昭和初めの物語

 中学校では、そんな奴が居る位の認識しかなかった。というのも、学生は多いし、しゃべったこともほとんどなく、おれは番長グループで目立っていたから、彼みたいな当たり前の頭のいい学生とは余り縁がなかったのである。きっかけは上京だ。先生が紹介してくれたのである。彼と一緒に列車に乗っていったらいいと。
 彼は確かに利口そうな顔付きをしていた。控え目そうで大人しくしていたが、案外豪胆なところも有りそうであった。というのも、このおれを前にしてあがりはしていた(どもり)ものの、怖じ気た様子は微塵も見られなかったからである。おれもあいつも気さくだったので、長い道中の列車の中で、おれ達はすぐにうち解けた。
 東京では、互いに互いが頼りだったので、また先生の斡旋もあって、おれたちは同じ下宿に住んでいた。
 しかし、どうも東京へ来て付き合っているうちに、豪胆なんじゃなくて、単なる怖いもの知らずのお調子者という気がしてきた。
 大学に入りはしたが、大学生なんて昔も今も同じなもので、ろくに学校へなんぞ行きゃあしない。ヒマだけは腐るほどあった。こっちでも友達が出来て、余り繁く会わなくなった頃、彼は突然アメリカへ行くなぞと言い出して、本当に行っちまいやがった。そりゃ、その頃は中国(支那)へ渡る人もゴマンといて、アメリカへ行って一旗揚げようなんてそう珍しくもなかったのだけど、まさか単身思い立ったようにアメリカへ行こうなんて、さすがのおれも舌を巻いてしまった。
 第一その頃アメリカはひどい不景気で、彼はやっぱり怖いもの知らずなのか、それともそういう刺激が無いと我慢できない、スケールのでっかい冒険家なのか、バカか天才かおれにはとても推し量りがたいものがあって、着いていけないものを感じた。
 その日おれは横浜まで見送りに行った。彼も飄々としたもので、実にあっけらかんとした別れだった。
 天気も、そんなおれたちを象徴するように、どこまでも抜けたピーカンの空だった。
「船が沈まねえよう気をつけろよ」
 とおれが言えば、桟橋で、トランク一つ持った洋装の彼は、風に飛ばされないように帽子を片手で押さえながら、おれに笑いかけると、
「それは船長にゆってくれ」
 と言った。
「死ぬまでに、一度帰って来いよ」
 とおれは別れの言葉を述べた。彼も、おれから目を外し、眼前の船と、その先にある渺茫とした海を見、
「うん。とりあえず、さようなら」
と答えた。
 こうして、短い縁が切れた。
 初恋は、まだ純情な田舎出の少年だった大学一年…だった。
 相手は、近所に住み、銀座の会社で事務をしていたおみつ、おみっちゃんという娘だった。浅野光子、それが彼女の本名だった。
 朝な夕なに家の近くで毎日のように見ていて、そのうち挨拶を交わすくらいの仲になった。おみっちゃんは可愛かった。顔はほっぺたがふっくらとしていて、すべすべした肌で、いつもほんのり紅みがさしていて、大きな黒い瞳が吸い込まれそうな感じで、ちっともすれてなくて少女っぽかった。いつも淡い色の髪をお下げにしていた。
 忍ぶれど、色に出にけり、我が恋は、の通り、悪友どもに覚られて、プッシュされていつもの挨拶するおれの下宿の前のタバコ屋の角で彼女をお茶に誘ったのは、十月中旬のある日だった。彼女は仕事の帰りで、時は夕方の四時半。紫の縞の長袖に、赤紫の長羽織を彼女は着ていた。
 もうお互いの名前も、仕事も学校も知っている。
「おみつさん、今お帰りですか。ちょっとその辺でお茶でも飲んで話しませんか」
お膳立てされたこのセリフを、さりげなくいうのは難しかった。何と返事されるか不安でいると、おみっちゃんは一瞬びっくりしていたが可憐に微笑んで、
「あたし七時半までには帰らなきゃお父さんに叱られてしまうわ。それまでならよくってよ」
と言ってくれた。
 何をしゃべったか今となっては覚えてないが、付き合って欲しいと言ったことは覚えている。しかしダラシのないのはおみっちゃんが、
「ここはあたしが払っとくわ。学生さんはお困りでしょう」
