クリスマスなんて大嫌い

 狭い事務所の、マックのモニターに向かいながら、おれは今日何度目かの溜息をついた。
 今日は世間的には楽しいクリスマス・イブ。ラジオから流れるFMも、クリスマスソングとメッセージに溢れていてなんだか憂鬱にさせる。
 なんで今日は休み明けなんだろうな…と思い、また溜息付きながら、おれは顔を上げ、まだ事務所に残っている彼の方を向いた。
「高階クン、まだ帰らへんの?今日はもういいから、帰れば…?」
 彼は立派な彼女持ち、今日こんなとこで残業している場合じゃないだろう。事務のバイトの美奈ちゃんも、5時を待ったかのように帰って行った。
「オレ今日は予定ないんですよ。こんな仕事でしょ。いつ急ぎの仕事入るか分からへんから、もう昨日おとといで予定は済ませましたよ。赤城さんこそ、」
「おれは今日一人だもの…。それにおれも、昨日おとといで、予定終了だし」
 おれもリッパな彼氏持ち、久々にリッチなホテルに泊まって、彼とステキな時間を過ごした。だけど、今日は彼は東京出張。
「一緒に行く?」
と彼は誘ったけど、お互いそれが不可能なことは分かり切っていた。
 零細デザイン事務所を共同経営しているおれと彼、原田は付き合っている。まあ、そんなこと知ってるよ、という人もいらっしゃるでしょう…
 零細だから、社員は最小人員しかいない。制作兼経営者のおれと原田と、営業兼経理兼制作手伝いの高階クンと、バイトの事務の女の子、美奈ちゃん。
 はっきり言って、美奈ちゃんはともかく、他のおれたちは休みなんか平日に取れない。仕事に支障をきたす。代休なんてものもあるワケない。だからこんな日は、もしおれに40度の熱があろうが、這ってでもおれは出勤しなくてはならない。
 なんでこんな日に出張なんだろうな…と思いながら、脳裏に一人の女が浮かび上がる。今日打ち合わせの会社の担当者、いつも趣味のいいスーツを着こなし、スラリとした細く長い足を持つ、おれたちの業界にはあり得ない雰囲気の、いかにも洗練された東京の女(ひと)、峰岸さん。
 彼女がこの日しか空いてないからと指定してきたのだ。急に。
「急でごめんなさい。宿と、キップもこちらで用意しましたから」
と妙に用意周到に電話してきたのが先週木曜日。よく宿なんか取れたものだ。彼女は原田のことが好きっぽいから、計画的なんだろう…
 そう思いながらまた溜息ついていると、高階クンが
「赤城さんも、急ぎの仕事ないんでしょ…?一人モン同士、これからどっかでメシでも食いません?」
と目を伏せて言った。
「オレなんかに構ってないで、彼女んとこ行けば…?」
 すると妙に渋い笑みを見せ、
「そんな溜息ばかりついてる赤城さんをほって、帰れませんよ」
とか言う。
 彼とは5年ほど前、ちょっと色々あったけど、諦めると言って以来、何も、キスひとつしたことはない。暫くはそこそこ口説かれたりしていたけど、彼が年を重ねて落ち着くにつれ、そんなこともなくなった。彼はもう、おれたちが出会ったときのおれの年を越えた。
 それでも、彼のメガネの奥のおれを見る目に、熱い、優しい色を見ることがある。
「年下の、社員に心配されんでも、いいよおれは。…それに、君と二人は、ちょっと…」
「原田さんに怒られます?でも原田さん、今日帰ってけーへんでしょ?メシくらい、いいんちゃいます?」
 そして手早く書類をまとめ、荷物を出して立ち上がると、「さっ、帰りましょ、」とコートを羽織りながらおれに言う。まあ、メシくらいいいか…とおれはまた溜息つきパソコンの電源を落とすと、立ち上がった。
「ルミナリエ、行きません…?」
 駅に向かって歩いていると、彼がおれを見ずぽつりと言う。
「今から?遅すぎるんちゃう?それに今日はスゴイ人やろ、」
「多分いくらか空いてきますって。まだまだ行けますから、行きましょうよ」
 そう言って人なつこく笑う。
「そんな、いかにものデートみたいなこと、おれ出来ひんわ、」
「まあデートですからね」
「…まだ、そんなこと言う元気あったん?そんなこと言われるとますます行かれへんわ、」
「こんなこと、もう二度とないかも知れへんし…、ね、今日だけ」
 幾らかすがるような、苦みのある彼の笑顔を見ながら、改めてああ、彼もすっかり大人の男になったなあ…なんてことを思いながら、ま、人が一杯いるところだし、彼の言うとおり、原田は今日は帰って来ないし(しかもなんかデートしそうな気がするし)。と結局電車に乗ってウソウソと神戸まで出かけて行った。
 駅からスゴイ人で、自分たちのもくろみが甘かったことを実感させる。しかし彼は臆することもなくスタスタと先に立って歩いて行く。
「なんかやっぱ凄そうやで。やめとかへん?」
「待つのも、オレは楽しいよ。てゆうか、待って時間が長くかかればいいと思てる」
「本音出してきたな」
