ブレイクスルー4 -4-

 風呂場のドアがキイッと開く音がし、やがて水音が響いてくる。
 どうしよう……、とおれは身の置き所がないような気持ちになる。前の文化なら気に入らないことがあれば「出ていけ」と言えば良かった。おれの家だったから。でもここは、2人で借りてる。借り主の名はおれだけど……震災の混乱と寒さと不安の中、2人で探した。2人であれでもないこれでもないと、選んで借りた。「出ていけ」っていうのは、なんか言いにくい。
 溜息をつく。ソファから立ち上がる気になれない。みっともない格好でいるのに、あんな状態の彼にそんな姿見られたくないのに…いや、見られても、何の反応も示されないのが、怖いのだ。おれの不用意な一言がきっかけで、本当におれへの興味が失せたとしたら、そんな彼の冷たい反応におれは到底耐えられそうにない。
 絶対に、精神的なものからイ○ポになる。そういう気がする。
 彼が風呂から上がって来たとき、おれはどんな顔で、何してたらいいだろう。起きていたくない。寝た振りしようか。寝てしまおうか。…と思ってまたガクッと力が抜ける。
 寝床は、ベッドひとつっきりじゃないか。こういうときのために、と言うワケじゃないけど、やっぱり寝床ひとつは良くなかったよなあ…と思って、今までよくこういうことがなかったなあとナゼか妙な感心をしてしまった。
 勿論おれが揉めごと嫌いで、本格的なけんかしたことない、というのも理由のひとつだろう。こう書くとおれが折れまくってるみたいだな。でも彼は、朱美さんとはケンカしまくっていたらしいから、あの彼女のこと、彼女もかなりキレて暴れまくりそうだから。
 また溜息ついて、やっぱりもう寝ることにしよう。明日以降のことは、明日の朝目覚めてから考えよう、とソファに手を付き立ち上がった。
 脱がされたスラックスと下着を拾い、下着は洗濯かごへ、スラックスはちゃんとハンガーにかけて、…なんか非常に空しいものを感じたが、ほっとけない。
 パジャマに着替えて、クロゼットから夏布団を出して、ソファに取って返すと、おれは布団に頭までくるまり、横になった。なんでかベッドで堂々と寝ることは出来なかった。そういう性分なのだ。
 おれが寝付くまで上がってきませんように……早く寝なければ、と思えば思うほど、焦って目は冴えるものだ……Hした後なら、驚くくらい簡単に寝入ることが出来るのに、1人Hでもよく眠れるけど、そういう疲れなくして、寝付きは余り良くない。さっき一回ヤッたからって、こう間と、精神的間が空くとやってないも同然だから、実際、なかなか寝付くことは出来なさそうだった。やがて、水音が止まり、ドアの開く音がする。身体を拭う気配。
 おれは更にぎゅっと布団を引き寄せ、寝た振りを決め込んだ。
 イイ年して、何やってんだか……と思わずにはいられないけど、明日になれば頭も冷えるはずだから。思考力が戻ってくるはずだから。
 ヤツが頭を拭き拭きやってくる気配がする。緊張する。おれの側まで来て、立ち止まった。
「おい」
 声をかけられ、ますます身体が強ばる。彼がおれを見下ろしている。
「マジで寝たんか?シャワー浴びひんのか?」
 そう言って、暫く黙ったまま佇んだ後、部屋の電気を、点けっぱなしなテレビを消し、立ち去っていく。身体から緊張が抜ける。
 ほんとに、何やってんだ……ムカついたのは、おれも同じだろ?なのになぜ、おれだけこんなに所在なげに、ソファなんかで寝てるんだ…。
 やがて、寝室の照明も落ちる音がし、静寂と闇に覆われる。
 でもやはり、ムカついたのは向こうの方が大きいだろう。彼の愛…って書くとこっ恥ずかしいが、を信じてないおれは強欲だと思ったろう。そう、今も変わらず熱く愛してくれてる。新しい刺激なんか何もなくたって、朝、風呂場で甘い時を与えてくれた。
 明日、やっぱり謝ろう……起きたら謝ろう。やっぱ今すぐは、どのツラ下げてって感じで言いにくい。そう考えが纏まると、やっと安心して眠気が襲ってきた。
 朝、いつもの朝だ……と寝返りを打ちながら何か合点がいかず一気に目覚めた。おれは、ベッドに寝ていた。
 パジャマは着たまま。夏布団も身体に巻き付いたまま。
