ブレイクスルー2 -10-

 大阪の、梅田の地下に、大阪、というか近畿の人なら誰しも知ってると思うけど全国各地の土産が買えるところがある。何のためにこんなものがあるのか、全くもってギモンだったのだが、おれみたいなやつの需要も十分あると思う。
勿体ないホテルに、チェックアウトぎりぎりまでねばった後、もう真っ直ぐ帰ることにした。しかし、貧乏性と言えよう。
夢のような時は過ぎ去り、また明日から仕事かと思うとちょっとうんざりする。夕べは、高いとはいえ、ほんとにあの部屋を取って良かった。とても素敵な思い出になった。
「……いい加減、一緒に仕事する気にならへん?」
高速をおれが運転していると、助手席の原田が言う。
「何で。急に」
「3日一緒におっても、飽きひんかったやろ?昼メシ殆ど一緒に食って、毎日のように電話もして、めんどいやん。お前の給料も、上がるで」
「……。まだ、1ヶ月しか行ってないねんで。あそこ。やっと馴染んできたとこやのに……」
「おれ、益々忙しなるで。こないだ、な……おれ、チーフになることに決まったから」
おれはびっくりして彼の顔をちらと見た。あんまり嬉しそうじゃない、困惑した笑顔。
「役職はあんま欲しくないけど、給料上がるしな。……ま、大したことやないけどさ。電算の主任いうたかて、課長がおるねんし」
「昇進、おめでとう。……何で、言うてくれへんかってん。昨日言うてくれたら、」
「だって、嬉しない。な、……うち来いよ。そしたら仕事回しやすなるし。女どもにはイマイチ仕事回しにくいしな。お前は身内で、腕前も分かってるから、安心して仕事回せるわ」
「それって、こき使う、って意味ちゃん。……決心、つかへんわ。まだ、辞めたない」
「最近電話して来んのは、お前の方が多いくせに……。ケツの重いヤツ。あんま毎日は、電話してけーへん方がええわ。お前は電話取りしてるからアレやけど、おれは自分で電話取らへんから。営業なんかの隅々まで、殆どお前のことは知っとってやけど、上の人はあんま良う思わへんし」
「それも、こないだ言われたん……?」
「ああ。……」
心はふらつく。朱美さんのことがあった日、おれはさすがに原田と一緒に働いちゃおうかと思った。そしたら、1人で帰らずに済むから。
でも、1日中ずっと一緒なんて……嫌というより、怖い。おれは原田が大好きで、いつも一緒に、そりゃ居たいけど、今も充分そうだけど、原田だけがおれの全てなんて生活は、考えるだに恐ろしい。
「行かへん。……それなら、電話もせんとくわ。じゃ、もうヘルプもせんとくわな」
「赤。強情やなお前は。何がそない嫌やねん」
「お前こそようそんなことしたいと思うな…。この3日間とは、訳がちゃうで。毎日毎日、ずっと互いのツラ見とったら、嫌でも飽いてくるわ。多少のプライベートは欲しいやんか。一緒に住んでる、それで充分やろ」
「一緒に住むのかて、お前は怖がっとった。なのに何や、今は帰らんと怒るやんか。絶対それと、変われへんで。……ええわ、いずれお前が働きたい言うわ」
「今の会社クビになっても、行かへんと思う」
「それは、試す価値あり、やな」
ホリデーは終わって、問題山積といったところか。全く何一つとっても、人とはこうも違うものだよなあ。普通のカップルの1ヶ月目とは、ワケが違う。それというのも、原田がおれとのことを真剣に考えてくれてるからだとは思うけどさ。
「ヘルプには、来てね。呼ぶから。課長も文句言わへんし。……」

次の日、職場に梅田で買った土産、ちょっと弾んで高い目の地元銘菓をバラまき、上手く取り繕った。
宮川さんは嘆息し、
「あー赤城君がおれへんと、むっちゃ張り合いなかったわ」
と言ってくれた。
「有り難いこと言ってくれますね。それは、オトコとしてですよね」
「ある意味ではあったで。張り合いが。忙しなって」
