ブレイクスルー4 -17-

 こういうとき、仕事ってのは助かる。とにかく目の前のこなさないといけない仕事に集中していると、取りあえずもやもやとした感情は棚上げできる。側にいる彼を見ることなく、居ることを意識しないように、黙って机に向かって仕事をしていた。
 でも、背中が緊張でぴりぴりしていて落ち着くことは出来なかった。
「ただいまー。…あ、もう野々垣さん帰っちゃってたんですね」
 美奈ちゃんがはきはきした声でドアを開け入ってくる。「お帰り」と高階クンは振り向いて愛想良く言う。
「お疲れ様…ありがとう」
 おれも振り向いて言うと、美奈ちゃんは手に提げた袋を少し掲げ、
「野々垣さんまだ居るかと思って余分に買ってきちゃった…じゃ原田さん帰って来てからにしますね」
「何買うてきてん。ほんまお菓子好きやな。太るで気を付けな、」
 高階クンが言うと、冷蔵庫に袋毎入れながら美奈ちゃんは、
「や~ですね…いいんです、私別に、おいしいもん食べてるときが一番幸せ~」
「赤城さんと一緒やな。全くうちのカワイコチャンらときたら、……」
「あっまた私と赤城さん比べて、……赤城さん、こんな言うてますよ?」
「………」
 明るくしゃべり合う二人に、おれは言葉を返せなかった。いつもなら、美奈ちゃんが言う前におれが「女扱いすな、」と怒るとこだ。無反応なのは、良くない、と思いつつも、何も言葉が出なかった。
 高階クンの声が、身体に響く。あの温かい感触がリアルに甦る。どうしてこんなに気持ちを揺さぶられてしまうのだろう。そして、どうして彼はあんなに平気な顔が出来るのだろう。
『そのときが過ぎちゃえばね……』
という彼の言葉を不意に思い出す。もう何年も経っているのに、まるで昨日のことのように、その声も、表情もいっぺんに。
 彼は、もうさっきの熱は去ったのだろうか。そっと後ろを伺うと、リラックスして美奈ちゃんと談笑している彼がいた。
「あ~しんど。……」
 そう溜息混じりな声がして、ドアが開く。美奈ちゃんは直ぐに席を立ち、
「お帰りなさーい」
とお茶の用意にかかる。
 原田は席に着かず、そのまま美奈ちゃんの後ろに立ち、
「何買うてん。……まったちっさくて甘ったるそ~なん買うてぇ……」
 ややからかい気味にそう言われ、美奈ちゃんは振り向き、原田を見上げ、
「もう男ばっかの職場て味気ないわぁ~~…張り合いない。めっちゃ奮発しておいしいケーキ買うて来たったのに、……糖分は、疲れた頭にいいんですよ?」
「5個あるやん。自分のために買うてんやろ?」
「これは野々垣さんの、」
「あ、ののちゃん来たん?いつ?」
 言うの忘れてた。というか言いそびれていた。おれは振り向き、
「ごめん。さっきまで来て貰っとってん。イラストの追加頼もうと思て、…言うの忘れてたわ」
 すると原田はおれを見、少し口の端を上げる。
「ふ~ん。…」
と言ったきり途切れる。
 そのはっきりしない反応に、更に心乱される。顔が一気に熱くなる。彼はなんだと思ったろう。何と思って、あんな顔をしただろう。
 なんだかバツが悪く、恥ずかしかった。
 その日家に帰ると、ソファにカバンを置いたおれを原田は後ろから抱きすくめる。そして顔を寄せ、耳元で
「なぁ…何で黙っとったん?」
と囁く。笑みを含んだ声で低く。『妬いた』、ヘタしたら『嫉妬に狂った』と思われてるに違いない恥ずかしさと、抱き締める腕の強さに、直ぐに熱くなり、腰がふらつく。
「な、なんでって……言いそびれてただけ、やん、……」
「なんで言いそびれたん……?何か言いにくかった?……」
 おれの右手を掴んでいた彼の左手が、上へと身体の上を滑り、顎を掴まれる。彼の吐息が首筋にかかる。身が竦む。しかし唇は顎を掴んだ手の人差し指に撫で回し、弄られる。そして首筋に強く吸い付かれ、首を更に縮める。じくじくとした疼きが体中を駆けめぐる。
「あ……や…、っ……」
「隠し事出来へんお前、下手なお前、まぬけなお前はほんま可愛いわ……」
「う……うるさい……ウヌボレやがって……あ、」
 下手……?それは自覚してる。またあの疑惑が頭をよぎる。ばれてないだろうか……本当にばれてないだろうか。
 彼の一言一言が、全て含みを持って、冷たくさえ聞こえる。
「あぁ、」
 首に愛撫を受けながら、不意にズボンの中に滑り込んで来た彼の右手に声が漏れた。
 直に探られながら、身体だけでなく心の奥底まで隠す術なく晒されているような不安と羞恥で、狂いそうなほど感じる予感がした。