と、さっとレシートを取っておごってくれたことだ。おれは親子丼とコーヒーを頼んでいたが、彼女はミルクティーだけだった。
 彼女は今年女学校を卒業したばかりの一つ下だったが、しょっぱなから頭が上がらなくしてしまったのだ。
 彼女とは映画を見たり劇場へ行ったり、銀座のデパートへ買い物に行ったりしてデートした。おれは彼女と歩けるだけで気分が良かった。
 彼女は可憐だが溌剌としていて、いつも楽しそうにおしゃべりしていた。とはいえ、女学校出の教養があり、分別、思慮にも富んでいた。
 それ程好きだった彼女と別れてしまったのは、おれが不良に手を染めだした七ヶ月後のこと。
 おみつと別れてからは、糸の切れたタコのように、したい放題に徒党を組んで押し貸し、ゆすり、無銭飲食と暴れた。学生ヤクザというやつだ。
 夜な夜な盛り場に現れ、あちこちでそういう女と仲良くなった。一緒に騒ぎ回って遊んだ。そんな女の中の一人と特に仲良くなり、資生堂パーラーなんかに二人ッきりで引きずって行かれたものだった。夜もちょくちょく共にしたが、気分的には友達だった。
 おれが大学に入った頃から不穏な空気は東京の至る所にあったが、おれは出来るだけそういうものとは無関係な生活を選んだ。
 学校でも軍服の将校が講演を開いたりしていたが、おれは行かなかった。
 卒業後、在学中から気に入られていたとある組に厄介になる。ヤクザという地位も都合が良かった。
 親分は警察とねんごろで、軍部にも顔が広かった。独特の情報網が発達し、何よりヤクザは金持ちなのである。
 十一年もそろそろ暮れようかという頃、昔の仲間の一人がおれを呼び出した。行ってみておれはびっくりした。
 そこに居たのは、耕ちゃんだったからである。しかも、全然昔と変わらず、和装で。アメリカ帰りというのに、何一つ彼は変わっていないようにおれには見受けられた。
 時折ふっと思い出すことはあった。東京が不穏さを増すごとに。アメリカではつらいものがあるだろう、彼は二度と日本へ帰ってこれなくなるんじゃないだろうか、等々。
「君の友達に聞いて、呼び出してもらったんだ。怖いからね」
 彼は喫茶店で、向かい合うと昔通りにこにこと人なつっこく笑いかけた。
「日本にゃもっと怖いものがあるぜ」
 おれが言うと、
「全く、恐ろしいね。田舎は良かった」
と嘆息して言った。
 また会えるとはあんまり思ってなかった、とおれが言うと、彼は、そりゃひどい、と笑い飛ばした。
 帰ってきて何をするつもりかと訊くと、探偵をするという。パトロンをアメリカでつかまえて、資金には困らないと言った。そして住所のメモをもらった。彼はまだ名刺を刷っていないと付け加えた。
「耕ちゃん、おれは前から思っていたんだがね、君は一体先のこととか考えて行動しているのかい?」
 おれはメモをふりふり言った。彼はニヤリと笑うと、
「まあ、確かに無鉄砲だがね、堅気には向いてないし、君も人のことは言えんじゃない。お互いやくざな稼業と言うことで、この話はナシにしてくれ」
といたずらっぽく言った。
 それからまた付き合いが始まった。
 十二年初頭、彼はある刑事事件を手がけ、有名(ちっとは)になった。
 飲みに行ったりして、彼のアメリカでの経験や、その間のおれの話とかをしあった。行った頃不景気はまだ尾を引いていて、酒を禁止されていたから麻薬がよく出回っていた。それで好奇にかられてやったと言った。
 おれが唖然としていると、そう珍しいことじゃないと言った。
 しかしおれは彼と麻薬の妙に、この男の大胆さには負けるところがあると驚いていた。しかし、その意外さが、彼の魅力だろう。女はどうだと訊くと、まんざらでもない顔をして、どうってことはないと答えた。どうってこたないってのは、何かあったんだろ、どんな女だい、と訊いたが、かわされてしまった。それから長いこと失念していてついに分からず仕舞になった。
 その年の秋、彼は関西の方へ行った。
