ブレイクスルー 3 -9-

 オタオタ悩んでいたって仕方ない。それに潮崎さんには立派な彼女が出来たんだし、素っ気なくされようとおれだけは普通に接しよう。そうおれは決めた。
 次の朝、会社に入ってすぐのカウンターにあるタイムカードを押していると、潮崎さんがやってきた。
「おはようございます」
とおれが笑って言うと、さりげに目を外し、彼は
「ああ、オハヨ、」
と言った。
 そう言えば、自分にとっては当たり前すぎて、書き忘れていたことがあった。最初に書いておくべきことだったんだ。何でお昼時まで原田がおれが何を着て出勤しているか知らないか。
 それは、おれの会社の始業時間が、彼の会社より30分も早い、という理由による。おれのところが九時、彼の会社は九時半。はっきり言って、毎日うらやましい。おれが出るとき、ヤツはまだ寝ているのだ。
 前の会社のときは出がけに蹴って起こしてやっていたが、今の会社になってからは、ほったらかし。どうせヤツも起きないし、…
 でも、それと彼の会社に入るのとは別だ。いくら羨ましかろうと、今の会社は充分気に入ってる。
 それに、どうにかおれも起きれている。
 さて、仕事をしていても、昨日あんな話を聞いたせいで、どうしても田辺さんに目が行く。いつものように、明るく笑い、吉川さんなんかとしゃべりながら楽しそうに仕事をしているが、心なしか艶やか、というかイキイキしてるように見える。
 そして視線を感じ、近くに視線を移すと、隣の席の曽根さんがおれをなんとも言えない、すねたような、咎めるような、困惑したような表情で見ている。
「昨日はごちそうさまでした、曽根さん」
と仕事も始まって随分たつのに今更のように言うと、
「いや、別に…。あのな、頼むから、あんまりじろじろ、見たんなや…。ばれるで」
「あれ…、おれって、そんなに見てました?」
「うん。めっちゃ」