 振り返れば、原田が向こうを向いたまま寝てる。上は裸。下だけパジャマなスタイルで。
 昨夜、多分おれが寝入った頃を見越して、運んでくれたんだろう。
 参った。先手を打たれた、って気がした。
「原田……」
 起きて欲しいような、欲しくないような気持ちで小さく呼ぶ。
 起きてくれなくて構わない。むしろその方がいい。取りあえず今一回声に出して謝っておこう。
「ごめん……昨日は。おれが悪かった。…そして、ありがとう」
 早口にそう言うと、いたたまれない程の恥ずかしさが襲って来、おれは起きてシャワーすることにした。
 ベッドから抜け出す間も、原田から目を離さずいたが、ピクリとも動かなかった。
 シャワーを浴び、また歯を磨きながら、心のどこかでソレを期待している自分がいた。でもドアは開かない。ちょっと落胆しながらも、ドラマじゃないんだし…と自分を納得させ、シャワーを終え、ドアを開けた。テレビの音がする。もう起きてる。
 そう思っただけで、また、凄く緊張した。
 素肌にいつものバスローブを羽織り、頭を拭きながらリビングへ行く。彼は、テレビを見ながら、今日はカップで牛乳飲んで、トースト食べていた。
「ごめん……昨日は、」
 どうにか絞り出してそう言った。彼が緩慢に振り向く。
「なんか無神経なこと言うて……あと、ベッドに運んでくれて、ありがとう……」
 彼は牛乳を一口飲んだあと、テーブルの上のタバコを取り、くわえ、火を点けながら、
「別に……おれもお前ムカつかせてたみたいやし、」
「ごめん……、おれ、自分の贅沢さに、気付いてなかった…」
「そうや。お前みたいなゼイタクもん、そうそうおらへんで」
 そして、一息吐くと、彼は目を上げおれを見た。
「悪いと思うんやったら、濃いいチューのひとつもしてこいや」
 彼の口の端が上がる。ニヤッとした顔。おれは体中から緊張がほどけていくのを感じた。
「原田……!」
 勿論おれは崩れるようにソファに座ってる彼に抱きつき、唇を重ねた。
 直ぐに逆に抱きしめられ、押し倒される。くつろげるローブの合間から手が差し込まれ、離した口から、熱い溜息が漏れる。
 這う唇と手の動きに、ゆったりとした慈しみを感じ、心地よさに震えた。
 でも、はたと思う。
「原田、……今、何時?」
「は?8時前くらいちゃん?……なんやお前、折角いい雰囲気になったのに、お前……」
「だって、こんなことしとったら、おれ折角シャワー浴びたとこやのに、」
「じゃ5分で済ますから。またシャワー浴びよな」
「5分……?」
 あきれるおれを後目に、彼は手早くローションを、あ、ローションはいつもソファの側に置いてあったりする…昨日も使ったさ…とにかく塗り込み、易々と侵入してくる。
 早くイクために、かなり激しい動きで、イイところを集中して擦り上げ、突かれ、朝からとんでもなく乱れる。おれは彼に縋り付く。
「触って……」
 自分に集中しちゃってる原田に、留守にされてるおれののことを頼めば、直ぐに温かい手に包まれ、さすられる。両方刺激されてこそ、後ろの感度も上がる。どことなくもどかしい刺激が、突如としてリアルに彼を感じ始める。
 テレビから8時の時報が響く頃、殆ど同時に達した。痺れるような余韻の中、強く抱き合い、舌を絡め合った。

 その日の午前中、原田は自分のデスクで美奈ちゃんを呼ぶと、
「美奈ちゃん、仕事楽しい?」
と訊く。突然そんなことを言われ、美奈ちゃんの顔が不安げに曇る。
「はい。……とても、楽しいです。とてもよくして頂いて、有り難く思っています。けど、何か……?」
「いつまでもウチに居たい?」
「勿論!……辞めろと言われるまで、居ようと思ってるくらい好きです、ここ」
「あっそう。……じゃ、」
 原田はそこで言葉を切り、俯きタバコに火を点ける。美奈ちゃんは心持ち悲痛な面 もちで原田を見ている。原田はフーッと煙を吐き出すと、改めて彼女を見上げ、
「じゃ、しっかり居てもらって、もっと働いてもらおうか」
 彼女の顔がぱあっと晴れる。
「はい!」
「じゃ、正社員になって貰おうか。……高階、手続き行ってきてくれへん?」
