ブレイクスルー4 -42-

 机の上の指輪を見た途端、おれは息が止まりそうになり、胸がつきんと痛んで、見ていられなくて、また自分のデスクに突っ伏した。喉が痙攣したようにしゃくりあげる。
「………って」
 どこか見えないところへやって、と言おうとしたけど、それだけが零れる。すると高階クンがトントンと、優しく肩を叩き耳打ちする。
「何…?赤城さん、何か誤解してません…?ちゃんと目ぇ開けて。もう一度良く見てみて。ホラ」
 叩かれてひくっとひとつ息を逃してから、恐る恐る目を開ける。指輪を掴んだ高階クンの手が、目の前にくる。おれは目をそばめ、出来るだけ落ち着いて内側の刻印を目を凝らして見た。
 そこにあったのは、Y to K――原田のでなく、おれのリングだった。
 信じられなかった。どうしてここに?今、ここに?
 昨夜闇の中に投げてしまったのは、夜も遅い時間で。この上もなく酷い仕打ちで。雨も降ってた。その中を探してくれたのだろうか。それとも、――朝?
 朝だっておれより早く事務所に来ていて、そんな時間作れたとは、作ってくれたなんて信じられない。
 たかだか、おれのために。――おれのために?原田が。
 脳裏に、指輪を探す原田の静かな横顔が見えた気がして、
「あ……高階クン……」
 おれはまた激情の昂ぶりに、つい高階クンにしがみついてしゃくりあげた。
 直前にどん底まで突き落とされたから、その反動はとても大きくて。思いがけなくて。
 この瞬間、おれは原田に2度目の激しい恋に落ちた。
 原田がどんな思いで、どんな顔でこれを探したのか思うと、さっきとは違う意味で胸が熱く、苦しくなって。
 原田はおれを、まだ失いたくないと思っていてくれてたってことか?
 ああ、原田の顔が見たくてたまらない。
 ――だけど、おれはこの手を取っていいのだろうか。
「高階クン…おれは……」
「はい?」
「………」
 高階クンは、おれの頭をきゅっと抱え、肩を抱き締めてくれる。
 その腕の中で、申し訳なさが広がる。おれってどうしてこんなに、皆に世話をかけっぱなし、迷惑をかけっぱなしなんだろう。自分ではオロオロして、回りが立ち回って手を伸べてくれるのを待ってるだけな気がする。
 そういえば…指輪も一瞬「先手を打たれた」って気になったんだった。
「……分からへんわ」
 ポツリと高階クンが呟いた。おれははっと現実に引き戻されて、上を向き彼の顔を伺う。
「おれ充分ええ男やと思うけどな。なんでここまで来ても、原田さんに勝たれへんのやろ」
 それは誰に訊くともない、独り言のようだった。
「ごめ……あの、そんなことは……」
「いいって。今の赤城さん見てたら分かりますもん。なんでやろな。分からへんわー」
「高階クン……」
「おれより原田さん、そんなにイイですか?」
 そしておれの頭を抱え直し、頭上でハーと深々と息を吐く。
「ごめ……」
 その口を親指と人差し指でつままれる。アヒルのように。
「ごめんは、聞きたくない」
 そう言われて、また『ごめん』と言いそうになり、
「すいません……」
と言ってしまっていた。高階クンは思いがけなかったのか、身体を震わせ噴き出した。その振動が触れあった部分からおれの中に流れ込んでくる。
「おれこそ…おれこそ分かれへんわ。なんでおれごときに、こんなになってまで、高階クンが優しくしてくれんのか」
「それは、ほれ、」
 彼は一旦そこで言葉を切ると、ジャケットの胸ポケットをまさぐり、煙草を出すと片手で火を点けた。
「昨夜も言うたでしょ。おれは負けたないと。怯えさすのんでも、なんでも、赤城さんに与える感情で原田さんを勝っていたい本能が働くんやと。それの発露、ってやつですよ」
「でも、……」
 既に、打算、といったら言葉が悪いけど、そういう点ではなんの見返りも望めない価値のない人間になってしまったはずだ、おれは。それにこんなに無償で優しくしてくれるなんて、高階クンに感謝と申し訳ない気持ちで一杯だ。