 おれの昔の仲間が、士官学校へ行こうと思うと言う。どうせ召集されるに決まっている。大学出なら割もいいと言って帰っていった。
 それから三年間、おれ達はなんとか交際を続けることが出来た。
 おれには組の後ろ盾があるし、彼には警察への恩がある。おれはともかく、彼は徴兵のおそれがあったが、それが適齢期の男達の召集を遅らせていた一因だと思う。いよいよ浮き足立ってきて、おれは彼に士官学校へ行くことを勧めた。それよりも何か技術をつけた方が安全かも知れない、と兵器学校の話をした。これは二十五才迄が制限である。それはその年のおれ達の年だった。しかし彼はどれもこれもどうでもいいといった表情である。
「おれは先のことを考えて、ってのが、ニガテだからいいんだ」
 そう言っていた彼の所にもついに来た。例のものである。
 彼の下宿で、二人、おれ達はその紙を間に無言で座っていた。口では色々言っていたものの、いざそれを目の前にすると、さすがに放心したようにただ座っていた。
 内容は、徴兵検査に出頭すること。時は昭和十五年の五月下旬である。
「電報、打ったのか」
 おれが言った。
「電報、うちに」
「そう」
「別に、いいと思って」
 彼は投げるように言った。
 彼は逞しいわけではないが、もうこの頃の徴兵検査は大分甘くなっていて、若く五体満足な彼はもちろん入営通  知を受け取った。種別は、乙。
 彼が入隊のため故郷へ帰るとき、なんとなくまたおれは見送りに行った。今度の彼は、絣に夏袴という出で立ちだった。おれも着流しを着ていたが。
 電車に乗り込むとき、
「おれ達って、やっぱり縁が薄かったんだな」
という言葉がおれの口をついて出た。彼は軽く振り返り、少し笑うと、
「ああ、さよなら」
と言った。
 運命の糸は再びおれ達を別れさせた。
 彼はおれに何の便りも寄越さなかったし、おれにも義理はなかった。
 ただ、今度こそもう二度と会えないかも知れないと思っていた。
 その次の年の暮れ、真珠湾攻撃の報道が日本を駆け巡った。
 日本は憑かれたようにあるものに向かって一丸となって走り始めていた。
 物が不足していった。おれたちはヤミ物資を流して生業としていた。インフレが起こった。忙しかった。
 おれは住所不定だったので、召集が来たのはのっぴきならなくなってきた十八年だったか。幹部候補生の試験を受けてパスした。それから訓練を受けて、大陸へ…おれの一生で最も空虚で意味の深い二年間だが、耕ちゃんに比べれば楽な戦争体験だ。
 戦争中おれは本営付けだったので、参謀の世話をよくした。威張ったおっちゃん共は鼻持ちがならなかったが、どこでも出入りできるので便利だった。十九年の末になっても、満足にメシを食い酒を飲む奴らは、残すことも平気でした。おれは燗冷ましや残飯を集めると、兵営へ行って一皿五十銭で売っていた。
 又、営内便利屋の看板を裏で掲げていて、頼まれれば倉庫から村から何でも調達した。タバコ、かんづめは二円。大抵何でも安くしておいた。一応不便な兵隊さんのお為に役立ちたいからしているので。それでも終戦の時までに五千~七千円はかせげた。三八銃は三十円で、軍刀二十円、機関銃は四十円。
 玉音放送よりいち早く敗戦を知ったおれは参謀や将校が浮き足立って恐慌を来している間に(何が恐慌かって、捕虜になることだ)倉庫に入って内地で売れそうなものを麻袋に詰め込んだ。
 おれは電車を乗り継ぎ、上海から舞鶴へ。
 二十年の九月中旬帰って来ることができた。焼土と化した東京はバラックと人の波にあふれ返っていた。おれはまずその有様に唖然とした。
 もといた組を訪ねるが、親分は死んでいる。しかし空襲で亡くなったらしい。
 新宿へ戻ってくると、本営から持ち出したものや、昔のブレーンを動かし、又ぞろ復員してきたかつての仲間(戦友)とヤミ屋の一組を組織し、戦前の手法を用いておれは金とシマを儲けていった。
 預金封鎖、新円切換で元の黙阿弥になったので、五月まで続ける。
