ブレイクスルー4 -9-

 扉をカラカラと開けると、もわっとする湯気が襲う。彼から離れたところに洗い場を陣取り、まだ若干ぼーっとしてる頭にシャワーをかける。
 全身を洗い終わって振り返ると、土井さんは腰にタオル巻いて、防水カバーを付けたカメラ持って誰もいない露天の方へ行っていた。後頭部に手を付いたその背中がなんとなくおかしみというか親しみを感じさせた。
「何か手伝いましょうか?」
 露天への扉を開け、言うと、土井さんが振り向く。そのまま佇まれ、暫しの間のあと、
「ああ…、そうだなぁ…じゃ、浸かって歌でも歌ってもらうかな?」
「ドリフ?」
「うん。うさぎちゃんやって貰った方が、もっと嬉しいけど」
「イヤですよそんなの」
 おれは顔をしかめて言った。
 でも、温泉の撮影なんて興味津々だったので、側で見学することに決めた。ここには人は居ないけど、大浴場には居るから大丈夫だろ…
 土井さんは、ファインダーを覗き、レンズ回りの目盛を調節する。
「どうやって撮るんですか?凄い写り悪そうだけど、」
「湯気は残したいけど、透明感が欲しいから、」
「PL使います?」
「うん」
「ストロボだけで光量足りますか?」
「ストロボ使ったらPLの意味ないでしょう…ほんとは照明使って三脚使ってスローで撮らないとなあ…高感度フィルム使ってるからマシだと思う。ダメだったら諦めます。三脚立てて撮る程のもんでもないでしょ?」
「上手く撮れてたら使って上げますよ…曇らないんですか?」
「一応曇り止めしてるから。でも手早く撮り終わりたい」
 そして一枚撮ると、おれに振り向きニヤリと笑う。
「写真のコツ、教えるって言ってましたよね…一個教えたから、写真一枚ね」
「そんな…、イヤですよ、」
 湯船の隅っこに体育座りで首まで浸かってるおれに、カメラ片手に歩いて寄ってくる。真正面から均整の取れた彼のギリギリセミヌードを見上げ、照れてしまう。
 おれは男だ。男同士じゃないか。何でそんなに照れる必要がある?そんなことを思ってるおれに、覆い被さるように身体を曲げ、おれの頭の後ろの岩に手を付き、ニヤリと笑う。なんでか追い込まれた獲物のように、おれは縮こまって彼を見上げる。
「赤城さん…真っ赤になってる。かわいいぜ」
 その途端、
「うわ、」
 彼は足下の岩に滑り、水しぶきを上げながらこけた。
 とっさにおれは彼を助けず、カメラを助けた。そのとき手が触れてどきっとしたけど、さっきの土井さんの驚いた顔がおかしくて、おれは笑い転げてしまった。
 そしてその雰囲気のまま、「お先、」と彼を置いておれはさっさと上がった。さっきちょっとヤバイ雰囲気だったし。
 でも土井さんのあんな姿が拝めて、得した気分だ。
 おれが浴衣に身を包んでいるころ、土井さんが脱衣場にやってきた。
 土井さんの浴衣姿…着流しっぽく、イケていた。何だか楽しくなってきてしまったおれは、にやつきながら彼の着ていく様を、脱衣場に置いてあるソファから眺めて待っていた。
「頭大丈夫ですか?」
 にやつきながら、寄ってきた彼を見上げ、おれが言うと、彼は頭をさすり、
「大丈夫じゃないかも」
「おれ、誰か分かります?1+1は?」
「分かんねぇ。あんた誰?」
 そう言って笑う土井さんは、それまでの少し近寄りがたい感じが消えていた。
「わかんなければ、別にそれでいいですけど、」
 おれは立ち上がり、荷物を持って脱衣場を出た。彼も後をついてくる。
 途中の売店でポカリを買おうとすると、
「ビールじゃないんですか」
と言う。
「やっと酔いさめたのに。土井さんは飲んでもかまいませんよ?」
「いやおれは牛乳にする」
「ガキ」
「おれは身体に気を遣ってんですよ」
 でかい図体の彼が、若干口を尖らせるその仕草が妙に幼く見えてかわいかった。
「じゃオッサン…もといお兄さんはマッサージチェアはどうですか?」
 土井さんが売店の側にあるマッサージチェアを指さす。おれはぞく、とする。マッサージ機の類はくすぐったくて気持ち悪い。髪切ったあとのマッサージも断るおれである。
「おれ若いから、」
 そして部屋へと歩き出す。廊下の窓から庭を眺めながら、なんとなく打ち解けて仕事の話とかして歩いていると、浮御堂みたいな池の上の茶室への渡り廊下へさしかかった。木造で屋根があって欄干があって、景色がいい。土井さんも目をひかれたようだった。
「行きませんか?」