「高階クン……なんか凄いカッコイイ……絶対おれ、惚れる……いや、勿体ない」
 そう発してから、ポーッと頬が熱くなってきて絶対顔を見られたくなくて自分からより俯き、彼に頭を擦り付けた。
「今頃そんな言われてもなぁ……今夜はどうする?帰る?うち来ます?」
 彼の拘束がゆるむ。おれは身を離し、そっと下から見上げる。
「……いや。もう帰り。……」
「………」
 おれはそれには即答できなかった。
 まだ悩んでいたのだ。おれは原田に有益な存在か。おれは彼の側にいていいのか。……
「赤城さん?」
「おれは……、原田の側にいていいんだろうか、この際、このまま、……」
「まだそんなこと言うてますの。なんのためにおれがこんなこと言うてると思てん。…襲いますよ。連れ去りますよ。問答無用で」
 はは、とごまかすようにおれは笑う。
「赤城さん。欲しいもんは求めていかな。自分を幸せにしたらな。それであかんかったら、おれみたいに諦めたらいいねん。……てか、やらな諦めることも出来へんで」
「うん。……」
「最近何かで読んでんけどさー……自分が幸せでない人間は、人を幸せには出来へんのやって……」
「ああ、それ…自覚ある」
 幸せの種類は問わない。しかし満たされて幸せを感じていない人間には、分ける幸せを持たない、ってことだろうか。原田と付き合って満ち足りていた自分、その前の卑屈で歪んだ自分。少なくともおれにはあてはまる話だ。
「でも……高階クンは?」
「おれ?おれは……。ここで話してても仕方がない。帰りましょか。取りあえず」
 高階クンはそれからおれを見ず、淡々と片づけを済ますと、先に立って事務所を出た。
「車で送ったるから、どこかでご飯、食べましょうよ」
 という彼の言葉に逆らわず、淡々とご飯を食べて、夜の道を送っていってもらう道すがら、高階クンが前を見たまま言う。
「赤城さんのアレ、おれのせい…ですよね」
「………いや、」
「いや、分かってますって。それでもうあかん、て思てんけどな。これ以上やっても無理。むしろおれもそんな赤城さん気になってインポになってまいそう、ヤバイ、って」
「高階クン、ほんとごめん。今までごめん。ありがとう。結局おれの方が君に対してひどい男やったような気がするわ、」
「分かってんやったらもうフラフラしやんといて下さいね」
「………!だったらもう痴漢もなんもせんといてや、」
 高階クンが前方を見たままくすっと笑う。
 ある交差点で赤信号で停まっていたのが、青に変わり左折する。家が近い。心臓が、不規則な感じでドクドクと脈打った。
 指輪…自分ではめることが出来ず。大事に右手に握りしめている。
 原田はこれをどういう思いであの机に叩きつけたのだろうか。もしかして実は今度こそ最後通牒だったのではないか、という思いが突然わき起こる。家を目前にして。
 でも、もうここまで来たんだ。拾ってくれたことを糧に、いやおれ自身のために、原田に謝り、ぶつかっていきたい。今度こそ。でないと高階クンの言うとおり、諦めることなんて心の底からは無理なのだ。
 更に脇道に入り、明るいマンションのエントランスが見える。
「………この辺で、」
「いや、」
 おれは前方を見ていた。その明るいエントランスを。そこに人影を見つけてどきっとする。
「おれがメールしときました」
「高階クン……!」
「あなたのためだけじゃないですよ。おれが用あるんで」
 そう言ってる間に、玄関につき高階クンは車を停めた。

えー覚え書きがある、と書いた今回分でしたが、その覚え書きは殆ど使わず…多分次回に使い回すかと。それにしても高階クンの豹変ぶり?が自分でも意外なほどスラスラでしたが(とっかかるまではうんうん苦しい)

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