 高階クンは自分のデスクで校正中だったが、顔を上げ、
「いいですよ。……じゃこれ持っていくときのついででいいですか?」
とニッコリ言う。
「ありがとうございます……」
 美奈ちゃんは珍しくか細い感じの声で言う。
「礼は赤に言うたってや。赤が言い出してんから」
 そう言われてなんか晴れがましい感じで照れる。
「おめでと」
 おれが言えば、彼女は
「赤城さん、……ありがとうございます」
と神妙に頭を下げた。
「あ、 高階に、もいっこ頼み事あってん……」
 原田はデスクに立ててる仕事の封筒の中からひとつを引っぱり出しながら、言う。
「はい、なんです?」
「おれ他のんで忙しいから、これやったってくれへん?峰岸さんの……」
「え……おれが?」
 高階クンは頓狂な声を出す。
 高階クンに、峰岸さんからの仕事、ホテルのブライダルキャンペーンの企画を、販促物だけとはいえさせるというのは、なんか冒険というかイヤミじゃないだろうか。暗に「フラフラすんな、早く身を固めろ」って言ってるような。
「お前も企画くらい考えれる位になってや。結婚やから、お前の彼女らにでもマーケティングしてさ、」
 高階クンはハハハと力無く笑い、困惑した表情だ。
「そんな話したないわ。……」
「まぁお前が一番結婚に近いはずやから。思う存分夢と希望入れたってや」
「そんなん分かれへん。美奈ちゃんの方が早いかも知れへんし、……原田さんかも知れへんやん」
「なんでおれやねん。赤は、」
「峰岸さんと原田さん、おれと赤城さんかも知れへんやん」
「あのなぁ。おれは絶対、別れる気ィないから。な、赤」
と、笑いかけられる。おれはついはにかんでしまう。朝のことがぶり返すから。でもチラと高階クンを伺い見れば、彼はなんとも渋い笑みを見せ、
「言わんといたら良かった…あてられたわ」
と言い、席を立って来、
「ではやってみます。……チェックは原田さんしてくれはるんですよね?」
と資料の入った封筒を受け取った。

 今日は余り残業もせず、とはいえとっぷりと日も暮れた夜9時、マンションのオートロックを開けて入れば、原田は先に立ちロビーの集合ポストを開ける。夕刊と、がさりと音をさせ、厚みのあるA5位 の茶封筒を取り出す。ニヤけてる。
 おれは今朝のこともどっか行ってしまいそうなくらい、うんざりした。
「お前また買うたん……」
「掘り出しモンやで。これは。いつもやったら競り合うやつおって出品価格の倍くらいになんのに、これは殆ど出品価格から変われへんかってん、」
「何でそんな得意げなん…うんざりするわ、」
「ええやんか、エロビデオくらい、お前かってオトコやねんから、おれの気持ち分かるやろ?」
「昨日も言うたよな。おれは変な刺激は、いらんねん。また触発されて変なマネしたら、もう謝らへん。今度こそ、出てく」
「ヘエヘエ」
 原田は口をへの字に曲げながら、封筒を左手で弄びながら、部屋まで歩いていく。
 そう。エロビデオ。アダルトビデオ。それも、ゲイビデオ。
 いくら本物のつもりはないといったところで、おれたちはオトコの良さってモンを知っちゃってるから、こういうモンがリアルに刺激になる。原田もネットやる前は普通 のアダルトをレンタルしていたものだが、まぁおれも一緒に見て楽しんだりしてたけど…ネットの海に漕ぎ出してみれば、いつの間にやらヤツはオークションでゲイビデオを漁るヤツになってしまっていた。曰く、もう女ヤルやつみてもピンとこないらしいから恐ろしい。
 勿論、ゲイビデオのヤラレ役(業界用語で?メインモデルという。所詮エロビデオなんてのは男相手だろうが女相手だろうが主役はそそるヤラレ役だ。ヤラレ役をアノ手この手で犯し、ヤル側に感情移入するのが、エロビデオで抜く方法ってのは変わらない)におれを重ねているからこそ、見た後ヘンな「ごっこ」になだれ込むんだと思うけど、このビデオのモデルってのが、マジでイケメンだったりする。可愛かったりする。おれは女相手のビデオより、あんまり気分よろしくない。
 それに、取引相手が、漏れなく男、しかもゲイだ。そんなのと取引とはいえ、メールのやりとりされるのは、更にリアルな感じで気分よろしくない。