 その日のお昼、ちょっとした事件があった。
 この話的にはちょっとした、だけどおれたちの業界人には悪魔の囁きのような言葉、「刷り直し」。
 原田達とお昼を食べていたら、高階クンのポケベルが鳴った。「チェッ」と彼は舌打ちし、というか口を付きだし、席を立つと電話をかけにいき、…青い顔して戻ってくると、
「すいません、オレもう行きますわ、」
と金を置いて行こうとする。
「どうしたん?」
 おれが訊くと、
「ちょっとヤバイかも…じゃまたね、赤城さん」
とそれでも笑顔で手を振って彼は店を出て行った。
「なんやアイツ、お前にだけ挨拶して行きやがって」
 原田が言う。
「最近アイツお前に懐きすぎちゃうか?どー思う?青木君」
 ヤバイなー。なんか居心地悪い。
「まー、気色悪いけど、取られへんように気ィ付けた方がええんちゃう?あのヤリ手から」
「青木さん、…そんなこと言って原田煽るの、やめてもらえません?」
 おれが情けない声で言うと、
「ホンマいやそーに言うなぁ。…なんか忍ばれるわ」
「どーいう意味やソレ。おれは忍ばれるようなこと、してへんで。でもそんなことがあったら、それこそタップリお仕置きしたるからな。分かってるよな」
 非常にヤバイ話の流れ。高階クンめ…。おれは取りあえず笑っておいた。
 その日の夜、原田は帰って来ると、上がってすぐに溜息付き、
「アイツエライことになってんでー。アイツスカウトしたん間違いやったかもな」
「何?まさか刷り直し?」
 刷り直し。今までの頑張りがパァになる一瞬。あのきつかった残業も、徹夜も…。そして、その儲けも。訂正シールを貼ったり、訂正紙をはめ込むという手もあるが、安く済むけど、これまたシール貼りと挟み込みという余計な手作業が付いてくる。
「そー。4色16頁のパンフが」
「訂正シールくらいじゃすまへんの?」
「時間がない。貼ってる方が時間かかる。あと見た目が汚くなるのがイヤらしい」
「…お金、どうなんの?」
「折半、みたいよ。クラとうちの。刷り直し代。G・W前の出稿分やからなー。可哀想やなー。ボーナス出えへんかもな。あいつ」
 うわー可哀そう…。と思いつつ、人事ではない、と背筋が寒くなる。落ち込んでるんだろうなあ。幾らあの図太い神経の持ち主でも、さ。
「彼、初めて?」
「ああ、…そーいや初めてかもな。まぁ、一度くらいは誰でもやるわな」
「原田はその仕事に噛んでないの?」
「おれ?おれはやってない。女の子」
「高階クン…、落ち込んでた?」
「さあー。アイツ午後はずっと出てたし。…でも、ヘンな慰めは、不要やで」
 そういうと、おれの思い込みか原田は少し酷薄そうに口元を歪めておれを見た。
 その顔を見た途端、少しぞっとすると同時に、改めてカッコイイと思ってしまったおれって、終わってる?物凄くセクシーな感じがして、腰が砕けた。
 なんだか欲情してしまい、おれは無言で熱く視線を注ぎながら、彼に近寄り、ゆっくり首に腕を回し、見つめ、…向こうの方から唇を重ねてきた。
「あっち、行かない?」
 遠回しに彼を誘うと、彼はニッと笑い、
「すっかりエロガキになりやがって」
 色気のない言葉吐きやがって…。でも恥ずかしくなって俯くと、下半身が疼くおかげでちょっとよろけ気味のおれを引きずるように6畳間の方へ連れて行く。
 そのまま布団に仰向けにされると、おれを脱がしながら
「で、何して欲しい?」
とか彼は訊く。おれは少しいい淀むと、目を閉じ、
「……舐めて」
 身体が熱くなる。もう充分、感じてる。だから彼が口を付けたとき、
「…アアッ……」
と結構な声を出した。おれはそのとき物凄くキてて、ちょっと恥ずかしいくらい声を上げながら、割と直ぐにイッてしまった。彼が舌で拭う。それが気持ちいい。もっと、して欲しい。という欲求に勝てず、
「もっと……」
と言えば、
「ほんま、エロガキ、」
と言いながら、両手で思いっきり足を広げられ、くわえられた。すっかり息が上がってるから、さっきより、隣や下が(書き忘れてたような…家は2階です)心配なくらい、声を出し続けた。
 角部屋なので、で、布団はその角に寄せてるので隣はいくらか大丈夫だと思うんだけど…
 そうしてるうちに、今度は何したくなったと思います?おれってほんとエロいのかな。
 何か、口を塞ぐものが欲しくなった。舌と唇でも、指かなんかでもいい。でもほんとは、もっと、しっかりした、口いっぱいの存在感を感じれるもの…。
「原田…、おれも、」
 ろれつ怪しくそういうと、彼は直ぐ察したらしく、ニヤリと笑い、おれから身を離し頬杖付いて横になり、
「じゃ、お前が上な」
とおれが動くのを待つ。おれはだるく身を動かし、まだ服を纏ってる彼のジーンズのファスナーを下ろし、…当然のように、しっかり勃ってた。張りつめた感じは、堪らない、好きだ、と思う。ほんとに何も考えられないようなぼーっとした頭で快楽を貪っていると、彼は枕元からローションを取り、タップリと塗り込み、慣らし始めている。その刺激がまた堪らない。おれは少し口を離し、喘ぎを漏らす。
 すると彼はおれの腰を抱え、身を起こし、おれを後ろから抱き取りながら、貫きながら、彼の上に座らせる。胸をいじられ、体中をぞくぞくと這い上がる感覚に、頭を預けながら、止まず声を出していた。
 まあ、何だか最近H出来ないとかなんとか言っていた割には、とっても簡単に発情して濃い夜を送ってしまったのである。
 しかもきっかけが高階クンというより、刷り直しだってことに、自分のどうしようもなさを感じる。

