ブレイクスルー4 -36-

 気付くと、ホントに高階クンのマンションに来てしまっていた。
 さっき、高階クンのマンションの近くまで着いた。静かな住宅街の一角にあるきれいなマンション。そぼ降る雨の向こうに煙る、薄暗い中マンションのエントランスの中の黄色い光が暖かく、誘蛾灯のようにおれを誘う。そこまで行けば、不安なおれを暖かく包み込んでくれると言っているようだった。おれは他にも路駐で何台か停まってる車の間に車を置くと、外に出、フラフラとマンションへと入っていった。
 高階クンの部屋は8階建てのこのマンションの5階にあった。エレベーターで5階まで上がり、ドアが開いて外へ出ると、薄暗い廊下を高階クンの部屋へ歩いていく。
 そして、灰色のドアの前に立ち、インターホンを押して、「はい」と返事があって初めて我に返り、恥ずかしさと、他にも色んなもので、躊躇する。
「誰?」
とこんな時間なので、いぶかるようなぞんざいな声が、インターホン越しに遠く聞こえるのはなんだか冷たい。
 来るんじゃなかった……と思い。でも押した手前、何も告げずに帰るのも…と
「ごめん…帰るから」
 すると
「あっ……待って下さい。今すぐ行く」
と声がして、パタパタと中から足音がした。そういう風に言われると黙って去れないのがオレ……
 直ぐにドアが開き、着崩したシャツとズボン姿の高階クンが目の前に。何となく目を合わせられなくて、俯くと玄関には女物のミュールが一足あった。
 女の子が居るんだ、と気付いて更にいたたまれなくなる。そうだった、忘れがちだけど、高階クンは彼女持ち。邪魔しちゃいけない。彼女に悪い。
「あ……おれ……」
 高階クンはドアに手をかけてじっとおれの言うことを待ってる。すると奥から「誰?」と軽やかな声がする。
「……赤城さん……」
 そしてそのまま長い茶色の髪を手で整えながら、細くてあか抜けた女が顔を覗かす。ほんとに綺麗な女の子だ。いや、子、ってトシでもないだろう。でも華奢でスタイルよくって、華やかで可愛くて、でも色気もあって、さばさば明るそうで、いい女。こんな子とこうやって付き合えるんだから、うらやましい。おれなんて……じゃない、やっぱりおれのことなんて単なる気の迷い。邪魔だ、おれ。
 彼女はそのままカバンを手に近くまで寄ってくると、じっとおれを凝視してる高階クンに笑いかけ、肩を叩き、 「あたし帰るわ」
と言う。すると高階クンは素で、
「ああ。……いや、赤城さん、女抱いてみる?」
「えっ、」
「そういう顔してる……こいつは、その辺後腐れなくスポーツ感覚で出来るから最適と思うよ。どう?」
「……そんな……、いや、いい。邪魔した…ごめん。おれが帰るよ…」
 おれはドアの前で軽く手を振り、踵を返した。
「待って」
 高階クンが腕を掴む。ドキッとする。
「あ……離して……」
「いいから。入ってください。……悪いけど、」
と彼は部屋の中を振り返る。
「分かってる。あたし帰るって」
 おれたちの横をすり抜け、彼女は「バイバイ」と手を振り出て行った。
 なんか気まずい。というか、危険信号が心に点り、警告音を発し続ける。掴まれた腕が、熱い。
 高階クンは、明らかに彼女とヤッていたのだ。始まりか、終わりか、それは分からない。でも2人とも直ぐ出てきて着衣だったことから、そのどちらかと分かる。着衣とはいえ、高階クンの白いシャツは随分胸のボタンが外れてて、袖のボタンも外れてて、のぞける胸の素肌が、危険な雰囲気を醸していた。表情も……いつにないクール、というかけだるい感じ。それが、とても危険な感じを与える。
「どうぞ…入って…」
「イヤ……あの……」
 高階クンは腕を放さない。やっぱり怖い。今更ながら、本気でそう思った。
 しかし、その怖さ故、またも飲まれて逆らえず、おれは唯々諾々と引っ張られるままに入ってしまった。こんな時間に…彼のマンションは、前のところとは違う。玄関を上がってドアを開けるとリビング。入って左手に引き戸の開いた中、ベッドを照らすブラックライトの青い光が漏れる薄暗い部屋を横目に促されるままリビングのテーブルの前に座る。
 高階クンは、そのまま台所へ行き、冷蔵庫からビールを出す…なんかがフラッシュバックする。怖かったあの時が。
 おれはなんでここへ、よりによってここにきてしまったのだろう…背筋がウソ寒く、尻がソワソワ落ち着かない。
 冷蔵庫のドアを閉め、そして振り向き、高階クンはおれの顔を見ると笑った。
「なんて顔、してんです……怖い?」
「いっ、いいや、その……、」