 普通のアダルトを一緒に見てる時はおれはヘンな気分になったものだ。
 女をヤルやつを見るときおれがどっち側に立つかといえば、女じゃない、男の側だ。やっぱ女は、怒らないで欲しいけど、ヤルもんだ。そしてそれなりに興奮してくると、後ろからヤツが手を伸ばしてくる。ヤツは勿論、女におれを重ねていただろう。こっちはどっちかというとヤル気満々なところへ、ヤられてしまう。犯し損なった女を目の端で見ながら、犯されてしまう自分というのは、凄くヘンな気分だった。ヘンタイと思わないでくれ、それは、凄い倒錯した刺激だった。
 でも、男相手のヤツは、どうしても客観視できない。自分の身の上と引き離して見られない。
 心がざわつくのを抑えられない。嫉妬してしまうのだ。
 モデルに、取引相手に。
 部屋に入ればヤツはご機嫌にテレビを付け、ビールを取ってきて即ビデオを入れる。おれは見たくないから、風呂に入る用意をする。
「今日の疲れ癒されるかなー」
と、ビデオの出来なんかを気にしてる原田はホントに楽しそうだ。なんかムカつきつつ風呂桶をゴシゴシ力を込めて洗っていると、原田が呼びにくる。
「電話。お母さんから」
「あっそ……ヘンなビデオ、音消してるやろな、」
「勿論。まだエエとこちゃうし」
 珍しいお母さんからの電話は、遅れたけど誕生日おめでとうというのと、プレゼント代わりに食料他送ったからというのと、仕事は上手くいってるかという探りと、いい人いないの?だった。最後が本当の要件だ。
「友達と住むのもいいけど、お互いの邪魔にならんようにしなさいよ」
と。母は彼女が出来にくくなりそうだからと、本当は原田と住むのを快く思っていない。
 たった1人の息子が、いつまでも、30過ぎても彼女なしじゃ、やきもきもするだろう。
「もう仕事軌道に乗ったんなら、独り暮らしに戻ったらどう?」
 そうも言った。
 溜息付きながら電話を切ると、後ろからふわっと抱きしめられた。
「耕作」
 笑みを含んでそう呼ばれてぞわっとする。
「キモッ、キモいからやめてや、ソレ」
「たまには他人行儀でなく、家族やねんから下の名前で呼び合おうや」
「いややって、気色悪い、」
「おれの下の名前はなんやっけ?耕作」
 もう、背筋がぞわってなもんじゃない。寒気がする。寒気がぞぞっとはい上がる。
「お前は、原田……!上も下もない、お前には原田という名前しかないわ、」
「おれはれっきとした日本人やから、姓、と名があんねんぞ。失礼な。姓やなく、おれの名前、なーんや?耕ちゃん」
「じゃあ原田原田でえーわ、お前の名前は、原田原田です。以上、寒い、寒いからカンベンしてや」
 おれはそう呼ばれての、呼ばされての尻の座りの悪さにヤツの腕の中でもがきまくった。
「おれの名前がそんなに嫌いか。お前。気に入ってんのに。えー名前やのに、」
「ヘンな遊びは、やめろ言うてるやろ。ムリヤリ言わすと……」
「チッ。今日のとこは引いたるわ」
 そう言って腕を放す。おれはさぶいぼの浮いた二の腕をさすりながら風呂場に戻った。

えっこんなに簡単に仲直り?肩すかしかよっ!とお思いの方……軽いジャブでした、すみません。まぁ、こんなに早よからそんな盛り上がりませんって、私(笑)
難産だった割には、後半スラスラいけちゃったなー。「耕ちゃん」ってあっちの方が印象強いから書くのやめようかと思ったんだけど、原田って呼びそうだ~と呼ばせてみました。寒いです。こそばゆいです。読んで下さってる方も、かゆくなったらごめんね。
……そういや私、正社員でしか働いたことないので……人事や事務もしたことないし、そんな簡単に正社の手続き済むのかなー?調べず適当に書いちまったぜい。もしかして辞表出してその日に辞めるドラマ並みにありえないかも。
ああっと、何でイキナリ原田が名前で呼んだか、ちょっと説明不足かな?電話取ったときお母さんが「耕作いますか?」って呼びますね、普通。それに触発され呼び呼ばれしたくなった、って説明なしで分かって貰えたでしょ~~か(汗)

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