アニマ

 耕ちゃんはおれの女関係にうるさい。
 ちょっとしたことでも、道義にもとると、横でうるさくさえずる。ちょっと小舅といった感じである。でもちっともうるさく感じられないし、なんだか幸せに感ぜられるといったら言い過ぎであろうか。彼は本気でおれの心配をしてくれているのだが、それが分かるから尚言わせたくもなる。
 しかも、彼はなんだか曲がったことがキライで、屈託なく、女縁なく求めもせず、それにちっとも油ぎってないし、ひどくイノセントな存在なのである。おれの心のオアシス――と言ったら言い過ぎかも知れないが、彼は安らぎの場という気はした。
 おれはそういう女の居たことを思い出した。おれのマドンナ。
 長いこと生きることにがむしゃらで、思い出すヒマさえなかった。
「耕ちゃん、ちょっと頼みがあるんだがね」
 おれは離れ座敷で耕ちゃんに迫った。彼は横になって雑誌をめくっていた。
「こういう女を捜して欲しい」
メモを彼の目の前に差し出した。彼は一瞬後ろへ身を反らし、
「女探し?ごめんだね」
とまた雑誌へ目を落とした。
「ただの女とは違う。おれのマドンナだ。昔振られたんだ」
そしておれは一通りのことを語った。それで、更正したから会いたいと付け加えた。
「彼女、生きてても結婚して子供もいるかもよ。その幸せをぶち壊して引きずってくるつもりなの?」
「いや、彼女が幸せなら、それでいいんだ。幸せでいてくれたら、ほっとくつもりだよ。ただ、消息を知りたいんだ」
「消息ね…」
「勿論、独り身だったら、即結婚したいくらいだ」
彼はメモとおれを交互に見ると、おれの目をのぞき込み
「人捜しは不得意科目だけど、あんたの更正のために一肌脱ぎましょ」
と受けてくれた。
 三日後、おれの事務所に電話が入った。
「どうだった?」
 おれは期待と不安でドキドキしながら訊ねた。
「うん…会って話をしたいんだけど」
 その声色からおれはかすかな絶望の色を感じ取った。
「彼女、亡くなってるね。東京の空襲で。瀬口光子、旧姓浅野。瀬口良造という一つ上の男と十二年に結婚。翌年男の子が生まれて、旦那は次の年兵隊へ。大陸で十八年に死んでいる。彼女の死亡日時は二十年の三月十日。近所の人が死体を確認している。住所は××で、菩提寺は上野の××寺。これが親子の写 真。実は息子の消息がはっきり掴めない。もう弔いは済んでるけど。詳しい調査報告は、こちらの方に」
 仕事が引けた後、飲み屋で彼は立て板に水でしゃべり終わると、ふうと溜息ついた。
「やな予感したんだ」
「ありがとう。彼女は幸せだったのかな」
「うん、旦那はとてもいい人で、彼女はとっても幸せそうだったと言っている。写 真の笑顔も作り物じゃないし、幸せだったよ、きっと」
 おれは何だか困惑した顔をしている。彼が心配そうに見ている。
 おれのマドンナは居なくなってしまった。しかし彼女が消滅した気はしないのだ。
「一度墓参りくらい行ってきな」
 おれはもう一度その写真を手に取ってみた。主婦然とした彼女が堂々と座っている。子供は満ち足りた顔をしている。旦那は落ち着いた顔で正面 を切っている。
 彼女の、おれの中における役割は何だったのかと、写真に向かって心で訊ねる。
 おれは過ぎた戦争がまた手近に引き寄せられるのを感じた。