 おれは第二の拠点をハマに定めると、稼いだ新円で土建業を開業。六月頃にマーケットを建て、賃貸料を取るが、ヤミからは手を引く。まだ健在の財閥系の復工を頼まれるが、一年後には財閥解体でポシャる。
 なかなか先が見えなくて、この頃は大変だったが、まだ上手く乗り切れた方だと思っている。
 だんだん軌道に乗り始める。公共機関、GHQ、飲食店の需要増える。一年後には解体された財閥系元本社等の仕事も。土建業を始めたのは、賢い選択であった。
 大分生活が安定してきたので、あちこちに土地を買う。そして、又ぞろ女である。一々名前は挙げないが、戦争で哀れになった女達に生活の保障をしてやった。
 おせつは、その頃ある飲み屋から引き抜いた女である。太っ腹で屈託のない女で、気に入ったのだ。人の上に立つことが出来ると思ったからだ。それで、新しく始める店の女将を任せることにした。
 五里霧中の中手探りで生きているうちに、二十一年の秋になっていた。おれは組の事務所で、おやと思うような記事を新聞の中にみとめた。そこには金田一耕助の字が刻々と印刷されていたのだ。
 生きて帰って来ている。おれはそれだけで嬉しくなった。
 戦前の友人にも戦死した者は多い。中学の時の友などどうだろうか。これは後年ふと思い立って調べてみたのだがおみつも空襲で亡くなっていた。
 十一月の半ばだった。小用で汽車に乗ったところ、ヤミ屋の一団が横暴な態度に出て迷惑をかけている。暫くは黙っていた。益々横着になってくる。頭に来ておれはそいつらの頭とおぼしき奴を捕まえ注意してやった。その時不意におれの肩を叩く奴が居た。誰だ、と思い振り返ると、そこには懐かしい笑顔があった。
「よう、風間」
 おれはこんな場合だけに顔がゆるむのを禁じ得なかった。感動の再会のはずだのに、
「なーんだ、耕ちゃんじゃないか」
と、ほっとして言ってしまったのは有名な話である。
 どうしてほっとしたのかは、やっぱり彼がちっとも昔と変わっていなかったからだろう。
 こうして、奇しくも二度も今生の別れと思っていたのに、再会を果たすことができた。おれたちの腐れ縁は尽きていなかったらしい。
「おれたちの縁って、案外と強いらしい」
おれは嘆息した。
「ほーんと。君には二度も本気で別れの言葉貰ったのにね」
彼はまた屈託なく笑った。
「今度あったらもう言わねえ」
 おれたちは京浜急行を横浜で降りた。二人で通りをぶらぶらと歩いて行きながら、おれは彼をまじまじと眺め、
「でも、五体満足で良かったな」
「お互い様」
「これからどうする気だい」
 彼はまたか、とテレ笑いをした。
「又、元通りやるよ、アレを」
「懲りないな」
 二人は顔を見合わせて笑った。こんな気分は久しぶりだ。ひどくリラックスできるのである。同郷の気安さだろうか。
「今度立ち行かなくなったらいつでも来い。おれが生活の面倒見てやるよ」
 石川町の喫茶店で、おれは名刺を渡した。彼はつらつら刺面を見ていたが、
「金持ちだな。パトロンにしよう」
とおれの顔を見て言った。
 おれは戦後から塒をハマに移した。山の手のおれの家に彼はその日から四、五日泊まっていった。枕を並べて寝た。
 最初の夜は戦争体験を語り合った。彼が後年見たどの現場よりも凄惨だったのは確かである。しかし、戦場の死体というのは、他殺体とは訳が違うのである。それは、戦死だって他殺には違いないが、戦場は事故現場のようなもので、死体が転がっていなければ不条理だし、敵の死体を増やさなければ生き延びる確率が減る。そして、それがおれたちの仕事なのである。
 初めは、累々たる屍を回収して吐き気を覚えたらしいが、すぐにそんな感情は引っ込んでしまった。そんなヒマはないのである。
 それでも、仲の良かった友人が、飛んできた手榴弾で花火のように吹っ飛んだとき、名状しがたい感情が全身を貫いたという。そう言った彼の声は強ばっていた。
 しかし、それもある意味まだいい方で(名誉の戦死ということにおいては)、彼の回りの死体で、何より多かったのは餓死者、病死者、老衰で、彼の回りにはこれらの死体が連日ウヨウヨ増えて、恐怖の行軍中どれだけの死体がニューギニアにまき散らされたことか。