鈴木さん……。また後ろに立って、ポンと放り出すように……。おれは愛想笑いをし、
「すみません新入社員の分際で勝手なマネをして。迷惑かけました」
 と言えば、彼女はニヤニヤし、
「結構。素直でよろしい」
ああ、あの22日が、ほんとに夢みたいだ。この殺風景な職場を見ると、益々そう思う。
「昼前に張さんとこ行ってね。そのまま休んでいいから。月曜頼んだ分があるさかい、」
 と宮川さんに言われて思わず電話に伸びかける手を引っ込める。
もう約束はしたんだ。おれから電話はしない。5分待って来なかったら、一緒にメシは食わない。一緒に帰るのは、おれが原田を手伝うときだけ。もしくは、原田が一緒に帰ろうと言ってきた時、もしくは、よっぽどのご用がある時だけ。
休み明けの水曜日、仕事はなかなか忙しい。おれのキライなクライアントの、いい加減なFAX原稿がやって来る。とても指定の級数と送りで入りそうもないスペースに、ぎっしり小汚い字が踊ってる。おかげでここは、いつも電話で級数を取るかスペースを優先するかお伺いを立てなきゃならない。大抵スペースを取るってことは分かってるのだが一々確認はしなきゃならない。その度に、「お世話になります」とか「ありがとうございます」なーんて言わなきゃならんのが、ムカツク。所々潰れて読めない字もあるし……納期はどうせ今日中に決まってる。劉さんに持っていくのがためらわれちゃう。
張さんは、今日も「食べて行く?」と北京料理を食べさせてくれた。
張さんにだけは、ディ○ニーランドで買った缶入りの○周年記念クッキーを渡す。悪いヤツ。
1人で退社して帰るのが、空虚に思える。何か足りない心地は、する。
半年前は当たり前だったことなのに。
「今日、お昼鈴木のおネーさんらと食うたわ」
とその日、帰ったらおれより先に帰ってた原田が言った。その事はムロン、昼下がりに鈴木さんたちから聞いていて知っているのだが、原田の口から聞くと、ニュアンスが変わる。
心への響き方が変わる。おれの心に、不愉快な感情がむくむくと、わき上がる。
「待ち合わせ場所へ、現れてんてね。あの2人が。知ってるわ」
「淡々としやがって。お前何で来うへんかってん、」
「聞いてへん?張さんとこ直行したから」
「で、どこで食うてん」
「張さんとこ。北京料理」
原田は澄まして、
「おれも呼んでくれりゃ良かったのに。珍しいもん食いたいわ」
「……楽しかったんちゃう?きれいなオネーサン2人と一緒で」
「確かに面白いオネーサンたちやで。なかなか楽しい」
ちくちくと胸を刺す。これは、聞くもいやらしい嫉妬という感情だな。押さえよう。
「……やっぱり、鈴木さんは原田のことが好きなんかな。そーやっていきなりおれをすっ飛ばして会っちゃうというのは、」
上着を押し入れに放り込みこたつに座ると、彼はニヤニヤし、
「そーなんちゃう?」
我慢出来ずムッとしてしまう。顔に出たと思う。
「何か言いたいことある?」
「……別に。何も。……」
「待ち合わせ場所を変えよう」というのはいやらしいし、他には…何も言えない。
折れたくない。折れたら即座に転職だ。
「今日は早かってんな」
「お前が遅いねん。もう…9時半やん。明日辺り、呼ぶわ。あれの初校返りが入るらしいし、お前にしてもろってるし、……頼んます」
「嬉しい給料日なのに。どっかで飲んで帰りたい」
「残業の後でね」
原田が覆い被さり、唇を重ねてくる。だけど何か、釈然としなくて、モヤモヤして一枚フィルターをかましたような感覚がする。
初めて生まれた心持ち。今日はHしたくない。
とか何とか言いながら、身体は勝手に踊らされ、直ぐに、幾らでも、ソノ気になれてしまう。
だけど、終わった後、眠ってしまった原田の顔を見ながら、おれはまたモヤモヤとした、すっきりとしない感情を抱くのだ。