 土井さんが言う。全く人気のない廊下から、庭の照明と、池の照り返しが天井にゆらめくのみの渡り廊下へ踏み入る。この手の雰囲気は、大好きなのだ。欄干に手を付き池を見れば、涼しい風が渡ってきてとても気持ちいい。茶室への扉は、がっちりと鍵が閉まっていた。
「赤城さん、そこに凭れて」
 土井さんは防水ケースをつけたままのカメラをいじりながら言う。
「え……」
「勿体ないと思いません?こんないい雰囲気のところ。お願いだから、撮らせて下さい」
「でも……、」
「頼むから、」
 なんか気迫に押される。と、直ぐに柔らかく笑い、
「さっきの貸し、あるでしょう?」
「な……、あんなん、コツ教えるうちに入ります?」
「質問に優しく答えてあげたでしょう?」
 早く、と急かされる。人が来ないウチに。そういう思いが伝わってきた。おれは、真剣さに断れなく、着替えとタオルの入ったビニールをそこに落とすと、後ろ手に欄干に手を着いた。彼がほっとしたように笑み、カメラを構える。
「こっち向いて…少し頭を後ろへのけぞらせて。身体も」
 染み入るような彼の声に、あやつられるように身体が傾く。
 強いストロボの光。続くシャッター音。なんか、この2つは身体の中枢に響いて麻薬っぽい。おれは目を伏せた。
 そのまま何枚か連写された後、彼が言う。
「左足を、少しずつ曲げて、上げて下さい」
「土井さん、……」
「お願い」
 おれはちょっと撮られる緊張から判断力を奪われてたんだと思う。強い彼の口調に、言う通りにしてあげないといけない気になって、…でもためらいつつも、少しだけ、足を上げた。膝を曲げて、足の裏を欄干にスライドさせて。左足を上げれば、彼に対して少しずつ浴衣の裾が割れる。
「もっと、」
 彼の声が飛ぶ。恥ずかしい。おれは俯く。
 でももうちょっと、…とじわじわ上げていくと、「もう少し」と彼が言う。
「あっ、」
 裾がはだけ、内股が涼しい空気を感じた。耐えられなくなり、声が漏れる。その瞬間、ストロボが光り、腰を砕くようなシャッター音が何回か響く。ストロボがおれの身体を射抜き、全てを暴き出し、シャッター音が撃つ。
「もう、……」
 やっとの思いでそう言うと、彼も息着き、
「ありがとう…撮れて良かった」
と満足げに笑う。
 おれは息が上がっている。皮膚が敏感になっている。…撮られることで、感じてしまっている。
 グラビア撮影って、こんなものなのかなあ。と思ってはぁと息が漏れる。
 ……ありゃカンペキにグラビアポーズだろ。土井さん……
 でも恥ずかしくって、そんなこと言えない…。
「帰りましょう」
 カメラを片づけながら彼が言う。おれはまだ熱く感じている身体を持て余し、直ぐには動けなかった。彼が側に寄り、おれの着替え袋を拾ってくれる。そのままおれにさっと目をくれると、振り返り歩き出す。
 おれはぎこちなく欄干から離れ、彼の後を追う。でもこんな妙な雰囲気を纏ったまま、2人の密室に入りたくない。何か軌道修正をしなければ…、
「土井さんは、幾つなんですか?」
「何で?」
「さっきオッサンて言われたし、」
「ああ…ガキ呼ばわりされたからですよ。同じ位でしょ?29」
「ウソだっ、」
 おれは反射的に言っていた。
 年下?高階クンと同じくらい?
「おれより絶対上だと思ってたっ、」
「え、幾つなんです赤城さん」
 そこで年を言えば、彼も驚き、
「年上のかわいい人だったんですね」
と言い、おれを横目にニヤリとする。
 どうせ、年上らしさはありませんおれは……そしてふと思う。
 達っちゃん、原田、高階クン、潮崎さん、……誰を取っても、おれより誕生日が先のやつがいない。
 なんか、妙に落ち込んだ。
「いいや、オッサンで結構」
 そうさ、もうオッサン呼ばわりも慣れたのさ。

 部屋に戻ると、座卓の上に置いておいた携帯が光っていた。メールだ。
 開けて見ると、高階クン。
 ――そちらはどうですかー?オレはムチャクチャ楽しんでますよ!最高!!カメラマンに食われないように!原田さんもメチャ心配してましたよ。勿論オレだってこんなに我慢してんのに、食われちゃったら、オレも問答無用で食ってやります。
 なんか、更に疲れを覚えた。
 食われない。それだけは約束する。死んでも食われはしない。……でもちょっと、いやかなり、緊張はしてる。

短いのに上げちゃってごめんです。土井さんのお仕事は、更にフィーリング度を増しています。こんな方法で夜の温泉がまともに撮れるのか?んなもん知らんです…夜は更に更けていきますよ!

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