「随分長いこと出向して何処まで流れていったんだい」
 彼が今、昔と余り変わった様子を見せないので軽く言った。おそらく大陸の下の方と思ったからだ。
「南の島だよ」
「まさか、ガダルかい?」
「ニューギニア」
彼はぽんと吐き捨てるように言った。そして、すぐに、
「お前は要領がいいから近場で安全なところだろ」
とおれを見てニヤリと笑い、言った。しかしおれはそれには答えず、
「ニューギニアぁ?あんな地獄で、生き残ったのか!」
と怒鳴っていた。
 おれは将校で本営詰めだったから知っている。ニューギニア戦線というのは、泣きたくなるほど、空しい戦いなのだ。ジャングルと湿地帯、スコール、不衛生。島のほとんどが未開地。それでいて日本列島位 の大きさである。それを補給を断たれた三個師団は(+敗残部隊)およそ日本縦断する位行軍した――歩いたのである。ウエワクまで。
「君が、まさか…」
「あんな所で生き残れるのかと言うんだろう。ご覧の通りさ。幽霊じゃないぜ」
「…どこの隊だ?隊長は」
 彼はかすかに身震いしたようであった。
「その話題、終わりにしてくれないか」
必然おれは口を閉ざさざるを得なかった。
「今は、こんなにも平和だ。おれたちにはそれで充分じゃないの」
「貧しいながらも、」
「おめーは地獄を見てねえな。ひよっこだ」
「要領がいいもんで」
「内地か」
「いや、関東軍参謀本部」
「とことん要領がいい奴だな」
「君が、生きることに無頓着すぎるのさ」
 後で知ったことだが、彼は何と准尉、小隊長で除隊したそうである。生き残っただけでも価値があるし、さもありなん。人が減れば、居るものの中で役職を割り振ってゆくから、どんどん皆階級が上がる訳である。
 しかしこれは本人から聞いた話ではなく、他の人から聞いた話だ。彼は戦争の話はキライだった。
「ついでに言うとやっぱりああいう規則づめの団体行動はニガテだな」
と彼が苦笑混じりに言ったのが、彼の口から直接聞けた戦争体験の最後だった。
 月明かりが十畳の部屋に障子の桟の影を落としていた。おれたちが黙ると、静寂だけが辺りを支配した。
 それから彼は東京のビルに一室を借りて事務所を開いた。二、三事件を解決してあの等々力警部と懇意になったのもこの頃である。
 その間二、三ヶ月もあったろうか、ある日彼がおれの事務所にやってきた。
「どうしたんだ、そのなりは。追ん出されでもしたのか」
 接客用のソファに腰掛けた彼は、側にスーツケースを持っていた。
「いや、性に合わなくてやめたんだ。今日まであるアパートに住み込みで仕事してたんだけど、解決したからおいとましてきたところさ」
「賢明だな」
「それで、きみのところに世話になりに来た。宜しく」
 彼はぺこんと頭を下げた。
「無職同然なんだろう。これからどうする気だ。仕事も紹介してやろうか?」
「いやいや、絶対続かないと思うから、いい」
「じゃあ、純粋におれの囲い者になる気か」
「そう」
 おれは唖然とした。しかし彼はそう悪びれる風もなく、いたって飄々としている。全く彼の天衣無縫さには負ける。おれは大森のおせつに電話した。おれの造った割烹旅館を任せてある。その旅館は広いので、彼を世話するには丁度いい。それに、面  倒を見る者が必要だろう。おせつに今夜行くからとだけ伝えた。
 こうしておれと彼の最も接近した時代は幕を開けた。

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リニュに当たり、さらっとでも再読して頭が痛いw
特に痛かったタイトル変更して内容もオリキャラ部分割愛…しようとしたけど後の話の枕なのでもうそのまま残しました。痛くてごめんね!
風間さんの軍隊パートは好きすぎるので痛くても残しちゃうwけど今は値付けの根拠が分かりません。

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