おれは、一体どうしたらいいんだろう。どうしたいんだろう。
彼と、どういう風になりたいなんて、思ってるだろうか。13年後なんてのは、想像出来なくてもいいと思うけど、1年後は……?30迄に独立するのは良しとして、それまでずっと別にやることを選ぶのか、いずれは彼と同じ会社で、一緒に働いて辞めるのか。
だめだ。何にも考えつかない。
安らかに寝やがって……と腹立たしく思いながらも、肩に手を回し、胸に頭を寄せる。こんなに近くに居ても、他人なんだなあ…と、改めて思う。
と、不意に温かい手ががっしりとおれを掴んだ。
「赤……」
 とおれを呼び、唇を重ねる。それで取りあえずは、帳消しになる。すべてが。
しかし…重い。おれを抱き取り覆い被さったままぐうぐう寝やがった。しかしこの温もりと重みがおれにのし掛かる実際の問題の重みなのだ。その存在感が、少し重いくらいの圧迫感が、心を落ち着かせていくから不思議なものだ。
 翌日は、大した残業もなく、また例の初校返りも大したことなかったらしく、嬉しい初給料日を原田とこの青木さんと営業の高階クンと飲むこととなった。
 彼らとはもう気安くなってるので、楽しい時間は過ごせた。下らない会話や仕事に関する話ばっかりしてたので、たるいし、書かない。その内高階クンが、
「赤城サン、うち来たらえーのに、」
 と言い出した。
「でも今募集してへんやんけ。そりゃおれの実力を買うてくれてんのはうれしーけど、」
「募集したら……だって。その気もないくせ、」
原田が言う。
「原田さん最近すねてますね」
「色々あるからね。おれも」
「でも赤城君も来てもおもろないわなあ。来たらいきなり原田が上司やで」
「そーでしょ。何が悲しくてコイツの下で働かなあかんのでしょーね。……原田、すねてる?」
彼は目をつむり、口をへの字に曲げ、
「フーンだ」
 と言う。すねてる。
「でも原田が仕事持っていったりすると、女の子たちに受けが良くなってたりして、」
 と言えば、青木さんが、うなずき、
「言えてる」
「ああー女に走ろうかなあ」
原田が言う。皆ぶぶーっとむせる。原田はポケットを探りタバコに火を点けた。
「原田さん、普通言うこと反対ちゃいまっか、」
「気持ち悪いこと言うなよ、」
 と言うおれに、高階クンが、
「でも赤城さんて、前から思ってましたけどシャ○ン・ストーンに似てますね」
 と言い出す。
「そうかあ?」
「あましおだてんといて。……高階君、おれから赤を取ったらあかんで」
また、こいつは……おれはヒヤヒヤする。
「そんなん、嬉しないわ。……『氷の○笑』のお色気、インラン、悪女だろ?」
「『硝○の塔』では繊細な美女やってましたよ。あのイメージに近いですね」
おれはこの言葉を後日もう一度聞くことになる…とにかくその夜、一度『硝子の○』を見に行こうということに話は決まったのだった。何でも相手のHな恋人は、前髪をハラリと落とすと原田によく似た髪型になるらしい。顔はタレ目だそうだが。
笑えるか、はたまた、ハマリすぎて笑えないか……しかし、ヘタにハッスルされると後が怖い。
激動の一週間を乗り越え、当面の問題もタナ上げし、この一週間は淡々と安穏に暮らした。電話をしない生活にも慣れ、家で今日あったことを話すのもいいものだ。

それはその週の次の火曜日だった。最後の11月、明日はもう12月という日。
7時頃に仕事の終わったおれは、何となく商店街を西へと歩いて行っていた。この商店街、名はあえて明かせないが、安い物盛り沢山、服屋も結構あるし、ほんとは是非行ってみて頂きたい。途方もなく長いから否が応にも楽しめると思う。
とにかく歩いていると、達っちゃんと柴本さんとばったり出会ってしまったのだ。それは彼らの最寄りの地下鉄駅より彼らの家にいっこ近い駅の側だったから、彼らは相当歩いてきたと見える。