 行列を待ちながら、少しずつ近くなる光の回廊に目を注ぐ。やっとその下に歩出すと、揉まれそうになる中、彼が腰に腕を回す。どきっとして彼を見直す。彼は笑いかける。
「高階クン…」
「赤城さん、幾らなんでも30過ぎたらオッサンになると思とったのに、いつまで経ってもキレイやねんからなあ…。昔はちょっと、カワイイて感じやったのに、なんかすっかり落ち着いてしっとりと、色っぽくなるし、…」
「…困るわ、」
「赤城さんが困るの分かってたから、言われへんかったけど、…今日くらい、ええやろ?」
 そう耳元で彼は言うと、腰に回していた手を外し、おれの手を取った。
 どこまでも続くルミナリエの光は、毎年思うけど妙に懐かしい感じで、不思議な郷愁に誘われながら、ヘンに甘くどきどきする気分の中、二人でそのまま歩いて行った。
 公園まで行くと、二人で露店のたこ焼きなんかを食べながら、ちょっと離れた人の少ないところで座っていた。その暗がりで、彼がふっと身を寄せ、抱きしめられる。
「…こんなとこで、何する気…?」
「誰も見てないって。…」
 彼の顔が間近に迫る。どうしよう…そう思っていたときだった。
 おれの携帯が鳴った。高階クンは顔を外して苦笑する。
「原田さんでしょ。出たら?」
 言われなくても、…慌てて取り出し、出ると、
「お前今どこに居てんねん」
とイキナリ言われる。
「え……事務所」
「ウソ付け。さっき事務所電話したら誰も出ーへんかったで」
「ごめん…帰る途中」
「おれ今日帰るから、なんやったら一緒に帰らへん?」
「はぁ?お前今日泊まりちゃん、」
「もう仕事も済んだし、帰るよ」
「でも、……峰岸さんと、デートかなんかするんちゃう?」
「ああ、…なんかルミナリエもどきに誘われたけどな。人が多くてうっとおしいから、断った」
「これからの仕事に響きそう…彼女、お前のこと好きなんちゃう?あんな美人、勿体ない…」
 すると彼はすくりと笑い、
「おれ、あんなちゃきちゃきしたカッコエエ女は疲れるし、苦手やわ。おれにはお前くらい、ボケーッとした、貧乏人の方が、落ち着くねん」
とか言いやがる。
「悪かったな、ボケッとした貧乏人で…。まあいいわ。じゃ、おれらに合うレベルで、駅前の売れ残りのケーキとシャンメリーでも買って帰って祝うか、」
「うん。…あと一時間くらいしたら大阪着くから。また電話するわ」
 なんだかほんわりとしながら口元にこらえきれない笑みを浮かべ、そっと高階クンを見ると、なんだか微妙な笑みを浮かべている。
「原田さん、帰ってくるんですか」
「うん…あと一時間くらいしたら、着くらしい。…メシ、食ってる時間ないな…ゴメン。…それとも、ウチ来て一緒にクリスマスする?」
 すると彼は首をゆるく振り、
「他の日ならいいけど、今日は…邪魔やし、おれがつらいから…」
「そっか…そうやな。ゴメン」
「いや、こうやって充分デートは満喫したし、…」
 なんだか久々に切なくなる。
「高階クン、頼むから早よ結婚してや…」
「赤城さん、早くハゲでも作ってくれへんかなー…そしたらきっぱり、諦められるんやけど、」
「縁起でもないこと言うのやめてや、」
 高階クンはフッと笑うと、イキナリ顔を寄せて唇を奪った。
 唇が離れたとき、ボーゼンと彼を見上げると、物凄く人の悪い笑いを浮かべ、彼は、
「ごっそーさん。…カワイイ顔、してますよ、赤城さん」
とか言う。おれは熱くなる顔で、睨んだ。この人を食った感じ、油断もスキもなさ。高階クンは、全然変わってない。
「ボケッとしてる、て言われたんでしょ。ホンマ赤城さんは…やっぱ変わってへんわ。カワイイだけの人かも」
そう言ってくすくす笑う。
「君こそ…!落ち着いたかと思えば、全然変わってへん。…アブナイなー」
すると、
「そんなことないよ。ディープでもないキスだけで、ごっそーさんて言うてんから、」
「あのな……!」
 更に言い募ろうとすると、彼はすっと立ち上がり、笑って売店の方へ駆けていく。おれも彼を追って、立ち上がった。
 それからぶらぶらと露店なんかを見ながら駅に向かい、帰った。
 JRに乗ったから、新大阪まで迎えに行ったら原田はびっくりしてた。初めてだからな、こんなこと。
「で?今までお前どこおってん」
「…その辺ブラブラ」
「フーン。じゃその絵はがき何?」
 言われて自分の黒いウールのコートのポケットを見ると、いつの間にかルミナリエの絵はがきセットが…高階クンが、入れたのか!
 冷や汗をかきながら彼を見上げると、
「やっぱお前、ボケッとしてるわ。まあそういうところがたまらなく好きやから、ええけどさ、誰と行ってきてん、」
 おれはさらに心のなかにだらだら冷や汗をかく。どうしよう、言い逃れできるだろうか…
 やっぱり、クリスマスってキライかも。



END

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