 その頃、おれはこんな夢を見た。
 南方のある所で、終戦を迎えた耕ちゃんの一隊が米軍の管理の下に捕虜になっている。
 プレハブみたいな建造物の側面にベンチがあって、耕ちゃんと米兵達が腰掛けている。米兵は白い女性用のパンプスを取り出すと、耕ちゃんに履けるかと渡す。耕ちゃんが履いてみると、ぴったりだった。
 実はここの上官が一目で耕ちゃんを気に入っていて、ウェディングドレスを着せて結婚するつもりでいる。十人ほどの米兵がひどく下手なトランペットを練習しているが、下手なトランペットをなぜあいつらは練習しているのかとその建物の正面 に回るとき耕ちゃんが問うと米兵の一人がそう答えた。
 耕ちゃんはぎょっとして身の毛もよだつ思いで建物の表に立つと、中に一着のタキシードとウェディングドレスが置いてあるのが目に入る。
 下手なトランペットが一層高く彼の耳に響いた。その建物は仮設教会だった。
 彼は冗談じゃない、御免被ると他の日本兵がつめられている宿舎に戻ろうとすると、その上官が現れる。教会と米軍の宿舎を繋ぐ廊下の窓際で、上官はこれから式をする、待ち遠しいよ、と詰め寄る。
 耕ちゃんは絶対嫌だ、死んでやると脅すが、上官はそんなことは許さない、逃げたり死んだりしたらあいつらを殺すと親指を捕虜の宿舎に向ける。
 卑怯者と毒づくが、上官は取り合わずとりまきの米兵に彼を風呂に入れてこいと言いつける。白粉に口紅だけで充分だろうと言って上官は去っていく。耕ちゃんは気持ち悪くて死にそうだが、否も応もない。皆の命がかかっている。
 何よりつらいのは、日本へ帰れないかも知れないと言う懸念だった。
 来なくていいというのに、五、六人の米兵が言いつけだからと風呂までついてくる。そして湯船の中の彼をこれが上官に認められた、抱かれる身体かとねめまわす。耕ちゃんは血の気が引く思いがして、温かい湯の中で、この上ない寒気を覚えた。
 ウェディングを来た彼は、めっぽう美しかった。紺のタキシードを着た上官はタイソンみたいで体格が良く小柄な耕ちゃんには大きすぎる。
 仮設教会での結婚式。仲間も列席させられていた。皆やめろ、やめろと騒いでいたが、既にあきらめきった耕ちゃんは、白い人形のように無表情のまま淡々と式を済ませていった。仲間の中には、おれは写 真も見たことないが、鬼頭千万太がいた。何だかおれに似ていて、おれよりぐっと真面 目で真っ直ぐな目をしていた。彼が一番騒いでいた。
 指輪の交換となると、皆は絶叫した。しかし耕ちゃんの薬指には金の指輪が輝き、タイソンの指にもはめてしまった。誓いのキスを交わす。タイソン野郎は喜んで、早速夫婦の営みといこうぜと公衆の面 前で言う。日本兵達はこの横暴に毛を逆撫でされたように激憤する。宿舎に戻された千万太はくやしくてくやしくてしょうがない。しかしどうすることも出来ず身もだえる思いで耕ちゃんの身を案じる。
 こんなことで暫くたってから、捕虜の日本兵も自由に出歩くことが出来るようになっていた。耕ちゃんの所にやって来ると、耕ちゃんはガウンか、着物を軽くひっかけ、ベッドに力無く寝転がっていた。千万太たちは脱走を勧める。
 誰もが従軍慰安婦のように、その内ここから出て女に自由な所へ行けば容赦なく捨てられるという不幸な運命を予感していたからだ。それは、日本へ帰れないことも意味するだろう。
 皆は彼一人をそこに残して帰国することを嫌悪した。
 そこへタイソン野郎が帰ってきた。千万太たちは脱走計画を覚られぬよう壁に貼ってある近辺地図とヨットの写 真に目を移す。
 タイソン野郎が非常な浮気性で好色家であることはもう分かっていた。タイソン野郎は皆がヨットの写 真に群がっているとヨットの自慢を始め、今度乗せてやろうなどという。
 明らかに彼らを口説いている風だ。特に千万太に目が行っている。
 耕ちゃんは口説いている所を見て、これ以上不幸な人間を増やすつもりか、と正義感で全身にあわ立てたが、同時に嫉妬の炎が燃えたのも事実だった。タイソンは己の迷惑顧みなく自分を手に入れた。そして自分に熱中していた。今ここで捨てられることは、プライドが許さなかった。
「来たのなら早く済ませろ、彼らを追い出せ」
とタイソンを叱咤すると、タイソンはいやらしく笑って妬くな妬くなと耕ちゃんを抱き寄せ、ギャラリーがいると燃えるからたっぷり見て貰おうなどと言い出すのだった。
 暫くしたある夜のこと、彼は追われている。一艘のヨットに泳ぎ着くと、追われている、助けてくれと船の主に告げる。
 さっきかすかに見えていた警備艇の赤いランプが増えて近づいてくる。
 ちょっと逃げられそうもない、迷惑になる、どうしようと彼が懸念すると、任せておけと船の主は警備艇を紙一重でかわして逃げていく。
 ヨットの男は自分の腕に絶対の信頼を寄せていた。結局彼らは米軍を振り切ることが出来た。
 ヨットの男は、さわやかな日本人の若者だ。(この頃はまだそんな言葉はなかったけど、太陽族風なのだ)

 おれがこの夢の話をすると、彼はゲラゲラ笑った。
「気持ち悪い夢を見てくれるなよ、おれが筋肉将校にせまられて結婚?そんなことがある訳ないだろう。第一おれがそうきれいなもんか」
「うん、化粧した顔は別人だった」
「おれぁね、本国の収容所で、真っ黒になって、今はこんなだけど、ギスギスに痩せて、肉体労働…は余りしてないか、監視してた訳よ。でっかいでっかい収容所でね。ああー、嫌だ。気色悪いね。いやらし~~。よくそこまでいやらしい夢が見れるな」
「おれだって恥ずかしいよ。なんでこんなもん見たんだろう。いっとくけど、おれ、その気はないからな」
「どぉだか。まあいい、一つおれがその夢の解釈をしてみようかな。フロイト式に、」
「いい」
「何で」
「何だかもう解ってる気がするんだ」
「いいから聞けよ。まず第一に、靴や服は身分を表す。サイズが合ってたり、似合うならその身分があっている…」
「じゃ、君ぁ花嫁が合った身分なんだぜ。同じことかこの状況じゃ」
「ゲー、そう単純にいってたまるか。その夢の中で、おまえただの傍観者だったか?おれの視点に立ってたんではないの?」
「まぁね」
「じゃアおまえが花嫁だ」
「よせやい、気色悪い」
 彼のフロイト学ははなはだ当てにならなかった。
「次は、…えーと、何だっけ、そうそう、水。水に飛び込む夢は、新しいことにチャレンジする時、新局面 にぶつかる時。…」
「……」
 おみつの死を知った事かな。マドンナが消滅したこと。
「あとは、あとは…アニマとアニムスと老人とおばあさん。男だらけで何がなにやら」
「おれ、夢の中の耕ちゃんはおみつだと思うんだ」
 おれは真剣に言いきった。
「何でそうなるの」
「君とおみつは同じところがある。イノセントだ」
 彼は開いた口が塞がらなかった。

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えーとですね…。
実はこれは私が現実に見た夢の話でしてね…。いやあ目が覚めたときには感動しました。自分がここまで素晴らしい夢が見れるとは…
思わず夢ノートとりましたですよ。このころは面白い夢を結構見ていて、 他にも金田一さん物では牢屋に隣の坊どうしに入れられた金田一さんと風間さんのイヤに可愛くてほほえましい夢も見ました。牢屋でほほえましい。これだけだとなんだか分かりませんね。

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