柴本さんはにっこりし、
「今、帰り?どっかでせっかくやから飲まへん?」
「2人で、何してんの……?もしかして、金なくてここまで歩いて来たんちゃん、」
「給料入ったばっかりやで。達っちゃんは、まだ定期買うてないらしいから、○○まで歩くらしいねんけどな。……ここで会えて良かったわ。電話しようしようと思とってん」
「したらいいのに。最近電話してけーへんやん、」
「家帰ったら別のことしたなるしな。時間もったいのーて。…な、達っちゃん、一緒に飲み行こ」
達っちゃんはおれに目を合わさない。でも、柴本さんがいるし、せっかくだし、行くか。
部長に連れて行って貰ったことのある何とかいうやっすい寿司屋へ行く。○駒じゃない。
隅のテーブル席に着くと、おれはそそくさと立ち、原田に電話した。原田はどうしても遅くなると言った。
「達っちゃんと、おるねん……。柴本さんもおるけど。いい?……」
「2人になるなよ。トイレはな、個室を使うんやで。…いいか、何もさしたら、あかんからな。赤、早よ帰って来いよ……帰ってけえへんかったら…達を張り飛ばすで」
「原田……おれが好きなんは、お前だけやって、」
「そーゆーことは関係ない。お前も分かったやろ。何が腹立つんか。頼むで、2人にならんといてくれ。情をかけんといてくれ」
「うん。……」
電話を切り、席に戻るとビールの中瓶と日本酒が。ビールは柴本さんの、日本酒は達っちゃんの。回りやすい日本酒は避けておれはビールを貰う。だけど、達っちゃんにお酌はしてあげる。
柴本さんはおれの前に座り、おれの横には達っちゃんが居る。これは3人で行くときの定番の位置。別段おかしくはないが、昔とは訳が違うだけに、気になる。
「どこ電話しとったん、」
柴本さんが訊く。おれに注いで貰った後、彼に注いであげながら、
「原田んとこ」
 と答える。達っちゃんの顔は、見ないようにして。柴本さんはおもむろにがっかりし、
「なーんだ。お前んとこの女の子かと思たのに」
「柴本さん、何考えとん……おれがそんなことするやつかどうか、知ってるんちゃう?」
すると達っちゃんが、少し口元をほころばせ、
「柴本さん最近ずっと言うてんねん。会いたいらしいわ」
「達っちゃん、余計な事は言わんとって、」
 と焦って柴本さんが言う。つまんでいた寿司のネタが、動揺した拍子にポロリと落ちる。思わず受ける。達っちゃんも堪えきれず大笑いしていた。
彼の笑顔は、久しぶり。
しかし、や~な予感がする。
「柴本さん、パニクったらあかんで。こっちの方が訳分かれへんようになるから」
「あせらすからや。……それより赤、お前ほんまに原田と仲良しやな。べったりなんちゃう、」
おれは少しニヤニヤしながら、
「うん、べったべた」
原田がうつったみたい。でも、反応が楽しい。柴本さんは眉を下げ、しかめ、
「気色悪い。えーけど。……でもほんまに、驚くわ。なんかすっきりせん、今でも驚く。あいつが辞めて何年目?」
「1年位やん。おれが辞めさせられて半年。…そんなことはどーでもいいやん。柴本さん、あんたもしかして、……おれにしたい話ってのは……」
柴本さんは、困惑して俯く。柴本さん、照れてる。かわいい。
「ま、そんな話は後にしてやな、寿司旨いよな。ここ」
 とか何とか言いながら、ガリを食う彼。彼はおれらほど寿司の種類を食べない。ウニとかイクラとかキライだそうだし、ハマチもあんまり好きじゃないみたい。
「カニの刺身が食べたい」
 とおれが言うと、達っちゃんが、おれの掴んでいるメニューをみながら、
「メニューに載ってへんやん、」
「温泉行って、カニ料理のフルコース、食いたいと思えへん?」
達っちゃんはおれを見、少し皮肉な笑みを浮かべ、
「そういうことは、おれじゃなく原田に言うことちゃん、」
