松月

 その人がウチの離れに転がり込んでいらしたのは、二十二年の初めでした。確か。
 おれの中学からの友人だと言ってあの人が連れてこられたのです。あの人に比べると身体も小柄でいかにも頼りなさそうで、風采は構わなくていらっしゃるし、何だか不思議な気分になりました。どういうお友達なのかしらと。なんでも最初は私立探偵をしているということで、なんだか小さな事務所を構えて、通っていらっしゃったのですけど、どこかへ住み込みでお仕事されたあと、「面倒臭い」と事務所を畳んでおしまいになった。それでウチへお連れになったワケですけど、これからどうするつもりなのかしらと、心配して見ておりますと、お仕事はなさらないし、職を探そうという気概も見受けられない、大抵猫のようにゴロゴロなさっているだけです。全く、更に不思議な方です。それでもあの人はひどく気に入っているようで、来る度にあいつ、あいつとその人、金田一さんとおっしゃいますが、優先して会いたがるし、お金も惜しみなく与えている様子。本当に妬けてしまいましたが、この金田一さんがとても人なつっこくて、かわいい所のある人なので、すぐ気に入ってしまいました。それというのも、あの人はそれも計算の内でここへ連れて来たのか、私とても世話好きなのです。そこへあの猫のような人、実に面倒見がいがあって、楽しくなりました。
 でも、妬けるのはしょうがないのよね。開口一番、「あれはどうしてる?」じゃあねえ。
(おせつの手紙より)

 おせつに耕ちゃんを預けて以来、大森に行く度につい気になって「どうしてる?」とか「ちょっと見てくる」と言って話し込んだりするものだから、温和なおせつもやきもきしているようだ。あいつはそんな言葉はおくびにも出さないのだが、女中共の口は勝手だ。
 三月のその日もからかわれた。「ああ、旦那の新いろ…」って、なんなんだ、おちかさん。その時は慌てていてほとんど耳に入ってなかったのだが、今から考えるとそれが心の奥に沈んでいたのかも知れない。
 ともかくその年の三月、かつてのおれの囲ってやった女の一人が殺人事件を起こしたらしいのだ。その女はお繁といって、今は手切れ金を渡して手を切って、元の旦那と収まってる女なのだが、殺人を犯してもおかしくはない女だったので、さもあらんと思っていた所、殺されたのはお繁の方だと新聞で報道してある。おれは釈然としないものを感じ、彼にこの事件の真相解明を依頼しに行ったのだ。
 まあその辺のことはよく描けている他の本に譲るとして、この件に関しておれは申し訳ない気持ちで一杯だった。おれが頼んだばっかりに(しかし興味を持っていたようだからほっといても介入していったかも知れない)彼を死の淵に立たせ、夜通しうなされる程の目に遭わせてしまったのである。
 おれは心でわびつつ、はらはらしながら一晩中看病したわけだが、それと同時に新たな畏敬の念も湧いていた。彼はやっぱり凄い男なのだと。
 おせつも彼を見直したようだった。
 さて、この件を境におれは彼にすっかり頭が上がらなくなった。会う度に身の回りを整理しろと説教するのである。
 「そんなのが女のためにいいと本気で思っているのかい。女は皆君に首っ丈なのに、お前ときたらあっちの女、こっちの女とふらふらしている。哀れでならないねえ」
「人聞きの悪い」
「だって本トのことじゃないか」
「おれは女にも強制はしないぜ。どの女に愛人が出来ようが気にならない。生活の面倒見てるだけだぜ。おれは女に、」
「淡泊だって言いたいんだろう。どーこが」
「本とだよ。本気で惚れられる奴が現れたら良いのだけど」
「しかしおせつさんを見ろよ。お前に一筋で可哀想な位だぜ。あんないい人のどこが不満でふらふらするの」
「あいつのやきもちの対象は今や耕ちゃんだぜ。君、おれの世話にならずに、生活してけるの?」
「う…、」
それまで上段にものを言っていた彼が困惑したように言葉に詰まる。
「そういう事だ」
「論点がずれてる」
「いや、ずれてないね。君も女達もレベルは変わらんね。気に入った奴だから世話するんであって、それ以上の感情は今はないね。まぁ君と女達の違いといったら、女達のように、囲っている見返りがまるで望めないってことだあね。望む気もないけど」
 おれはげらげら笑った。耕ちゃんは苦虫をかみつぶしたような顔で、唸っていた。そしてあきれかえったようにおれを見ると、
「まあ、いいけどね。今度問題が持ち上がっても一切関知しないから、そのつもりで。ちったあ凝りれよ。おれ、路頭に迷うのいやだし」
「分かってるよ、感謝してる」
「まったく性悪な男だな。いつからそんな男に成り下がっちまったんだ。女をくいものにしてるようにしか見えないけど」
「そうだ、女世話してやろうか。感謝の印に」
彼は更に面白くなさそうに、
「いらんわ」
 という。
 おれは又笑った。

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特に書くことはないな…「黒猫亭」が全ての元凶ですわ

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