 そして寄って来、おれの前にしゃがむと、缶ビールをおれの顔に寄せる。思わずびくっとし、身を引いた。すると彼はまたフッと笑う。
「自分から飛び込んできたくせに。……ほんまに赤城さんは幾つになっても、カワイイなー。……こんなに、怯えて」
 そしてほっぺたを人差し指でつつかれる。
「な……!いいトシした男相手に、何言うとん、」
 おれは頬を押さえ、ムキになる。するといつもの人なつっこい笑みが漏れる。ナゼかほっとする。
 やっと知ってる人に会えたような。
 プルタブを開け、一口ゴクリと喉を鳴らして飲むと、フワッと空気が動き、あっと思う間もなく抱き締められていた。肩に埋めた彼が息を付く。彼の呼吸が身体越しに伝わってくる。
「濡れてますよ……何かありました?」
 優しい声。そしておれと彼の間には白いバスタオルがあった。
「ん……」
 その時携帯の音が。おれのじゃない。高階クンのだった。彼は軽く舌打ちすると、テーブルに乗ってるそれを掴む。「はい」と出る。ややあって、おれにちらりと目をくれ、そして伏せ、ふっと笑う。
「……いいえ。知りませんけど…?……ああその件はおれも気になってましたけどね。赤城さんオレと二人で居心地悪そうに早々に帰って行きましたし。…ああそれは……大丈夫でしょう。幾らなんでも、行かないことはないと思いますよ。赤城さんはそんな人じゃない…原田さんも、そう思ってるでしょう……?ええ分かってます。大丈夫とは思いますけど、…いえいえ。原田さんも明日早いでしょ。まぁ差し支えない程度に、寝て下さい」
 そして電話を切ると、また笑う。
「原田……?」
「そ」
「………」
「赤城さん、来てないかって……」
「慌ててた?」
「うん……?まあちょっとは……でも落ち着いてましたけどね。おれ相手やから、わざと落ち着いた風を装い、かも知れへんけど。赤城さんの明日朝イチの仕事の進行状況、気にしてましたよ。早いですからね。それと打ち合わせちゃんと行くのかどうかって。データは自分が今からか、早めに行ってチェックしてもええけど、原田さんも朝イチから打ち合わせあるから、掛け持ち出来ひんからって、心配してましたよ」
「原田……」
 じんとして、でも直ぐに、おれより仕事が大事かよ?と複雑な心境になった。
「まさか赤城さん、明日休んだり、しないですよね……?原田さんと気まずくても」
「まさか!」
「良かった」
 そして彼は自分のバッグの中からMOを一枚出した。
「赤城さん仕事途中で、バックアップ置いて帰ったでしょ。どうしようかと思てんけど……おれが悪いんやし、続きやっとこうと思て、校正紙のコピーとこれ、持って帰ってんけど、」
 そう言ってケースに入ったMOを振る。
「帰ったらナツミから直ぐに電話あって、来られて…結局やるヒマなかったんですよね。おれにはやっぱりイマイチ難しいし、」
「………」
 高階クンが、そんなこと思って、データ持ち帰りしてたなんて……
「おれ、やるわ……パソコン貸して……て、MAC持っとったん?」
「一応持ってないとヤバクないですか?」
「………」
 だわな。でも彼のパーソナリティーからして、なんだかちょっとばかり驚いてしまった。そして高階クンは、MOに向け差し出した手を掴み、引き寄せる。
「……仕事は、明日でええやん。もう、遅いから、寝ましょう……ゆっくり疲れを取らないと。身体と、心もね」
 そう言ってにっこり笑いかける。その笑顔と、また胸元が目に入り、おれは顔が熱くなって俯いてしまった。握られた手も熱い。
「それに、雨に当たったから、シャワー浴びた方がいいんちゃいます?みょう~に酒臭いし。その服、着替えてないですよね?……」
 お見通し……おれはますます焦りが来る。……シャワー浴びたいけど……ここではなんだか……やる気がなくてもやるときにやっておかないといけないのだ…家で無気力にボケーと酒を飲んでいた時間を、今更恨めしく思った。
 大体おれはこんなとこで、落ち着いて眠れるのか?眠らせて貰えるのか?妙に紳士っぽく、今はニコニコしてる高階クンだけど、…尻のモゾモゾが益々落ち着かない。
「でも……」
と腕を振り払おうとすると、より強く掴まれ、そのまま抱き込まれた。どうしよう……

高階クンとの夜は危険か否か。今回のよそよそしい感じの高階クンも、書きたいものでしたが、当初からかなり変わってしまったので、赤城君の衝撃が減ってしまったのですが。(汗

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