「いや、その……そういうことしたくないかなーと思って。……原田はそういう年寄りじみた(?)ことはあんま好きちゃうみたいやし、おれほど食い意地張ってないから」
「おれが行こう言うたら、お前は来るのか」
「……コブ付きで。あるいは皆で。……」
彼はさっと目を外す。手酌でいきそうなのを、「ハイ」と注いでやる。
「赤は、変わってへんのやな。怒ってんのは、達っちゃんだけなんやな」
「変わったんは、赤やで。おれは、昔のまんま……」
「でも、赤がカワイソウやん、気ィ使ってんのに、」
「柴本さん。気にしないで。……悪いのは、オレ。こうなった原因は、おれの方やから、」
「おれやったら、カニ食いたいけどな。……温泉入って。あと甘エビ食い放題して、……甘エビと、貝柱頼んで」
「ウニまだ食わへん?……ヒラメ食いたい」
「おれ玉子」
柴本さんって、安上がり。
「達っちゃん、会社でも機嫌悪そうにしてるん?」
 と柴本さんに訊けば、
「時々な。ふとした拍子に。赤。お前が達っちゃんを怒らすなんて、何したん、」
「それはまあ、気にしないで、」
「やっぱ一緒に住むと、むつかしいもんなんやなー。達っちゃんとでさえ、こんななるのに、原田なんかとケンカせえへんの」
「……意見の相違は、あるけど。…愛があるから」
「また。……よう言うわ」
おれはまじめに、
「いやさ、おれって人に合わすタイプやん。原田は、強引ながらも行動する男やん、それで上手いこといってるって気はするわ。あいつあれで人のほんとに嫌がることはせえへん男やし、……二、三、問題は抱えてるけど……」
「何。パンツも洗わん男だとか、好き嫌い激しいとか?」
「いや、ちゃんと五分五分でやってる。2人とも働いてるし……おれ、自分の面倒もよう見んのに、人のことまで出来ひんで……。おれ、あいつの会社に就職は、したないねん」
「でもいずれ、一緒にやるつもりなんやろ?」
「それまでは別々にキャリアを積んだ方がよーないかなとは、バクゼンと思ってんねんけど、それは言い訳で…。毎日毎日ずっと一緒っつーのが、怖いねん」
柴本さんはうなずき、
「そら分かるわ。一日中ずっと一緒におったら、息詰まる」
そして、上を見上げ、
「しかし、それも分からん。なんでイキナリお前ら2人でそんな約束してん、おれたちに何の断りもなく。達っちゃん抜きで」
「………」
黙るしかない。
「まぁお前ら2人、同じ位の実力やからな。レベル合うてるしな」
「そんな言うたらおれのレベルが低いみたいやん、」
達っちゃんが言う。おれは少し笑い、
「達っちゃんには、おれ色々教えたったやん。先輩やのに。おれはモリサワで、ポイントから写研の級数に変わって、機械も変わって、色々覚えることあったのに、字送りの計算とか、行数の天地の計算法とか、相対罫巻とか、ラウンドの相対罫巻とか、何度言うたか分かれへん位  しつこく教えたったやないの、漢字だって……、もう今は、平気?」
「仕事なんか……おれはあっこ辞めたら写植なんかせえへん、」
「達っちゃんはほんまに写植やってそーにないよな。辞めたら。でもそれもええんちゃう?」
 と柴本さん。
「でも、達っちゃんが他のヤツでなくおれに訊いてくれるのんが嬉しかったわ」
「ずっと、ずーっとお前が隣におったしや」
そしてぱっちりと目が合ってしまう。互いにさっと目をそらす。
「おれが仕事出来とったからちゃうかったん?」
「よう自分で言う…雑で早い割には詰めの甘い仕事しとったくせに」
「そーいう話はやめにしようぜい」
柴本さんがうんざりと言った口調で言う。
「柴本さん、ところでおれにしたい話っつーのは?」
「え……うん。またお前の会社の人と飲みに行きたいなーと思てさ、」
「もっと単刀直入に言うたら、」
達っちゃんが言う。柴本さんははにかみ、
「う…あの、鈴木さんてさ、彼氏おるん、」
やっぱり……予感的中。