 そのまま抱かれ、どっかおかしいんじゃないかという位感じてしまい、もの凄く疲れた身体を放心状態でソファに預けていると、短く原田の携帯が鳴る。
 彼はふぅと溜息付き身を起こすとソファの下のズボンから携帯を取り出し、開く。
 そして、微かに笑う。
「……ののちゃん、明日来るらしーわ。そのついでにいいビデオ、友達から借りたから、明日持ってくるって、おれもなんか持ってったろかな」
「………野々垣さん、」
 そう声に出してみたものの、特に言う言葉を見つけきれず、右手て唇に触れたあと、顔を逸らす。
 すると彼はまた覆い被さり、頬を寄せ、
「何……気になる?今日はめっちゃ色っぽかったな……」
「良かった……?」
 そう言うと原田は笑い、
「うん。めっちゃ。…ののちゃんの存在が、えー刺激剤みたいやな、お前。……」
 その声には、満足そうな響きがあった。味をしめた、ってところだろうか。でもこっちは不安だから、そんなもんで味をしめて欲しくはない。
「彼とは何もないって、言って。約束して」
「……そんな熱っぽい目で見られたら…どうしょうかなー。先のことは何があるか分からへんし……」
「……原田」
 すると軽く唇を塞ぎ、
「大丈夫やって。心配すな」
「………」
 まだ帰ってきただけで風呂にも入って、着替えてすらいなかった。原田はおれの上からどくと、テレビ台のガラス戸を開け、物色を始めた。
 そんな様子を、だるくて身を起こす気にもなれないままぼけっと見てた。
 こないだ野々垣さんがくれたビデオは、割に新作の、人気あるレーベルのやつだった。原田はかなり満足してた。野々垣さんのチョイスは、外れがない、と漏らしていたくらいだ。
 高階クンの言葉が甦る。糸の切れた凧みたいな野々垣さんが、昨日の今日、いや今日の今日こうやって連絡してくるってのは、何か心境の変化なんだろうか。ソノ気になったんだろうか。
 おれは、原田を信じるしかない。

