にだって、貰ったことない」
「兄貴と同程度のことしても、その上には行かれへんでしょ」
にこにこと言う、道隆クン。表情はなつこくかわいいが、言ってることはギリギリのような。
「それってどういう……おれ、何も上げてへんで……」
「そのお返しは、今から3倍返しで貰うから」
思わず逃げを打ち、立ち上がると彼に花束ごと抱き締められた。
2月度バレンタイン企画、「ラブオク」落札者(笑)原田弟こと道隆クンパラレル編です。パラレルといっても、現実ではないだけなので設定も何もかも現状維持。だってその方がイケナイ感あるもんよ。真っ当なリーマンの道隆クンが書いて新鮮、眩しいよ……
といいつつ真っ当なリーマンの知り合いがいねぇので描写が分からんよ。
今のトップは柔らかいピンクの薔薇でカワイイ赤城君だけど、道隆クンは男にありがち(?)な短絡思考の持ち主なので、赤をチョイスです(笑)