「え……おらへんみたい」
柴本さんはほーっとする。おれは尻がむずがゆくなってきた。やばいなあ。
「好きな人とか、おるんかなあ」
「え…知らん。彼はとにかくいてないみたいやで。こないだ言うとったから」
おれをじっと見据え、
「お前を、好きとか」
「それは絶対ないと、思うで。おれなめられてるし」
「おれに女あてがう前に、柴本さんをどうにかしたってよ」
達っちゃんがシニカルな笑みをおれに向ける。柴本さんも手を合わせ、
「お前が鈴木さんのこと何とも思てへんのやったら、協力して。頼むわ」
「宮川さんらもまた一緒に飲みいきたい言うとったし、言うてみるわ…でも、自分で言うてな。おれが言うて聞くような人ちゃうし。……今度は、原田も呼ぶから、原田に頼んでみてよ」
「何でおれが原田に頼まなあかんねん。赤、よろしく」
困ったなあ。多分鈴木さんは柴本さんより原田が好きだぞ。それも困るけど。
柴本さんと店の前で別れると、柴本さんは少し赤くなってる達っちゃんをよろしくと言う。
「何か知らんが、2人で話しなさいね」
 と親切におせっかいを焼いてくれる。おれは苦笑いする。
2人で商店街を歩きながら、おれの頭には原田の言葉がリフレインする。
あんなに2人になるなと、言ってたのに……。
「久しぶり、やな」
急に達っちゃんが言う。
「えっ、……」
「2人でこうして、商店街を歩くのは。昔に戻ったみたい」
「ほんとに。達っちゃんがその気なら、おれは幾らでも友達に戻れるで」
彼は暫し黙り、歩道のタイルに目を落とし、
「おれは、もう大分前からお前のことが好きやったで。……怖くて口に出されへんかったけど。仕事してる時も、帰りにどっか行く時も、ずっとお前を見ながら……これがおれのもんならいいのにと、何度思ったことか。今こうしてても、ドキドキする」
「達っちゃん、ごめん…。初めての夜は、殆ど好奇心やってん。おれは…。好きと言われても、半分信じてへんかったし…でもきっとおれは、あんたを誘とったと思うし、やっぱ悪いのはおれやねん」
「いや、おれも……。照れてはっきりと言わへんかったし。受け入れてくれただけでほっとしてしもうて、どうして好きとか訊かれても、しっかりと答えへんかったし…お前は言うてほしかったんやよな。どうして好きか、ほんとに好きか」
「ん、……」
「おれがどうして原田に負けたか、ほんまはよう分かってる。……でもな、赤」
彼は立ち止まっておれを見た。おれも立ち止まる。
「今なら言えるわ。とにかくお前が好きやねん。お前はその辺の女なんかよりずっときれいや。惹きつける…。優しいし、おれよりも頭も回るし、堪らなくいい…。男だとか、そんな事関係ない。いかにもおれの好きそうなヤツなんや、お前は。おれの好みそのものが、お前」
おれは言葉をなくす。
「おれは、そんな大したヤツやない。目を、覚まして…。どこにでも転がってる程度の、若い男やんか。体つきだって平々凡々、どうってことない、もし達っちゃんが、おれのせいで男がよくなったんなら、その辺に幾らでもおるで、」
「その辺におるようなんの、裸を見たいとは思わん。お前によう似とったら別か知れへんけど。それに、お前みたいにおれを分かってくれるとは限れへんし。やっぱりお前が、ほっとするねん。その外ヅラで、その中味やから。…離れたくは、ない…取り戻したい」
「ごめん。友達以上は、あかん。友達としてなら、幾らでも優しくしてあげれる。そーいう風になってもーてるから」
「愛して、いるねん。一生大事にする」
身体を何かが這い昇るようにぞくぞくする。
「ごめんなさい。許して……おれはもう、選んでしまったから、」
彼はふっと笑い、顔を背け歩き出した。
「身持ちが、固いな……」
「もう同じ間違いはしたくない。…そういう風に言われて、見られると思わずもう一度、もう一度だけと思いそうになってまうけど、必死で止めてんねん」