 次の日の夕方、美奈ちゃんも帰った後久しぶりに峰岸さんがやってきた。細いスラリとした身体に、グレーのシンプルなパンツスーツ。あの、甘い匂い。殆ど毎週大阪に来ている峰岸さんは、高階クンの仕事を引き上げに来た。
「こないだは先に帰っちゃってごめんね」
 そう峰岸さんが言えば、向かいに座った高階クンは、
「ホンマですよ峰岸さんおれのことうっとおしがるし、」
 峰岸さんは微かに笑い、
「そんなことないよーだって高階クン凄く他の人と盛り上がってたから水差すと悪いなーと思ってさ、」
「他のやつなんか、ほんまはどうでも良かってん。峰岸さんが言うてくれたら、直ぐにその場で切り上げてホテル送ってったったのに。途中でお茶したり、落ち着いた店行ったり、」
「かえって心配……」
「おれジェントルマンなんで、何の心配もないですよ」
 そぐわないセリフに、峰岸さんは笑う。2人がそうやって談笑していると、ちょっと出ていた原田が戻ってくる。
 原田が高階クンの横に座ると、そこから衿を正し、やっと本題の仕事の話に入る。
 原田の直しが入ってるので、でもMACと悪戦苦闘(やや)して作り上げた高階クンの血と汗の結晶(?)は、何の問題もなく峰岸さんに受け入れられたようだ。
 ウチの事務所にトイレはない。トイレは外の共用だ。お客さんの来ているときは、打ち合わせしている横をすり抜けて行くのがなんだか恥ずかしく、失礼っぽいので余り立たないのだけど、どうしても我慢出来なくなってきたので、峰岸さんの後ろをすり抜け、トイレに行った。
 すっきりしてドアを開け、廊下に出たところで帰りがけの峰岸さんとバッタリ出会う。
 彼女は一瞬目を瞠り、すぐにきれいな笑みを造り、
「ヘンなところで会っちゃったかしら」
「いやまあ……自然の摂理ですから、高階クンは、何か粗相をしませんでした?」
 すると声を立てて笑い、
「ネコか子供みたいね。別に大丈夫よ」
「でも口説かれたでしょ」
「自然に口から出るのねああいう言葉があの子……でもあたし、迫られてもあんまり、なの。追いかける方。こっち向かせるのに燃えるの」
 それで原田が……?そう思いつつ、
「意外と情熱的なんですね」
「うん。熱しやすく冷めやすい…かな?好きな男追っかけて、イタリアまで押し掛けてホテルに一週間閉じこもったこともあるんだけど、」
「すげえな」
 自然に声が出ていた。
「でもね、彼が私を離さない、とか言ってメロメロになってんの見たら、なんか冷めてきちゃってそれっきりなことも、」
「いつもそんななんですか?」
 驚いてやや素っ頓狂な声で言うと、彼女はおれを見てくすりと笑い、
「それは強烈な思い出だけど…でもいつも振るのは私かな。だから迫られてもね、ダメなんだ~私」
「……原田のこと、好きなのって、彼がつれないからですか?」
 うわ失礼な物言い。でも彼女は相変わらず楽しそうに、
「うん。より一層気に入ってるかな」
「……でも、じゃもしかして、原田が振り向いて、峰岸さんのことに夢中になったら、冷めてくる……?」
 彼女は一層婉然と微笑むと、
「それは、その時になってみないと分からない。でも多分、彼はそうなりそうにない気がするんだー」
 それって今までの男と違う、特別ってことなのか?なんか胸が塞ぐ。
「こんな汚い、小さい事務所にいつもすみませんね」
「ううんいい息抜きだから…赤城君を筆頭に、いい男揃いだから目の保養、命の洗濯、でも長居できないのがいつも残念」
 その時近くにあるエレベーターのドアが開き、中からフラッと野々垣さんが出てきた。おれを見ると、愛想良く笑って会釈する。
「じゃおれ、事務所の方で待ってますね」
と野々垣さんは横をすり抜け事務所へ行く。峰岸さんは、
「いい男。ほんとに赤城君とこの事務所、外れないねー。いつ来てもいい男ばっかり、」
「そうっすかね、」
「ああ~ん残念、仕事さえなけりゃ……じゃまたね、赤城君、」
 そう言ってエレベーターに寄り、下へのボタンを押す彼女。乗り込み、ドアが閉まるまで見送るとおれは踵を返した。
 ちょっと気が重いながら……
 ドアを開けると、野々垣さんと原田が楽しそうにしゃべってる。ビデオの話とかではなく、飲み屋の話とかしてる。
「赤、」
とおれを見ると原田が声をかける。
 さっきまで高階クンが座っていた席に腰掛けると、野々垣さんは傍らの封筒を開く。その手に目が止まる。今日も黒地に黄色、だけど今日は全ての爪にマニキュアしている。左手親指はTHの組み合わせ。その他の指は数字。
「その爪……」
「あ、これ?……優勝祈願、つーか便乗?丁度黒と黄色やったし、」
と手をかざし、笑う。数字は、いつのか分からないが、スタメンの背番号だ。
「阪神、好きなん?」
 なんか凄い意外だった。そう思うのも失礼かも知れないが。
「まぁ、…昨日イベント行って来たんで、ちょっとお遊びで、」
「イベント?」
「クラブで…面白いですよ。色んなヤツいるし。原田さんたちも今度行きません?」
 おれはいやだ。行きたくない。そういう雰囲気も苦手だし、そういう人達の、ゲイナイトっやつだろ?そんな人達とお友達にならなくてもいいし。正直なりたくない。偏見じゃない。おれが嫉妬深いから。
「いっぺん行ってみる?」
 原田も言う。おれは首を振り、
「いや、なんか苦手やから……、」
「それより今日はどう?これから用ある?また飲み行かへん?勿論赤も高階も、」
 野々垣さんは小首を傾げ、
「勿論、いいですよ。……実はそれを狙って、こんな時間に来たんで、」
と笑う。
「じゃ、今日は早めに切り上げて、行こか」
と原田はおれを見て言った。
 それからイラストを見て、仕事の話に入る。イラストは、十分な出来だった。

これで心おきなくだんじりに行けるよー。って言えるほど進んでなくてすみません……エロも飛ばしてほんとに読むところがない(汗)エロをきっちりたまには書け、と思う方は遠慮なく苦情して下さい……

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