 そんな夜を送っていても、昼間には引きずらない。
 次の日の昼は、あれ以来初めての潮崎さんたちとのお昼だった。
「今日は行けんの?」
 唯野さんが訊く。
「こないだは、すみませんでした」
と言えば、
「赤城君おらんと、華がないからなー」
 唯野さんも、おれを充分可愛がってくれてるのは分かるんだけど、ちょっと方向性がずれてるような。潮崎さんうんぬんは別にしても。
「潮崎さん、最近女紹介してよ、って言わないんですね」
と軽い調子で探りを入れると、唯野さんたちも、
「そういや、言えへんようになったな」
「もう女は諦めたんか?潮崎。赤城君の方がきれいやからな」
とか言う。また…。とうんざりする。
「あのー。おれにはリッパなつれあいがいるんで、いい加減そのテの冗談はですね、…潮崎さんも彼女作りにくくなりますやん。ね?」
「まあな」
と潮崎さんはあくまで素っ気ない。なかなか田辺さんのことを言ってくれそうな感じではない。でもほんとに、曽根さんにしか言ってないのだろうか。唯野さんたちも知らなさそうだし。
 食事中もぎこちなさ全開で唯野さんたちにヘンに思われたらどうしよう…とヒヤヒヤしていたが、彼もそこは大人(?)、怪しまれない程度にしゃべってくれた。でもおれと目を合わさない。
 いい加減疲れるなー…、とうんざりしながら午後の仕事をしていると、指示のおかしなとこがある。それが全ページに影響するような、基本フォーマットでの部分だ。潮崎さんの仕事だ。勝手に判断してやってしまおうか…とも思ったが、一応お伺いをたてないとまずい。それに、これは今日中に上げてしまわないといけないシロモノだ。ここを放っておくと後に響く。
 いやいやながらも席を立ち、溜息ひとつ付くと原稿持って版下の方へ行く。潮崎さんは、席に居なかった。
「あいつ今日は午後からずっと紙焼きやで。よーさんあってなかなか出てけえへんと思うよ」
と、察しのいい唯野さんが声を掛けてくれる。
 紙焼き…というと暗室か。とちょっと怖じ気づく。フロアの片隅にテントみたいな黒い厚手ビニールで覆われた小部屋みたいなのが仕切ってある。そこが暗室。暗室は手動写植用と、版下の紙焼き用と2つある。暗室は一般的なので解説の必要はないと思うが、紙焼きは要説明か。ここで概略を掴んで下さい。(いい加減…?)
 社内では、100級までしか出ない写植の文字を伸ばしたり、ロゴを焼いたり、グラフとか色んなものの左右比率を変更したりと活躍している。
 まあそんなワケで、暗室か…なんだかイヤだなあ、と思いながら、でも仕事だし、とおれは暗室に向かった。
 暗室の近くまで行くと、なぜか田辺さんが出てきた。ワープロの彼女に、暗室は用がないはずだろう…?電話でも取り次がない限り。とますますイヤになりながら暗室の前まで行くと、おれは声をかけた。中からムッとする熱気と、現像液の酢酸というかアンモニア臭というか、とにかく臭い匂いが漂ってくる。
「今いいから、入れよ」
と中から声がする。入るのは…なんかイヤだ。
「ちょっとで済むんですけど、」
「まだ沢山あるから、手を止めたくない」
と言われてしまえば、入らざるを得ない。
 入り口の幕を上げると、匂いと熱気は更に強くなる。だんだん陽気も暑くなってきたし、これからの季節の紙焼きはジゴクだ。コピー機大くらいの紙焼き機の光源が凄い熱気を発するからだ。しかも光が漏れ入らないように密閉された、小空間。
 中には赤外線ランプの、余計暑くなりそうな光の下、紙焼き機に片手をかけた潮崎さんがおれを見据えて立っていた。暑いからだろう、シャツの胸元がかなりはだけられてて、…でもそれだけではない、なんか崩れた空気を感じるのは、単なる気のせいだろうか。いや、潮崎さんは、そんな人じゃない。田辺さんと仕事中にここでなにがしかするような人ではない。
 ――怯えるな。
 と高階クンの言葉を思い出す。いや、自分には怯えてみせてくれ、だったか…。同じことだよな。
「じゃ、」
となんでもない感じを装い、暗室の中に踏み入る。「閉めて」と言われて幕を閉めると、ほの暗い室内。彼は紙焼き機に原稿をセットし、操作を終えると、こっちを向いた。
「これ、…」
と薄暗い中で、紙焼き機の上に原稿を置き、指さすと彼も寄ってき、のぞき込む。その下で、紙焼き機のカメラが移動する音。
 不意に抱き締められ、紙焼き機の上に仰向けに押しつけられた。
「し、おざきさん、…仕事、」
 強く抱き寄せられ、膝を割られる。彼の顔がゆっくりと、覆い被さってくる。
 彼を強く押し、顔を背けると、フッと笑う気配がする。目を開け彼を見ると、
「じょーだんやって、…マジやと、思た?」
と明るくない口調で、からかうように言う。
「お、どかさないで、くださいよ……」
 一息吐いている間に、また抱き寄せられ、
「…ア……ん……」
と息と一緒に、ちょっと艶っぽい声を漏らしてしまった。
 冗談ではなく、口づけられた。

ふー。やっと続きが書けました。ヤツラを動かすのも数年ぶり、「キャラ変わってるやん」とかいいっこなしよ。案外話とかって若いときの方がばかばかしくも勢いあるもん書けたりするからなー。忙しくなったり色々で書かなくなってたんだけど、あの頃考えていた続きとは若干変わりそう。てーか変わってます。そしてリライトだったら直すようなセリフも、私の中ではこんな状態ですからね、そのまんま垂れ流します。だったら最初っから関西弁で通しとけ!と思われるでしょう。ごめんなさい。

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