「一度だけ、抱かせてくれ……。そしたらすっぱり諦めるから」
「達っちゃん……」
思わず心がグラつく。だけど原田のことが、どんどんと心の中でウェイトを占めていく。
同じ間違いをしたくないという強い思いが、あの恐怖がおれの心を冷やす。
原田に、怒られたくない。愛想をつかされたくない。
「ごめん。……出来ない。おれは原田だけに、…身体を見せることも、おれには出来ひん」
「原田だけが、お前をいいように出来るのか。……想像するだけで、ムカつくわ」
「早く帰らないと怒られるし、絶対困る。な、おれは、そんな価値のない男やで。もう、頭冷やしてくれ」
彼は無言で暗い脇道、というか店の裏におれを引っ張り込んだ。
「お願い、何もしないで。何かしたら、原田に話す、」
「欲しいねん」
「早よ帰らへんかったら、殴られるのは、あんたやねんで」
「殴られてもお前が欲しい」
「分かれへん。おれはあんたはおれに幻惑されとると思てる。おれの実体は、殴られても抱くような価値のあるもんやないと思う、」
「お前は分かってないだけやねん。自分を……。喘いで、みてくれよ。腕の中で」
「おれは原田と別れたない、愛してる、」
彼がおれの頭を壁に押しつけ、口づけてくる。どうしてこんなおれに惚れてくれているんだろう。
「達っちゃん……どうして、もっと早く言うてくれへんかったん。もし初めからそう言ってくれとったら…、おれは原田になびいたり、せえへんかったかも知れへんのに。もう、遅いよ…今更言われても、困ることしか出来ひん。達っちゃんだけの、せいじゃないけど、」
「好きやからさ。今でも…お前は、どうか知らんけど。おれは原田に比べて、あんまり見栄えようないし、」
「ルックスで選んだりは、してへんよ、おれは…。思わず見とれることは充分あるけど。でも、それは全く関係ない。……達っちゃんこそ、どうなん。おれの見てくれに、惚れてくれてるんちゃう?」
彼はおれを抱きしめ、
「見てくれも、性格もや……。全部や」
「放して…。おれは絶対、何もして上げられへん。嫌いやないけど、原田に浮気して欲しくないから、おれも浮気は出来ひん」
「原田の、どこがええねん、おれとおるより、」
「………」
セックス、というのはあんまりだし、ルックス、というのも矛盾してるし。一緒に居てのんびりするのは、達っちゃんの方かも知れない。と今思う。
「全部……。それこそ見てくれも、あの性格も……。おれに付いて行けるんか、最近自信ないけど。もう1ヶ月以上も一緒に住んでるワケだし…。甘えられる、ヤツだしさ……」
「おれには、甘えられへんのか」
「そんなことは、ないけどさ…充分仕事とかで甘えとったけど、何か種類がちゃう…おれはまだまだ、人間の出来てない、子供やねん、」
達っちゃんはクールなヤツだった。甘えられても、少し距離を置くような。彼自体も随分変わったと、彼の言葉を聞きながら思う。
「達っちゃん、変わったな……。前はもっと、根の冷めたヤツやったのに……。それも、おれを放したないためか……?」
「その通りや」
早く帰らねば。指先が痺れて、言葉でいかされてしまう。
「達っちゃん、……原田に話してくれ。ヤツがええ言うたら、おれは寝てもいい。でも、あかん言うたら、おれはせん。…きっと、怒ると思うけどな。…」
「隠し事は、ナシにしたんか」
「お互いそれで、痛い思いしとるからな」
達っちゃんはおれを放した。それから黙って駅まで歩き、おれと彼はそこで別れた。

「遅いやんか」
家に帰れば原田がそう言う。少し、不機嫌そう。
「原田、嫉妬深い。人のこと言われへん」
「おれがいつ、何言うた」
「忘れもせん、おれがお前を選んだ日に、セックスの後で、女が出来たら許さん言うたら、そんなこと言うから逃げられるんやで、男に、言うたやん」
「言うたな。確かに……。でも、相手があいつじゃ、妬くなという方がムリ」
「何で妬けるん。おれの事が、信用出来ひん?」
「したくても、所詮他人やし。最近ちょっとそう思てる」
何か泣きたくなる。原田の横顔を見ながら。
「それは、おれがお前と一緒に働きたくない言うから?分かってよ……。原田はいつも、おれの事分かってくれとると思とったのに。おれは最近、どうしたらいいんか分からへん」
おれは何もかもが情けなくなって、本当に涙を零した。彼はうろたえる。
「泣くなよ…。おれがお前を泣かしたんか。もうええわ。もう諦めるわ。……」
「原田の口から、諦めるなんて言葉聞きたくない」
「分かれへんヤツやな、ほなおれは好き勝手、さしてもらうで、」
「そうしてよ…おれ、嫌なことはきちんと、嫌と言うから。他人なんて言わへんとって…」
「お前は心底、寂しがりなんやろ、本当は」
彼が押し倒してくる。おれは腕を回し、
「お願い、Hせんと、暫くこのまま抱いとって…」
 と腕に力を込めた。
Hしてしまうと、分からなくなる。彼のセックスが好きなのか。彼そのものが好きなのか。全く目まぐるしくおれの人生は展開していくものだ。仕事のことや、いわゆるカムアウト、ってやつ?おれは別に自分の事をゲイなんだと認めちゃいないが、世間一般にはそういう烙印を押されるに決まってる。の事で原田が掴めなくなり、怖くなり、前のようにはのめれなくなった。セックスにも。
原田の重みが心地いい。いつもそう思う。温もりと。
「ねえ、話してよ…クリスマスには、何するつもり?」
「ヒミツ。愛してる証拠を上げる。その位、ヒミツにさしとって」
「愛してる証拠なんて…必要かな」
「おれには必要やで。お前をおれ1人のもんにしときたいという。絶対必要や」
「原田、怒らんと聞いて…。今日また、一回キスされた。それで、…お前に彼から話あるか知れへん」
彼は明らかにムッとしたようだった。低く押し殺した声で、
「何の、」
「ないかもしれん。…いい加減頭冷やすやろし。……でももしかしたら、おれを抱かせてくれと、……」
「おれがうんと言うたら、お前はどないすん、」
「抱かれてもいい……」
彼は身を離し、おれをきつく睨んだ。
「お前は、おれを妬かすんが上手いな。そんなつもりなら、絶対許さへん。裸も見させへんと、おれは言うたやろ。誰が、そんな事許すねん。会う度キスしやがって、お前もほんとは未練あるんちゃん、」
「全くないとは、言いきれんかもしれん…仲悪いままでは、おりとうないし。でも、分かってよ、あんたに誤解されたくないから、こうしてわざわざ包み隠さず言うてん。いくら達っちゃんが正直でも、何言うか知れへんやろ。それなら先におれの口から聞いとけば、安心出来ひん?お前は物わかりの桁はずれに、ええヤツやん。…お前はきっとあかんと言うと、怒ると信じてる。そしたらおれは何もさしたらんし、」
「ほんならええわ。おれは絶対、いやや言うたるわ」
上から見下ろす彼を見ながら、おれは身を起こした。
「もう一度ただ抱きしめてよ。安心させて」

今回は長かったなぁ。繋ぎの回なんで、あまり盛り上がりもない気がするし、でも次回からは、ラストに向けてスパートっすから、よろしく!達っちゃんとの寿司屋のやりとりとか、冒頭らへんは気に入ってるんですけどね。次回くらいで、最初に書いたときは止まって1~2年空くわけですけど、なんか周期的に「私って何でホモの、しかもエロなんか書いてんだろ…」と何かが落ちる時が来て、まったく萌えれなく(男だったら不能!)になるんですけど、この辺書いたとき若干そうだったことを思いだします…そんな頃のこの文章、楽しめて頂けたのか心配です。

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